演奏
演奏する、と言っても何を弾くか。
まぁ先日弾いたクラシックは気に入ってくれたみたいだし、せっかくならクラシックで行くか。
幻想即興曲とかいいかも。
私は鍵盤に手を置く。
正直あまり覚えていないと思っていたけど、幸いにも体は覚えているようだった。
即興曲第四番 嬰ハ短調作品66
ショパンの作品の中で最もよく知られる楽曲の一つで、複合三部形式による即興曲。彼の死後、友人であるユリアン・フォンタナの手によって『幻想即興曲』として出版され、今となってはその名の方がなじみ深い。ベートーヴェンの月光とよく似ていることでも知られている。
月光が好きならこれも好きなんじゃないだろうか。
この曲はかなり難易度が高いが、彼なら軽々耳コピしてしまいそうだ。
冒頭は力強いオクターブの響きと左手のアルペジオ。形式は3つに分けられた部分がさらに複数の部分に分けられる複合3部形式をとっている。中間部では曲想をガラリと変え、再び冒頭部分にもどり、最後は中間部の美しい旋律が回想され、静かに終曲する。
「……お前の音はカラフルだな」
「え……そうかな?」
弾き終わった直後、ルーカスはそう漏らした。
「俺が弾いてもそうカラフルな演奏は出来ない。何と言うか、音の粒1つ1つが表現しているというか」
彼は真剣に分析をしている。
うーん。私としてはちょっと恥ずかしい。
「というか私、ピアノ専門じゃないんだよ」
だからあんまりピアノは得意!というわけではない。
ピアノは弾けて当たり前だと言われていたからやっていたけど。
「そうなのか?」
「うん」
幼稚園くらいの頃からヴァイオリンを習っていた。
母がクラシックファンだったこともあって小学校まではそれなりに真剣にやっていたし、全日本のコンクールで優勝したこともある。中学でグレてやめちゃったけど。
高校に入ってからはロックやボカロにハマってヴァイオリンやピアノを弾くことはあってもクラシックを弾くことはほとんど無くなっていた。小さい頃は音大やら海外やらに行ってプロになると思っていたけど、高校生の時の自分にそんな気は更々無かった。
第一弾けることには弾けるけど、音楽理論やソルフェージュはからっきしだったので音大なんて到底不可能だったが。
「じゃあヴァイオリン弾けよ」
「……は?」
ヴァイオリンが専門だと話すと彼はどこから持ってきたのかヴァイオリンを差し出した。今更弾けるかわからないしそもそも面倒なので断ろうとすると、彼はそれを察したのかジロリと睨んでくる。
「盗撮……」
「わかったから!」
仕方ないか、と思いヴァイオリンを受け取ると、軽くチューニングを済ませる。
懐かしいなこの感じ。というかコレ、ルーカスの私物だろうか。
学校の楽器にしては上等すぎる。
それに不思議と手になじむし。すごく弾きやすい。
私は何かいい曲がないかと考えていた。
そもそもヴァイオリン独奏の曲って少ないし。
ヴァイオリンのコンクールでは基本ピアノを伴奏が付く。ヴァイオリンのみで弾く機会なんてあまりないのではないだろうか。
「ちょっと待ってて」
「あぁ……」
私は急いで五線譜にペンを走らせる。
この曲は元の世界で何度も弾いたことがある。伴奏側の楽譜もとっくに暗譜している。
「これ弾いて」
「は?俺が?」
「そう。弾けないの?」
まぁこの曲難しいから無理かな、と軽く煽るといとも簡単に乗ってきてくれた。
お互い少しだけ練習をして合わせる。
ヴァイオリンソナタ第九番 イ長調作品47
ヴァイオリニストのロドルフ・クロイツェルに捧げられたことから『クロイツェル』の愛称で親しまれている。ベートーヴェンの作曲したヴァイオリンソナタの中では特に知名度の高い作品で、ベートーヴェン以前の古典派のヴァイオリンソナタはピアノが主であることが多いが、この曲はヴァイオリンとピアノが対等であることが特徴的である。
そういえば昔、この曲は元々別の人に捧げられる曲だったと聞いた。何でも女性関係で不仲になり、当時フランスで有名だったクロイツェルに変更したという。まぁ、クロイツェル自身は一度も弾かなかったらしいが。
ヴァイオリンの独奏で始まり、ヴァイオリンがピアノを凌ぐほどのダイナミックなパッセージや、ピアノと火花を散らすような掛け合いが展開される。まるでピアノとヴァイオリンが張り合うように。
初心者が到底弾くことのできないような高度な技巧が当たり前のように要求される。初心者でなくともちょっと見ただけで弾くのは難しい。
けれど流石は天才。
難しい部分も難なく弾きこなしている。
でも、大人しすぎてつまらない。もっとガツガツくればいいのに。本当に機械相手に演奏してるみたい。
あくまでも伴奏は伴奏だと思っているのだろうか。
けれどこの曲は作曲者によって「ほとんど協奏曲のように、きわめて協奏風なスタイルで」と書かれた曲。ヴァイオリニストとピアニストが対等に向き合ってこそ1つの曲が完成する。
第一楽章のアダージョ・ソステヌートが終わり第二楽章へ入る。
変奏が始まるタイミングで、私はアレンジを加えた。当時は好き勝手に弾くなと言われたが、怒られても私はいつもこうやって弾いていた。テンポも音程も違うもはや別の曲。でもこっちの方がカッコいいんだもん。
ルーカスは驚きながらも必死で私の演奏についてくる。
完全にノってきた私は、求められてもいない超絶技巧を使って彼を挑発する。
そして「このままやられっぱなしでいいの?」という意味を込めて彼を見る。すると彼は目の色を変え、好き勝手に演奏し始めた。
そう来なくっちゃ。
なんだ、弾けるじゃん。
不協和音にならないように。
お互いがギリギリのバランスを保ちながら、感情を剥き出しにして主導権を奪い合う。
もはや楽譜のどこを演奏しているかも分からなくなるほど私たちは夢中で演奏していた。
演奏を終えても沸き上がった高揚感は収まることを知らない。
やっぱり音楽っていいんだよな。
「エマさん、ルーカス!」
心地よい無言の時間を切り裂いたのは、演奏を聞いてやってきたエドガーだった。横にはセドリックと知らない生徒もいる。
「貴方、ヴァイオリン弾けたんですか!?」
「えっと、まぁ……はい」
興奮した様子で迫って来るエドガーに圧倒されながら返事をすると、セドリックも驚いたような表情をしていた。
「エドガー先輩。授業はどうしたんですか?」
「僕は2限が自習になったんです」
自習って教室でやらなくていいのだろうか。
「僕は魔法薬が早くできたからね」
セドリックはキラキラスマイルを遺憾なく発揮する。まだ2限も始まったばっかりでしょ?もう終わったって流石に早すぎない?今回のは難しいって聞いてたのに。
私はセドリックの超人ぶりに驚きながらその横の男子生徒を見つめた。
見たことない生徒。先輩だろうか?
「よぉ、久しぶりだな。レヴィ」
「相変わらず演奏に似合わない口調ね」
ルーカスが親しげに話している。知り合いだろうか。
「あぁ、エマ。アルバートから聞いてるかもしれないけど、この人は3年のレヴィ・ガーデン先輩。有名な俳優でルーカス先輩とも何度か舞台で共演してる。小説も書いていて、今回劇の脚本を担当してくれることになったんだ」
すごい。滅茶苦茶綺麗な人。体格とかは男の人なんだけど、女の私なんかよりも全然綺麗。
ストレートのショートカットはビックリするくらい綺麗なキューティクルだし、斜めの変わった前髪も全然違和感なくむしろおしゃれ。ジェンダーレス男子って感じだろうか。
「初めまして。生徒会副会長を務めております。1年のエマ・シャーロットです」
挨拶をした瞬間、彼はグイッと顔を近づけていた。
圧倒的美!というか近い!何か失礼なことをしただろうか。
有名な俳優さんなのに知らないとかマズかったかな?
「貴方!」
「は、はい!」
「キャストやりなさい!!」
え?キャスト……
「「えー!?」」




