バイトの基本
あれから何故か私は本部には戻らずクリスタル帝国でレオンに観光案内をされていた。
早めにインターンを切り上げられた以上学校に戻っても良かったのだが、レオンはそれを許してはくれなかった。まぁ美味しいものもたくさん食べられたからいいんだけど。
私とレオンの婚約話は瞬く間に広がり、ウィンチェスターアカデミーに戻ると、実家から通達を受けたであろう生徒たちは私のことを驚いたように見ていた。
しかし、これと言って特に生活が変わるわけではない。今まで嫌がらせや悪口を言ってきた人たちは内心焦っているようだったけど。
「エマ。今日の放課後は何するの?」
「いつも通りウィーブルでバイトだよ」
ウィーブルでのバイトも続ける許可を得て、私は久しぶりに平穏な日常を過ごしていた。
「エマが働いてるなら僕もウィーブルでバイトしようかな」
セドリックは片時も離れてはくれなくなったけど。
攻略対象たちは若干イベントが進んでしまっているのか、私の婚約には猛反対していたが、私の婚約時に突き付けた条件を話すと、みんなとても快く祝福してくれた。
余程私がレオンを好きになることは無いと思われているのだろう。まぁ実際その通りだが。
顔も良く、権力も金もある、所謂スパダリというやつなのだろうが、私はイケメンは割と鑑賞したい派閥なのでレオンとどうこうなりたいなどという気持ちは全くない。それにレオンとはそもそもほとんど会う機会がないためあとの数年で関係が発展することは無いだろう。
私はセドリックに良かったら食べに来てなどと言って適当にあしらってから、急いでウィーブルへと向かった。正直これからはほとんどお金の心配など無いのだが、貯蓄はあるに越したことは無い。
節約と貯金が大好きな日本人である私はとにかく無理のない範囲でバイトは続けたいと申し出た。
それに多分私が抜けるとエドガーも商品開発とか困るだろうし。
学校にいることの少ない私がウィーブルに貢献していることと言えば間違いなくメニュー考案だ。
シフトにはほとんどは入れていないけれど、学校にいない間の期間限定メニューの考案などは書類にまとめてエドガーに提出している。気が付けば店のメニューはほとんど私がアレンジした日本で人気のカフェメニューになっていた。
「エマさん。今日はホールに入ってください」
「わかりました」
ウィーブルの制服へ着替えを済ませると、エドガーが声を掛けてきた。
彼も総合文化祭が終わり最近は比較的穏やかな日々を過ごしていると聞いている。
「……!」
「ですから……!」
ホールに入ると何やら騒がしい。様子を窺うと店員と客が揉めているようだった。
「またあの方ですか……」
「あのお客さんをご存じなんですか?」
「えぇ。つい2週間ほど前にも来店されまして……」
パンケーキに乗っているイチゴが小さいと言って大騒ぎしたらしい。
もう2度こんな店には来ないと言って出て行ったため、エドガー達にとっても予想外の出来事だったようだ。
「何だこのイチゴは!大きすぎて一口で食べられないじゃないか!ちゃんと切ってから出せよ!」
「貴方が以前小さいとおっしゃったから大きめで用意しましてよ!わたくしは悪くありませんわ!」
前回の反省を踏まえてカットせずに出したら今度は大きすぎるとクレームを出してきたようだ。
店員の子の気持ちもわかるがこれでは埒が明かない。
「先輩。私行きますよ」
私は深いため息をついて出て行こうとしたエドガーを引き留める。
元の世界のバイトでそれなりにクレーム対応はしてきたし、多分ここの人たちよりは上手く対応できるだろう。
「お客様、いかがいたしましたでしょうか?」
「あ?さっきから言ってるだろ!こんなパンケーキを客に出すなんて信じられない!」
「こんなパンケーキ、と言うのはどのようなパンケーキでしょうか?」
私は小声で震えている店員に奥に下がるよう指示した。
20代前半の若い男。服装から見て中流階級と言ったところだろうか。エドガー曰く、穏便に収めるため前回は食事代をタダにして解決したと聞いた。大方味を占めてまたただ飯を食らおうという魂胆だろう。とはいえ女性と一緒に来るのならかっこよく払ってよとも思うが。
「このパンケーキのイチゴが大きすぎるんだよ!これじゃあ食べづらいだろうが!」
「パンケーキのイチゴが大きい、ということですね」
「あ、あぁそうだ」
「申し訳ございません。こちらの配慮が足りていませんでした」
私は深々と頭を下げる。
まずは理由を聞き、とにかく復唱。これだけで客はちゃんと聞いてもらえてると感じるから。そしてそれから丁寧に謝罪。私のバイト先のマニュアル通りの対応だ。
しかし彼はこんなに深々と頭を下げられると思っていなかったのか、戸惑っていた。
このカフェはウィンチェスターアカデミーの生徒たちが社会経験を積むための場所として運営されており、客も店員も基本は貴族。今日のような一般開放時はそれ以外の客もいるが、ほとんどは貴族が主な客層だ。それゆえにプライドは高く、恐らく前回も先ほどの店員のように決して頭は下げず食事代を無料にすることで手を打ったのだろう。
けれど私にはそんなものはないので必要ならいくらでも下げますとも。
「あ、いや……」
未だとどまっている彼に私はもう1度深く謝罪をしさりげなく退店を促した。
もちろん会計はさせたうえで次回以降使える10パーセント割引のクーポンを握らせて。
クレーマーだった人が対応次第で常連客になったと言う話はよくあることだ。ピンチはチャンス。しっかり使わなくては。
「またのご来店を心よりお待ちしております」
とびっきりの笑顔を乗せて気持ち良くお見送りする。
店の外で客が見えなくなるまでお辞儀し続けるのもポイント。
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「お姉さん、また来たよ!」
「お客様、お待ちしておりました。新作のパンケーキご用意しておりますよ」
「じゃあそれで!」
「かしこまりました」
あれから彼は一般開放日には必ずやって来る常連客となった。
ここの価格設定は少し高めなので、仕事を頑張ったご褒美にしているのだそうだ。
最初は女性と共に来ていた彼も、気が付けば1人でやって来るようになった。
……それを知ったセドリックが見張りのようにルーカスやアルバートと共にやって来るのでそこはちょっとやりにくいけれど。
「それにしても、どこで身に着けたんです?」
すっかり常連客となった彼を見てエドガーは驚いたように言った。
「私も庶民ですから。上手く生き抜く術は自然と身に着いたんじゃないでしょうか」
元の世界のマニュアル通りにやっただけですとは言えないため適当にごまかす。
「ハハッなるほど。けれどあなたも一応皇太子の婚約者なのですから軽率に頭を下げるものではありませんよ」
にこやかに、けれど真面目な口調でそう諭される。
私は笑って「肝に銘じます」と返した。
「皇太子と言えば、これを貴方に渡すのを忘れていました」
皇太子ではなく、王太子の方ですが。
そう言って渡された手紙には、アスカニア王国王家の家紋が施されていた。




