獣の角
─1─
「依頼の相談をお願いします」
リラが朝の受付を開始して一時間ほど経った頃、その若い女の子たちはやってきた。見慣れない二人組だった。戦士と魔術師の組み合わせの二人は慣れない手つきでタグを取り出した。五級の証である青く光るタグ・クリスタル。その淡い輝きを見て、おどおどとした様子といい彼女たちがここを利用するのは初めてだなと、リラは思った。
二人は、戦士の格好をした方がエルナ、魔術師用のローブを着た方がステラと名乗った。二人は昨日訓練所を卒業して冒険者の登録を済ませたばかりだった。二人が持つ短刀と杖も、訓練所を卒業した時に支給される安ものだった。
リラは形式通りに依頼斡旋所の利用の仕方、依頼を受けるにあっての規則などを二人に説明した。ひととおりの説明が終えると、魔術師の方の娘が、
「あの……今日可能な依頼はありません?」
といった。
リラはそれを聞いて眉をひそめた。
初めての依頼としては危険のない「薬草採取」もしくは「失せ者・遺失物探し」を紹介するのが通例ではあるものの、この日その手の簡単な依頼は薬草採取だけしかなかった。しかもその依頼すらこの初心者二人に任せるわけにはいかない事情があった。
薬草を採ってくること自体に問題はない。薬草はこの市から離れた所に生えていたが、新人とはいえ冒険者としての訓練を受けた者の足なら半日もあれば十分に日帰りできる距離であった。
ただその薬草が生えている場所は、危険生物として分類される獣が生息する地域のすぐ近くにあった。危険度は定められた等級でいえば下から二番目。資格としては一番下である五級冒険者でもなんなく倒せるモンスターではある。しかし依頼を斡旋する側として、初めての依頼に多少でも危険の伴うものを紹介することはできなかった。リラはそのことを二人に伝えた。若い女二人は納得できないようだった。どうしても依頼を受けてみたいといった様子で特に女魔術師の方は随分やる気にはやっていた。しかしリラは日を改めるようにと強く勧めた。
二人はしばらく迷っていたがやがて諦めもついたのか、詰まらなそうに意気消沈して帰っていった。その後ろ姿を見送って、リラも少し気の毒に思ったが、万が一危険な目にあってはと思い直した。それから日々の業務に意識を戻し、再び仕事に専念した。
昼近くなった頃だろうか。人の列がふと途切れた時、リラはふと隣の酒場への出入口に目をやった。すると先ほどの二人がまたやってくるのが見えた。二人の後ろには男が一人ついてきていた。長い髪を後ろに無造作に束ねた、するどい目つきをした男だった。その男はリラも知っている人物だった。何度か受付対応したこともある冒険者の男だ。
三人は受付にやってくると、ステラが代表のように一歩前に出てきて、
「三人でなら先ほどの依頼受けられますよね?」
と興奮した様子で聞いてきた。そして後ろにいるエルナと男を手で示した。
どうやらステラ達は経験のある冒険者に助けを求めたらしい。よく見つけてきたものだと、リラはこんなときに変な関心をしてしまった。が、男を見てこの人ならまあ、とこれまた妙な納得をした。
グリスというその男は酒癖が悪く、女好きとして有名だった。その素行のおかげでいまだに四級冒険者止まりだった。顔を赤くしているところを見ると、おそらく朝から酒場で飲んでいるところを若い女二人に持ち上げられてその気になって、二人の用心棒になることを引き受けたのだろう。
「ねぇ、お姉さん。いいですよね。モンスター退治の経験もある方が一緒なんですから。」
ステラは台に身を乗り出すようにしていった。
「えーと、グリスさんもそれでいいんですか」
リラは若い娘の勢いに若干たじろぎながらも、男の方へ確認すると、
「ああ、かまわねぇよ。この道の先輩として可愛い後輩のお願いは断れねぇからな」
と、グリスという男はいった。顔をほころばせて若い女二人にデレデレしているところを見るかぎり、彼女らに頼りにされたことでそうとう気を良くしたものらしい。でもまぁそれなら、とリラは思った。彼らの等級的にも組んで依頼を受けることにも問題はない。
性格にすこし難があるが、グリスの腕はたしかだ。普段の品行が良くないおかげで四級に留まってはいるが、剣の腕前だけでいえば三級上位並みの実力はあると見られていた。依頼の上で問題を起こしたこともない。それに女の前ではいいとこ見せようと格好つける彼のことだ。若い女たちを危険な目に合わすような迂闊な行動を取ることもないだろう。
「わかりました。ではグリスさん、一応確認ですのでタグの提示をお願いします」
グリスの四級の証である碧色に光るタグ・クリスタルを確認すると、リラは依頼契約書を三人に渡した。ステラは嬉しそうに契約書を受け取った。
記入を終えた契約書を確認すると、リラは改めて依頼内容を説明した。
「採取対象となる植物はこの街の北東に位置するアルバ村を望む山のふもとに生えています。こちらが地図と薬草の見本図になります。では依頼期間は本日から始めて三日間となります」
三人が依頼斡旋所と酒場のある冒険者の宿から出ていくのを見送ってから、いまさらながら妙な不安がリラの心に忍んできたが、考えすぎだろうとリラは自分に言い聞かせた。
が、数時間後リラの杞憂は現実となった。
三人の内の一人、ステラがモンスターに襲われて亡くなったことが知らされた。
─2─
ステラの遺体は一日宿の空き部屋に安置された。それから棺に入れられ、中庭にある倉庫に移動された後、ステラの親族が遺体を引き取りに来るまで街の霊堂に移し置かれた。十日後連絡を受けてやってきた親族はあまりに突然のことにひどく消沈していた。どうやらステラは家出同然に家族の元から離れ、勝手に冒険者となったものらしく、事情を知らされて両親二人は呆然としていた。
迎えにきた家族の馬車に棺ごと乗せられて、ステラの遺体は引き取られていった。
リラが後で聞いたところではステラの実家は裕福な商人の家柄だったようだ。そんな娘がなぜ冒険者になったのかと事情を知った者たちは皆そう思い、酒場での話題にもあがるくらいだった。しかし新人一人が亡くなったことなど数日で忘れられていった。明日があるかどうかもわからない冒険者にとって、いちいち死んだ人間のことなどいつまでも考えていてはいられなかったからだ。
しかし彼女の死を簡単に忘れられない人間が二人いた。
「ああ、あんたか」
その一人──グリスは酔眼でじろっと相手を見上げた。
「ごめんなさい。まさかこんな事になるなんて」
三人に依頼を任せた責任もあって、リラは開口一番にそういった。
ステラが亡くなってから十日近く経った日の昼さがり。リラはたまたま酒場で酔いつぶれているグリスを見かけて、思わず声をかけていたところだった。。
「別にあんたが謝るこたぁねえよ。あんたの注意も聞かずに勝手なことしたのはこっちだからな」
どこか投げやりな調子でそう言ったかと思うと、残っていた杯をいっきに呷った。杯を机に叩きつけるように置くと、机の上のすでに空けていた杯が揺れて机から落ちそうになった。
「だけど、くそ! これからどうすりゃあいんだよ。冒険者の資格こそ失われてはねえけど、しばらく依頼は受けられないときた」
グリスはリラに不満をぶちまけるように愚痴を酒気とともに吐きだす。
「明日だって剣士ギルドに呼び出しくらってるんだせ。最悪脱退ってこともあるかもしれねぇ」
生活費が窮迫していながら、それでも飲まずにはいられないのだろう。グリスの愚痴は次第に小さ呻きに変わっていった。
「少しいいですか?」
リラはそういって近くにあったイスへ腰かけた。
「ああ?」
グリスは机に伏せていた顔をあげた。憤りと嘆きの入り混じった悲惨な顔をしていた。
「貴方にとって思い出したくもないことでしょうが、あの時に起きたことを貴方がみたままでいいから話してもらえませんか」
「そんなこと聞いて、どうすんだよ。同情してくれんのか」
グリスは酔って濁った目でリラをじろっと見上げた。
「同情するかどうかはわかりません。ただ人に話すことでもしかしたら何か新しい発見があるかもしれないと思いまして」
「ふん。まぁ、いいけどな。はっきり思い出せるかどうかわかんねぇけど」
渋々といった様子だったが、グリスは徐々に思い出しつつ、その時のことを話し始めた──。
あの日冒険者の宿を出発したグリスと二人の新人は大通りから門を抜けて市外へ出た。それから二時間近くを歩き通して目的の場所へ着いた。グリスはともかく、若い二人の方も特に疲れた様子を見せないのは端くれとはいえ身体が資本の冒険者だけはある。
薬草の生えている場所はすぐに見つかり、女二人は草を摘み取り始めた。
ステラが楽し気に目当ての植物を見つけては声をあげている。その横でエルナも手元の紙と見比べながら、黙々と薬草を摘み取っては袋に詰める作業に従事していた。
グリスは一応辺りを見回しながら、二人が薬草を採取する姿を眺めていた。彼の腰にも革袋が下げられていたが、二人が薬草を採取するのを手伝おうとする様子はない。あくまで新人のボディガードに徹するつもりなのだろう。
袋一杯に詰め終わるまで三十分もかからなかった。依頼は二人が思っていたよりもあっさりしていた。後は街へ帰還すればそれで終わりだった。
三人は来た道を引き返し始めた。十分ほど歩いた頃だろうか。地図を見ていたステラが急に立ち止まり、道の左方を見わたした。
「説明にあったモンスタ―の生息してる場所って……この奥の方あたりですよね」
そして足を止めた二人に、
「まだ時間もありますし……少し寄り道していきません」
と、いたずらを提案する子供のように声を少しばかり潜めて言った。
「だ、駄目にきまってるじゃない。受付のお姉さんに言われたでしょ。そっちの方は危険だって」
エルナはすぐさま反対した。
「大丈夫だよ、エルちゃん。モンスターが出てきてもグリスさんがいるでしょう」
ねっ。とステラは同意を求めるようにグリスを横目で見た。グリスは迷った。用心棒としての役割を引き受けて同行した手前、彼女らを危険な場所に誘う真似はできない。しかし、ステラの甘えるような秋波に抵抗することはできなかった。
「ねぇねえ、グリスさんもいいでしょう。私たちモンスターってまだ実際に見たことないんですよぉ。それにグリスさんの強いところも、ね」
そんな風に言われてグリスもすっかりその気になってしまった。
「よし。じゃあ、少しだけな」気づいたらそういっていた。
「そんな! グリスさん!」
エルナが諫めるような声をあげた。
「うーん、まあ、あのあたりのモンスター程度なら問題ねぇって」
二人が道を反れていくのを見て、エルナも後についていくしかなかった。
道を少し外れるとひらけた場所に出た。しかしやたらに藪が多く、それらが疎らに位置しているために真っすぐ突き進むことはできなかった。
「お、来たぞ」
一匹の獣が向かってくるのを見てグリスが後ろに声を投げた。
体格は普通の狼と変わらない。しかし頭部に円錐状の角が生えており、足の爪も通常の狼より鋭かった。この周囲に生息する、討伐対象のモンスター。一角狼の姿であった。
一角狼は先頭を歩いていたグリスに襲い掛かった。牙を剥いて跳躍する。爪と角を同時に突き出す格好で飛んでくる。女達が後ろで悲鳴を上げた。
しかし飛びかかった狼は「がっ」と声をあげるなり、グリスの足元すぐ近くに音をあげて転倒した。グリスの手にはいつのまにか短剣が握られており、顔を断ち切られた狼は血に濡れた身体を断続的に震わしていたが、ほどなくして絶命した。
ステラとエレナは目の前で起こった出来事に我を忘れたようになって、しばし呆然としていた。我にかえったステラがすっかり興奮したように、
「すごい! すごい! ほんとうに強いんですね。グリスさん」
「なあに、この程度。大したことはない」
そういいながらも、グリスは自信ありげな態度で剣を振って血を落とし鞘に納めた。それから懐からナイフを取り出すと、跪いて目の前の一角狼の死体へ刃先を入れた。馴れた手つきでモンスターの身体を解体していく。斬り取った牙や角、毛皮といった部位を開けた袋にどんどん入れていくのを見て、これも放心していたエルナがハッとしたように、
「あの……依頼に無いのに勝手にモンスターの遺体を持ち帰ったりして大丈夫なんですか?」
といった。
「ん? ああ、不意に襲ってきたので自己防衛のためやむなくとかなんとか適当に理由つけときゃ大丈夫。せっかくの素材元を放りっぱなしにすんのも勿体ねぇ話しな。ま、そっちへの報告とかは俺がやっとくから。気にすんなって」
「はぁ」
そういわれても、エルナは心配そうな目で、グリスが作業のように解体を続けるのを見つめていた。
グリスが事を終えて立ち上がった時、そろそろ日も落ちはじめていた。
ステラはすっかり初めての冒険に満足したようだった。それでもまだ探索を続けたい様子に見えたが、こんどこそエレナが強く引き返すことを主張した。ステラも今度は反対しなかった。
いざ帰還しようと、元の道へと戻り始めたとき、目の前の藪が音をたてた。三人がハッと身構える。藪の隙間から一角狼が姿を現し、その後ろからまた二匹ほどが出てきた。
グリスは三匹の姿を確認すると、持っていた革袋をエルナの手に預けた。低級モンスターといえど三匹同時に相手するには少しでも身軽な方がいい。女達を守るように前に出た。正面の一匹が飛び込んできた。狼が勢いそのままにグリスの後ろに着地したとき、四肢に頭部はついていなかった。反射反応で二歩ほど動くとふらふらと揺れてから力なく倒れた。頭のあった場所から流れる血が草を不気味に赤く染める。
残る二体が最初の襲撃の顛末を見て一瞬怯んだ。その一瞬を捉えてグリスは攻撃に出た。右側にいた二匹目はほとんど棒立ちとなったまま、野生の獣らしくもなくほぼ無防備の態勢で頭を断ち割られていた。
三匹目がようやく戦意を取り戻し、身構えたがすでに遅かった。二匹目を倒したグリスの短剣は三匹目の方へすでに狙いを定めていた。刀身が血の線を引いて、走った。
グリスが最後の一匹を骸と変えた。そのときだった。
背後から凄まじい悲鳴が聞こえた。グリスがハッとして後ろを振り返る。それとほとんど同時にどこかでガサッと木か草の擦れる音をグリスの耳は捉えていた。
エルナの腕の中でステラが胸を血に染めて倒れているのが見えた。
「ステラが、ステラが」
悲鳴の主はエレナだった。泣いて取り乱している彼女の手も胸も血に濡れて真っ赤になっていた。グリスは急いで二人へと近づいた。
ステラはすでに事切れていた。ステラの胸元をみて、グリスは前に知り合いが一角狼に突き刺された時にできた傷を思い出した。一角狼の角は疣のような小さい突起に覆われ、先端だけが異様に鋭い。そのためそれに刺されると傷口は特徴のある歪となって残る。ステラの胸に空いた傷口はそれとそっくりだった。
「ステラっ、目を開けて、ステラ!」
エルナが必死に呼びかける声をグリスはただ呆として聞いていた──。
「なるほど」
リラはグリスの話を聞き終わると頷いた。それから、
「二つ確認したいことがあります」
といった。
「ん?」
相手は訝しむように相手を見た。
「ステラさんを襲った獣ですが、その後どうなりました。追いかけたりは──」
「いや、してねぇ。こっちも突然のことで混乱してたから。すぐ引き返すことしか考えてなかったな」
「エルナさんは」
「あいつはずっと泣いて取り乱してな。もう一人は背中で冷たくなって重い荷物になってるしで、うんざりしたぜ」
グリスが机に片腕をついてその時の事を思い出したように憤る。大きなため息が漏れた。
「二つ目の確認です。グリスさんはステラさんが例の獣に襲われるところを確かに見たんですか?」
「ああ。だから云ったろ──」
「いえ、ステラさんが獣に刺される瞬間をちゃんと目撃したかということです。話を聞くかぎり、グリスさんは悲鳴が聞こえて振り返った。その時、藪が鳴る音が聞こえ、胸を血に染めたステラさんが倒れているのが見えた。だけど実際にはステラさんを刺したはずの獣の姿は見ていない」
「うん? あ、確かにそうだ……。いや、でも他に考えられねぇだろ」
リラはそれについては返答もせず黙っていた。顔を俯けて何事か考えているようだった。それからようやく口を開くと、
「もしかしたら、もしかしたらですよ。あくまで推測に過ぎない話なんですが……」
と、切り出した。
「あん?」
「ステラさんを殺めたのはエルナさんではないかと──」
リラは思い切ったように云った。
「何ぃ?」
グリスは間の抜けた声をあげ、驚愕したようにリラの顔を凝視する。
「可能性としてはエルナさんはまず後ろから刃物でステラさんの胸を刺して殺した。実践経験がないとはいえ、冒険者の卵ですから。訓練所で戦士の特訓を受けた彼女なら刃物の使い方も生物の急所も十分熟知していたでしょう。それにまさかステラさんも友人に刺されるとは思ってもいないからまったくの無防備。ナイフでも短刀でも十分にやれたでしょうね」
リラはぽかんと固まってしまったようなグリスにも気がつかないように一人話し続ける。
「それから貴方の袋から、すでに採取されていた獣の角を取り出して傷口に押し込み、傷口を偽装した。その後悲鳴を上げると同時に、持っていた角を藪の中に放り投げる。もちろんこれは証拠を隠蔽する必要からだったけれど運がよかったというかタイミングよく振り返ったグリスさんは藪がざわめく音と血に塗れて倒れたステラさんを見て、モンスターにやられたと錯覚した──」
リラはそこまでいってようやく顔を擡げた。
「──んじゃないでしょうか」
まだ唖然としたままだったグリスがそこでようやく、
「驚いたよ……」
と小さく呟いた。気つけ薬を求めるように残っていた酒を呷った。
「そんなとんでもねぇ事考えつくなんてよ」
「驚いたって……私にですか?」
リラが憮然としたようにいった。
「あったりめぇだ。大人しい顔してよくそんな事を平然と……。しかし……そ、そうだ! 理由がねぇよ。なんの理由があって彼女が人を、それもよりにもよって友人を殺すんだよ」
「さぁ、それは。二人だけしか知らない事情があったのかも。といってもステラさんは死ぬまでエルナさんに襲われるなんて考えなかったみたいですから、友達だといってもステラさんの一方通行的な関係だったのかもしれませんね」
「…………」
グリスはリラから顔をそむけると、
「で、どうすんだ」
と聞いてきた。
「どうとは?」
「何かの処置をとるのかどうかってことだよ」
「いえ。特に」
「何だって! 何もしねぇのか」
「だって証拠もないただの憶測なんですよ」
「そりゃそうだが、だけどなぁ……」
グリスは何と言えばいいかわからず、言葉尻が小さくなっていった。
「あっ、それはそれとして、あの時のアレってどうされました?」
唐突にリラがいった。
「な、なんだ?」
「ステラさんが亡くなる前にモンスターを解体したって言ってましたよね。その時解体した部位を入れた袋ですよ」
「ああ、あれならまだ商店の親父に預けたままだ。ごたごたしててそのまま忘れてた」
「そうですか。中身もそのままですよね。ちょっとお店にいってみませんか。新しく確認したいことが出来たので」
リラは立ち上がると、グリスの返事も聞かずに、酒場の入り口へ向かう。相手の勢いにつられたのか、それとも彼女の話を聞いて純粋に好奇心が動かされたのか、グリスもふらふらとリラの後に付いていった。
─3─
リラとグリスは冒険者の宿の前にある通りに並んだ店の一つにはいっていった。冒険者用の武具の販売や修理、素材の買い取りを行うアルゴ商店の店主が、ガッシリとした体躯とともに店の奥から姿を現した。
「おお。グリスか。また新しい女連れて結構なことだな……。ん? いや、珍しい連れだな。どうしたい、受付嬢やめて冒険者にでもなるつもりかね」
「いえ、ちょっとお伺いしたいことがありまして」
リラとも顔見知りだった店主としばらく世間話を続けてから、グリスはいった。
「親父、前に預けていった素材袋だがまだ金に換えてねぇだろ」
「ああ、あれならまだお前が何にも言ってこないから保管したままだ。どうする? 今日換金してくか?」
「いやそれはまだいい。だがもう一度確認したいんで、ちょっと出してきてもらっていいか」
「そりゃいいが……どうした? 何ぞ気になることでもあったかい」
「俺じゃねぇ。こっちの受付の姉さんが見てみたいっていうからよ」
「ふうん、そうかね。若い娘が見て気持ちいいもんじゃないがな」
奇態なものを見る目でリラを眺めてから、店の親父は奥にむかって怒鳴った。
「おい、ドルカン!」
それからすぐ、
「ちっ、昼食いに出てたな、そういや」
そうつぶやきながら店の親父は外に出ていった。少しして戻ってくると、手にぶら下げた皮袋をリラに渡した。
「ほら、こいつだ。こんなもの見てぇなんて姉さんも変わった人だな」
主人から袋を受け取ると、リラは中を開けて見た。
斬り落とされた、乾いた血がついたままの牙や肢、毛皮が乱雑に詰め込まれてあった。あまりいい見物ではなかった。何より慣れないものには血と獣臭のまじった匂いは強烈すぎた。
顔をしかめたリラの横でグリスも中を覗き込んでいる。不思議なことに、モンスターの生臭い匂いにも慣れているはずのグリスも匂いに当てられたように顔をしかめていた。
「ほれ見ろ。馴れねぇ奴にゃあきついだろう。なんだ、グリス。お前さんもそんな顔してよ」
じっと目を見開いて袋の中を見つめるグリスの顔を覗きこむと、店の親父が不思議そうに云った。
リラはやがて袋の口を閉じると、
「ありがとうございます」
といってからグリスに手渡した。受け取ったそれをカウンタ―の台の上に置くと、
「もう少しだけそっちで保管を頼む」
そういってから、グリスはリラを伴って店の戸口へと向かう。店主の親父は二人がやたらこわばった顔をして出ていくのを訝しむように見送った。
─4─
通りを宿へと戻りながらグリスとリラは黙ったまま歩いている。
「どういうことだ……」
店と宿の中程まで来たところで、ようやくグリスが呟くようにいった。
「俺はたしかに入れたはずなのに……」
袋の中にあるはずの獣の角が消えていた。その事実と先ほどのリラの推測話が今グリスの頭の中に渦巻いて錯乱した
グリスはリラの方を窺うように見て、
「これが証拠になるんじゃねぇか。彼女しかアレを抜き取る機会はなかったんだぜ」
「さあ、どうでしょう。角が袋に入っていたかどうかはグリスさんの証言だけですから。エルナさんが否定すればどうしようもないです」
「そうか……」
グリスは再びむっつりと黙ってしまった。が、またすぐ口を開いて、
「奴はその後どうしてる?」
「あの後も何度か依頼を受けに来てましたけど、最近はあまり……」
二人はそのまま宿に入ってくると、グリスは酒場に、リラは依頼斡旋所のある部屋に向かった。
リラは受付カウンタ―の横にある扉から事務室を抜けて窓口に入ると、ちょうど手の空いた後輩の女の子に声をかける。
「ごくろうさま。交代しましょう」
「おはようございます。リラ先輩今日は午後からですか」
後輩の女の子とリラはそう年齢も離れていないが、もうリラには出来ない若さであふれるほどの眩しい笑顔を送ってきた。
「ええ。何か変わったことはなかった?」
そう聞かれて、後輩の若い娘は、
「今日は特に依頼関係でのトラブルは……。あっ、そういえばあの新人の方がひさしぶりに見えましたよ。最近友達が亡くなったっていう。先輩結構気にしてましたよね、あの事故の事」
といった。
「エルナさんが来たの? 依頼ってどんな」
「ほら、あの事故があった時彼女たちが受けてた依頼。あれと同じ薬草採取の依頼がまたあったみたいですね。で、エルナさんそれを見てどうしても依頼を受けたいっていうんで」
「任せたの?」
「はい。何度か依頼をこなしていたみたいだから経験的にも問題ないと思って」
まずかったですか、と不安げな顔をする後輩に、
「いえ、なんでもないの。さぁ後は任せて」
そういって受付の準備を行うリラ自身不安げな顔をしていた。
ただ彼女にもその杞憂の正体が何なのかはっきりとしない。それだけに余計焦燥感が募ってくる。そのせいかどうか、彼女としては珍しく事務上の小さな間違いを一時間で三つもしてしまった。訳の分からない不安を抱えたまま、のろのろと焦燥した二時間が経過した。
突然酒場が騒がしくなったようだった。外でガヤガヤと音がしたかと思うと、扉が乱暴に開けられ、四、五人ほどの男女が慌ただしく入ってきた。後ろの方にいた二人が前に出てくると、抱えていた物を床にそっと降ろした。客もまばらだった酒場の中が急に騒めいた。皆が床に視線を落とすと、動揺したような声があがった。
簡易に木で組まれた梯子のような担架に乗せられていたのは若い娘の遺体だった。ここへ運ばれてきたことから女が冒険者だったことを示している。床の担架を囲むように人の輪ができた。
受付に並んでいた人達も隣の部屋の様子を見て、なんだなんだといって酒場へ入っていく。リラ達も彼らの後を追うように隣の部屋へと向かった。
「どうしたってんだ、一体。モンスターに襲われたんだって?」
リラが酒場に入っていった時、輪のすぐ前方にいた男が、遺体を見下ろしながら、近くにいた一人に向かってそう聞いているのが耳に入った。
その若い男は遺体を運んできた内の一人らしく、相手に向かって釈明するように喋りだした。
「いや、参った。務め終わって帰宅しようとしたら、途中の道でやたらカラスが騒いでやがるもんで、場所が場所だけに気になって行って見りゃあこの娘が」
「どこだい場所は?」
「アルバとフリーダを通る街道のはずれだ。籔のやたら多い」
「心臓を上手い具合に刺されてるな……。あの辺りだと……一角狼か」
「ああ、発見する前に角が血に濡れた奴を一匹見たから間違いねぇ」
「様子からしてもいきなり襲われて即死ってとこか、運がなかったな」
「見たとこ新入りじゃねぇか。若い身空でなあ……」
男たちが交わす会話の声もリラには聞こえていないようだった。いつのまにかグリスが横にきていて、彼もじっと床に視線を落としている。リラも再び男の視線を追うように目をやった。エルナは彼女の友人と同じように胸を血に染めて眠るように横たわっている。
その時リラは彼女が握っているものに目がいった。それは血に濡れた一本の、根元から斬り離された獣の角だった。