四、ピアノ
私がピアノを習い始めたのは、三つ年上の姉の影響だった。
初めは弾けるようになるのが楽しくてピアノ教室へ行くのが楽しみだった。
姉は天才少女と噂されるほどの才能を発揮し、母にとっても自慢の娘になった。
それに比べ、私は人並み。
「どうしてお姉ちゃんのように弾けないの?」母にそう問い詰められるたび、私の気持ちは重くなった。
それでもピアノを続けられたのは、先生のおかげだった。
先生は思うように上達しない私にも根気強く向き合ってくれた。
姉のレッスンをする時よりも真摯に、工夫を凝らしてくれていたようにも思う。
「どうして先生は私を褒めるの? みんな、お姉ちゃんの方がすごいって言うのに」
ある日のレッスン終わり、私は先生に聞いてしまった。
先生は少し困ったように笑って、私の頭を撫でる。
「先生もね、あなたくらいの年の頃にはあんまりピアノが上手じゃなかったの。昔の自分と似ているから、応援したくなっちゃうのかな」
時に優しく時に厳しい先生の指導のおかげで、私は念願のプロピアニストの道へ進むことができた。
けれど、評判はイマイチだった。
ある日のディナーショー前。
いつもお世話になっているホテルのオーナーさんに声を掛けられた。
「申し訳ないんだが、今日で契約を終わらせてほしい」
「えっ!? どうしてですか?」
「君の演奏はいつも同じ調子だろう。よく言えば安定、悪く言えば変わり映えしないんだよ。それならCDを流しても変わりはしないだろう?」
うちも経営がなかなか厳しくてね。
そう言って苦い顔をされては返す言葉がない。
私は失意のままステージに立つこととなった。
そうして演奏したのはショパンのノクターンだった。
これからどうしよう。そんな不安に苛まれながらの演奏は散々なものだった。
こんなひどい演奏をしてしまったら次の仕事がなくなってしまう。
茫然自失としながら楽屋へ戻ると、いつになく笑顔のオーナーが待っていた。
「やればできるんじゃないか! お客さんたちも今日のような演奏がまた聴きたいと言っていたよ」
この調子でこれからも頼む。
そう言って手を握られて、私は豆鉄砲で撃たれたような反応をしてしまった。
基本に忠実な演奏ももちろん大切だが、お客さんにも伝わるようなわかりやすい感情の表現を取り入れれば良いのだ。
それを改めて実感し、目の前が光に包まれたように感じた。
それから数年、私は世界中を飛び回るピアニストになった。姉や母も私の躍進を喜んでくれている。
そんな折に地元での凱旋コンサートが決定した。
恩師であるピアノの先生も来てくれると聞き、私は胸を躍らせて本番に挑んだ。
「どうして私の言った通りにしないの」
コンサートの後、楽屋に来てくれた先生の第一声がそれだった。
驚いて言葉を失う私をよそに、先生は叱責を続けている。
「せ、先生……。でも、今の演奏法に変えてから色々な演奏会に呼んでもらえるようになったんです」
困惑しながら発した私の答えが気に食わなかったのか、先生は険しい顔で鞄の中身を取り出した。
それは、手のひらに収まるサイズの果物ナイフだった。
「あなたには私の代わりに頑張ってほしかったけれど、無理なようね」
そう言うと、ナイフを構えた先生がゆっくりとこちらへ近付いてきた。




