二、どうも
大学受験を控えていた年の、風が強い夜だった。
勉強をしている私を、風に吹かれて舞い踊るカーテンが襲った。
それも一度や二度ではない。
払いのけては襲われ、襲われては払いのけを数分ごとに繰り返していた。
あいにく部屋にはクーラーも扇風機もない。
何とかしてカーテンを留めようと努力したが、それも徒労に終わり勉強に集中できずにいた。
とはいえ大切な模試も目前に迫っていたので諦めて窓を閉めようと席を立つ。
引き戸に手を掛けると、外を通りかかった男の人と目が合った。
「どうも」
男の人が軽く会釈する。
スーツに整髪料を使ってきっちりと固められた髪型。仕事終わりであろう時間にも関わらず、ネクタイの結び目も綺麗だった。
通りかかった部屋の住人に挨拶するくらいだから、ずいぶん真面目で礼儀正しい人なんだろう。
「……どうも」
私も彼に合わせる。
一瞬の沈黙が流れ、男は何事もなかったかのように歩き去った。
――なんか変な人だったなぁ。
そう思いながら窓を閉め、再び問題集に視線を落とした。
「……、あ!」
そこでようやく私は気付く。
――ここ、マンションの五階だよ!?
あの男の人は、たびたび私の部屋に訪れるようになった。
と言っても「どうも」と会釈して通り過ぎるだけ。
幽霊のストーカーなんて、洒落にもならない。
出てくる時間もバラバラで、私が窓の方を見た瞬間を狙い澄ましているのではないかと疑ってしまうくらいタイミングよく現れる。
カーテンを閉めて拒絶しても、カーテン越しに彼の影がお辞儀をして通り過ぎた。
「どうも」
出産のために里帰りしていた私の元へ、今日も彼は訪れた。
ああ、まだ彼はここを通っているのだな。そう思いつつ窓の方へ視線を向ける。
「どうも」と返そうとして、彼の視線が私に向いていないことに気が付いた。
彼がじっと見つめているのは、私の腕の中にいる生まれたばかりの娘だ。
彼はずい、と身を乗り出して窓すれすれまで顔を寄せ、娘をじっと見つめたまま再度声を発した。
「どうも」