十六、三途の川
僕は花畑にいた。
見渡す限り、色とりどりの花が咲き誇る草原に。
名前も知らない花の間を進むと、小川のせせらぎが行く手を阻んだ。
――なに、なんてことはないさ。たかだか数歩で渡り切れる。
見たところ大した深さもないようなので、靴を履いたままで足を踏み出した。
同時に聞き慣れた声が耳に入ってきた。
「おい、さっさと渡れ」
「キモいぞ。早く行けよ」
口々に暴言をぶつけられ、声のした方へ向き直る。
つい先程まで僕が歩いていた川岸にクラスメイトが数人立っていた。
彼らは顔を歪め、あっちへ行けと合図を送ってきていた。
何を、と僕は彼らに向かって一歩を踏み出す。
「イヤァっ」
女の子の悲鳴が空を切り裂いた。
顔を覆い崩れ落ちたのは、見紛うこともない。僕の片想いの人だった。
「来ないで、お願い……」
彼女は、震える声で懇願する。
どうして僕はここまで嫌厭されなければならないのだろう。
一体何をしたというのだ。
うつむくと涙が落ちた。
川に落ちた涙は、清流と同化して流されていく。
震える肩に力を込め、顔を上げる。
クラスメイトたちに背を向けて目を開けた。
涙で潤んだ視界に映ったのは、荒れ果てた土地だった。
空は紫に染まり、枯れ木の枝が死神の手のように僕を招いて揺れる。
そっちへ行けとみんなして促すのだ。
――ああ。これは三途の川だ。みんな僕に死ねと言っているんだ。
絶望に包まれて、荒廃した向こう岸へフラフラと歩き出す。
その時、背後から腕を掴まれた。
「夕飯できてるから帰るよ」
今日はあんたの好きなハンバーグにしたんだから。
そう小言を言いながら僕の手を引いて歩くのは、三年前に他界したはずの母だった。
母は僕の手を引いたまま花畑をずんずんと進んでいく。
それがなんとも言えず心強かった。
目を開けると、いつものベッドの上だった。
首を括ったはずのネクタイだけが頭上でゆらゆらとさまよっている。
死に損なったな。
苦笑しながらベッドから起き上がった。
その時、足首に冷たいものが触れる。
僕の寝巻の裾は川に入った後のようにずぶ濡れだった。




