十三、日めくり
日めくりカレンダーをめくる。その行為は何気ない日常のひとコマだ。
それが非日常への鍵になるなんて誰が想像しただろう。
あれは、二月も半ばに差しかかった頃だった。
その日一日私は妙な感覚につきまとわれていた。
周囲の会話や出来事に覚えがある気がするのだ。
昼休みに同僚の一人が愚痴を言い始めた時にはたと気が付いた。
雑談の内容も、上司の小言も、窓の外のサイレンも、昨日とそっくりそのままなのだ。
まるでもう一度同じ日が訪れたようだ、と携帯を開く。
ディスプレイに表示された日付は、前日のものだった。
最初は携帯が故障したのだと思った。
会話の符合も、きっと偶然だろう。
ところが。
新聞を見ても、テレビをつけても昨日と同じ。私は釈然としないまま一日を終えた。
その後も何度かタイムスリップをして同じ日を過ごした。
それが起こるのは決まってカレンダーをめくり忘れた時だった。
一見すると何の変哲もない日めくりカレンダーなのだが、どうやらこれが原因らしい。
試しに二枚同時にめくってみると、私は翌々日に飛ばされていた。
色々な人にそれとなくカレンダーの話をしてみたが、時間を自由に操れるカレンダーのことを知っているのは私だけのようだった。
私は時間を操れる優越感に浸りながら会議などの嫌な日を飛ばし、楽しかった日を何度も満喫した。
とはいえ、どんなに楽しい日でも何度も繰り返していれば次第に飽きてくる。
そうなればカレンダーをめくらざるを得ない。
時を進めることはできても、戻すことはできない。
その事実がカレンダーをめくる手を鈍らせたこともあった。
しかし、ついにカレンダーはクリスマスを終え、年の瀬の物悲しい薄さになってしまった。
そして、仕事納めの日。
「一年間お疲れさま。この一年でずいぶん明るくなったんじゃない?」
いつもは厳しい上司がそう言って微笑みかけてくれたのだ。
思えば、今までの私は先の見えない未来に怯え、委縮していたのだろう。
あのカレンダーと出会えたことでリフレッシュの時間も多く確保でき、気持ちにもゆとりができた。
年が明ければもう時間を自由に操ることはできなくなるだろう。
けれど、大丈夫。
この一年で私は自分との上手な付き合い方を知ることができたから。




