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犬は歩けど棒に当たらず

作者: 茶碗虫

 教授は分からず屋だ。頭が固く、古臭い考えという檻にとらわれ続けている。自ら望んでなのか、あるいは否応なくなのかはわからないが、とにかく頭が固い。頑固で、()が強い。というように、ここまで彼に当てはまる悪口の数々を列挙してみたが、私は彼をそこまで嫌っているわけではない。むしろ、気に入っているまである。


 おそらく、私の思考回路と教授の思考回路が似ていることが原因だろう。友人たちは口をそろえて嫌いだというが、私はそうではなかった。彼の研究に対して、少なからず興味を持っていたため、冗談にも嫌いとは言えなかった。そのせいで友人たちからは、かなりの物好きだとよく言われる。


 教授の研究は、簡単に言うと「揚げ足取り」だった。具体的に言うと、ことわざなどの古くからの言い伝えの真偽ないし信憑性(しんぴょうせい)を確かめるという研究だ。彼の性格を考えれば、いかにも彼に似合う研究だと言えよう。しかし、彼を揶揄(やゆ)できるほど私は達者ではなかった。


 私はひそかに、教授の論文を読みあさった。彼の研究は意外にも、高い評価を受けているらしかった。ただし、「研究が」ではなく、「馬鹿げたテーマながらそれに真摯(しんし)に取り組む姿勢が」だ。実際に彼は、真面目にもほどがあるほどの実験を繰り返して、さまざまな結論を提示してきた。例を挙げるとするならば、膨大なデータを分析して、雨の前兆と呼ばれるものごとが正しいのかを調べたり、急いでいるときに本当に回り道をすべきなのかを調べたり、安物を買うと結果的に損をしているのかを調べたり。これまでの代表的な研究を見るに、かなりの時間とお金を費やしているようだった。そして、そういった論文に目を通していくうちに、もともとあった好奇心が、破裂寸前の風船のように膨らんでしまっていた。教授の手伝いに名乗り出るのに、そこまで時間はかからなかった。


 私は、教授の授業を1つだけ履修していた。学生の間では「楽単(らくたん)」、つまり「『楽』に『単』位がとれる授業」と呼ばれている授業だったが、私だけは真剣に学習するつもりでこの授業を履修している。学習意欲を持て余している私にとっては、授業中の講義だけでは、なにかが物足りなくて、講義終わりに頻繁(ひんぱん)に教授をとっつかまえては、あれやこれやと質問をしていた。楽単と呼ばれていることを心得ているのか、教授は講義が終わるとすぐに帰りがちだった。私がそこを呼び止めると、決まって教授は素っ頓狂な声を出す。それが面白くて、いつの間にか癖になっていた。


 教授の手伝いに立候補したときも、いつものように講義後に教授を呼び止めた。論文をよく読んだこと、研究に携わりたい旨を伝えたところ、意外にも簡単に許可が下りた。本当に意外だった。「頭が固いおじさん」という下馬評にも似たレッテルを、自分の想像以上に無意識に信じ込んでいたのかもしれない。


 具体的にどう手伝うかは、皆目見当もつけていなかった。自分から発案することはなんとなく(はばか)られたので、教授の指示をしっかり守ることを意識した。ひっくり返せば、典型的な指示待ち人間であったともいえる。それでも、自分のプライドに基づいて、最低限の協力をした。


 論文で察していたとおり、地味な作業ばかりだった。たくさんのデータを分析して、ことわざの真偽を確かめる。私も教授も、幸か不幸か生真面目な性格であったから、あまり苦だとは思わなかった。ある意味、この研究テーマに最適な二人だったのかもしれない。


 その日、初めて私は自分からテーマを提案した。単純なデータの収集で導き出せるであろう研究テーマだ。教授は面白そうだと言って快諾してくれた。


 早速研究にとりかかった。研究には、特定の動物を必要とした。ただ、非人道的な手段で痛めつけるとかではなく、ごく普通の観察を目的として。


 観察には時間を要した。数値にすれば3か月ほど。それだけの間観察を続けた結果、私の仮説は正しいということが分かった。


「本当は気づいてたんじゃないのか?」


 論文作成の作業中、教授が突然口を開いた。夕方の研究室には私と教授しかいなかったから、その言葉が私に向けられたものであることは疑いようもなかった。


「何にですか?」


 私はとぼけてみせた。


「俺がこんなことをしている理由、その結論、全部。このテーマの発案こそが根拠だ」

「……なんのことですか」


 私はやっぱりとぼけてみせた。私が教授に協力したのは、エゴだ。自分あるいは学生たちに内在する教授への負のイメージを払拭(ふっしょく)してみせることを目標に手伝いをしてきた。いや、正確に言えば、その払拭(ふっしょく)が私のこれからにも役に立つと考えて、手伝いをしてきたのだった。


「ただ、勘違いするなよ。俺はお前が思っているほど、頭が固いわけじゃない」


 教授はそう言って、また作業に戻った。部屋は静まり返って、キーボードをたたく音だけが不規則に(ひび)いた。そうだった。私は見誤っていた。教授は、頭が固いわけじゃない。不器用で、だが不器用なりに真面目なのだ。だから、結論なんて最初から知っていたのだ。犬は歩こうが棒に当たらないのである。

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