37.思い出の
アスファルトに反射した日差しが眩しい。日傘をさしてきたのに、これじゃあ意味が無い。日焼け止めも塗っておくべきだった……と今更のように後悔する。ぐおお、と色気の欠片もないうめき声を上げながら、グラウンドでかけ声をしながら汗だくで走る運動部らしき皆さんを横目に、目的地を目指して進む。
バスと電車を乗り継ぎ、揺られること一時間。朝早く起きたから、危うく電車の中で寝落ちするかと思った。寝落ちしたら今ごろ見知らぬ駅にいたと思う。方向音痴と評されるだけあって、目的地の真反対を向かっていることに途中で気が付き、何とかスマホのマップを駆使してようやくたどり着く。
水の流れる音、木々のざわめき、温い風が髪を揺らす。ああ、ここだ。まだわたしが何も知らなかった頃、そーちゃんとよく来ていた川。河川敷には多少ゴミがあるけど、芝生の部分はキチンと揃えられているし、手入れもされている様子。この辺りでは、夏になると蛍が見れる貴重な場所として有名らしい。だから、綺麗に保たれているのかも。
河川敷のベンチに腰を下ろし、さらさらと流れる川をのんびり眺める。川には魚が泳いでいるのか、時折ぴちょん、と水がはねる音がした。穏やかで、優しい時間が過ぎていく。目を瞑り、この半年のことを振り返る。
憧れの高校生活は、思っていた以上にハードだけど、楽しい。可愛い制服を着るって夢も叶った。友達も出来たし、情報屋みたいな裏の世界の人との関わりも持っているけど、今のところは平和そのもの。色々あったけど、わたしは平和な日々が続くなら、それはそれで構わない。
……イツキ先輩のことや、そーちゃんのことも、少しずつ考えなくちゃ。花火大会の夜以降、イツキ先輩とは会っていないし、そーちゃんとは普通に接している。何事も、なかったかのように。でも、このままじゃダメなんだと思う。しっかりとケジメをつけなくちゃ。
川に来るからと、サンダルできてよかった。段々日が真上に来て、気温も上がってきたからサンダルを脱いで川に入る。ひんやりした川の水に冷やされ、しばらくの間綺麗なガラス片を見つけて遊んだりしていた。夢中になっていたら、水分不足か照り付ける日差しにやられたか、くらくらしてきたので川から上がる。
途中、見つけたミントグリーンのガラス片をポケットに入れて帰る支度をしていると、見覚えのある二人が歩いてくるのが見えた。慌てて木の裏に隠れ、身を縮める。歩いてきたのは、情報屋と凛だった。
頬を桃色に染め、とても幸せそうに微笑みながら、ナチュラルなメイクを施した凛はべらぼうに美人だった。白色のレース素材のワンピースが清楚な感じがして、明るすぎない茶髪を緩く巻いて今時のモテ女子、って感じがすごい。
隣を歩く情報屋は、どこかぎこちなさそうな表情を浮かべているけど、爽やかな青色のシャツに白のパンツとこちらも清潔感があってお似合いのカップルに見える。わたしには、情報屋が何か、言おうとしているように見えた。
これは聞いちゃダメなやつ、そう思いそろそろとその場から立ち去ろうとしたけど、反対側にはいちゃこらしているカップルがいて、挟まれたわたしに逃げ場はなく、仕方なく木陰に腰を下ろした。木にもたれかかり、目を瞑ると幼い記憶が蘇る。
「どかーん!」
「わぶっ。六花! 川は浅く見えてもいきなり深くなったり流れが早くなったりするから、危ないんだぞ!」
「見てぇ、そーちゃん! キレーな石だね」
「話聞いてる?」
夏の太陽に向けると、キラキラといろんな角度から見ても輝いているそれを手に持ち、そーちゃんに自慢すると呆れたような声が返ってきた。そうだった、そーちゃんは昔からしっかりしていて、よく暴走するわたしを止めたり制御したりと器用な子供だった。
今思えば、しっかりせざるを得なかったんだろうなって、胸が痛む。まだ十歳にも満たない子供が、どんな気持ちで過ごしていたのかなって、想像するだけでつらい。本人は、きっともっとつらかったんだろうけど。
呆れながらも、わたしの暴走に付き合ってくれるそーちゃんは、どこまでも優しい心を持っている。そーちゃんのような、優しい人間になりたいと思った。病院のベッドの上で、長い眠りから覚めた時、成長したそーちゃんを見たあの瞬間から、わたしはそーちゃんに惹かれていたのかもしれない。
自分の気持ちに見て見ぬふりをしていたのは、イツキ先輩の存在も、わたしの中で大きかったから。茶目っ気があって面白くて、年上なのに大型犬を連想させるわんこ系男子。イツキ先輩から告白を受けた時、なんと答えたらいいのかわからなかった。気持ちを受け入れることは出来なかった。わたしが惹かれたのはそーちゃんだから。でも、同時にイツキ先輩にも惹かれていたのかもしれない。
不誠実な人間なのかもしれない。案外、わたしは卑怯だったんだと、今更のように思う。幼い頃、絵本を読んでもらったことがある。どっちつかずのコウモリのお話。AとBが戦っていて、Aが優勢ならAにつき、Bが優勢ならBにつく、最終的にはどちらからも攻撃されて死んじゃうコウモリのお話。わたしは、そんなコウモリと同じかもしれない。
「嫌です!」
突然聞こえてきた凛の泣き叫ぶ声に、ビックリして考え事に耽っていた意識が浮上する。木陰から少し覗くと、凛は泣き崩れて情報屋に縋り付いている。情報屋は、珍しく本気で困った様子で凛を宥めながらも、離れようとしている。嗚咽を漏らしながら、凛が必死な様子で離れまいとしている。
「う、うち、は……! 犬飼さんが、ずっ、ずっと、好きで……! あぶ、危なくでも、いいっです! そば、に、いたい!」
「……君の、大切な時間を僕が奪ってしまったことは謝るよ。思わせぶりな態度を示したことも、謝る。でもね、君は僕とは住む世界が全く違う。自ら危険な道に入る必要は無いんだよ」
「いや、です。……いやです……!」
とうとう凛、告白したのか。情報屋は、振ったんだ。でも、友人のわたしからしても、普通に育ってきた凛が情報屋の恋人になれるとは思わないし、オススメもしない。わたしだって、境界線に立っているからこれ以上はこっち来るなって注意受けてるぐらいだし。
いつもみたいにバッサリ振らないのは、多分……うん、多分だけど、情報屋も凛のことが好きだからだと思う。好きだから裏の世界に来て欲しくない、好きだから振り払いたいけど上手く出来ない。何だ、情報屋、案外人間らしいね。なんて感想を抱くあたり、わたしも相当感覚が麻痺している。
「――じゃあ聞くけど、犬飼という人間は本当に存在していた? 君の中だけの幻想に過ぎなかったんじゃないのかい?」
「え……」
「僕は君に、一度たりとも本心を話したことは無いよ。ここまで言っても察することが出来ない?」
「いぬ、犬飼さ……」
「じゃあね」
青ざめ、力が抜け茫然としている凛から離れていく。情報屋の姿が見えなくなってから、ショックを受けた状態で涙を流し続ける凛は見ていてとても痛々しい。躊躇いがちに嘘をついて、凛を突き放した情報屋も、わたしの目には痛々しく見えた。出会わなかったら、こんなことにならなかった? でも、出会えたからこそ変わったことだってあるはず。
「凛」
「りっ、か……?」
ぎゅーっと、抱きしめる。目が溶けてしまうんじゃないかってぐらい涙を流す凛を抱きしめて、頭を撫でる。指の隙間から流れる髪の毛は、この日のために整えたのか、とてもサラサラしている。しばらくの間無言でなでなでしてから、凛をまっすぐ見る。
「わたしは凛の友達だからね。大丈夫」
「六花……う、うう。うううう……!」
「盗み聞きしてごめんね。思い切り泣いても、大丈夫だよ。凛」