36.イツキ先輩の抱えていたもの
母さんは、病弱なりに懸命に俺を育ててくれた。たまに見せる子供みたいに無邪気な笑顔が、何よりも大好きだった。父親の所へ引き取られた際、母さんの形見は全て捨てられたよ。まるで、母さんの存在を消すみたいに、何もかも新しいものに変えられた。
まともに育ってやるもんか、迷惑をかけてやる――そんな気持ちで毎日毎日喧嘩を繰り返した。容姿に恵まれたおかげで、女にも困らなかった。母さんがいなくなった喪失感を埋めるように、女遊びも繰り返した。今思えば、俺も父親に負けず劣らずの屑だよな。
中学にまともに通ってなかったから、無理やり入れられた通信の高校に何となく通ってた。二年になって、目車の顔見るのもいい加減嫌になったし、喧嘩すんのも飽きたからそろそろ学校も辞めようと考えてた頃だったんだ、六花ちゃんと出会ったのは。
弱々しい初対面の印象に、母さんを久しぶりに思い出したんだ。だけど、接していくうちに子供みたいに無邪気に笑う姿や、不意に見せる大人びた表情……くるくる変わる色んな六花ちゃんを見て段々好きになっていった。目車に対しての、対抗心もなかったと言えば嘘じゃない。けど、六花ちゃんを想う気持ちは本物だよ。暴走した結果、怖がらせてしまったけれど――――
長い昔話を終えたイツキ先輩は、項垂れたようにうつむいたまま。しばらくして、顔をあげてわたしに泣きそうな顔で笑った。それから、驚いたように目を丸くする。イツキ先輩のわたわたする様子に、笑いたいけど口角は上がるどころか勝手に涙が溢れて来る始末。
「どこか痛い? また苦しくなった? 六花ちゃん――」
「ちが、違くて。イツキ先輩、ずっとずっと苦しかったんだなって、寂しかったんだなって……。独りぼっち、つらかったんですよね? 何で笑うんですか? 泣きたい時は、泣いてもいいんですよ」
ぼろぼろ溢れて来る涙を拭いながら、わたしはイツキ先輩の昔のことを考えて、つらくて苦しい気持ちになる。どうして、こんなにもつらい出来事を笑いながら話せるんだろう? ずっと一人で抱えてきたはずなのに、つらくないわけ、ないのに。
わたしは凛みたいに誰かを受け止められるほど、立派な人間じゃない。まだまだ子供で、ちょっとしたことで不貞腐れたりする。それでも、イツキ先輩が受けた心の傷が少しでも癒えるのなら、泣く時に肩ぐらいは貸せる。……わたしとイツキ先輩の身長差を考えると、イツキ先輩の首とか痛くなりそうだけど。
泣き続けるわたしに、頭上でイツキ先輩の「ああ、全く」と何かを諦めたような声が聞こえたかと思うと、抱きしめられた。すっぽりとイツキ先輩の腕の中に収まったわたしは、驚きと戸惑いで固まる。頭の上に、イツキ先輩の顎が乗せられる感触が伝わる。
夜の公園だけど、街灯もそれなりにあるので、人通りも結構ある。傍から見たらわたしとイツキ先輩はどう見えるんだろう? 以前より随分やつれた様子のイツキ先輩を見ると、不思議と恐怖心はわいてこなかった。
それにしても、昔話にさりげなくわたしへの告白も入れてくるあたり、流石女慣れしてるなぁって思った。けど、いざ告白されると意識するものは意識するわけで、でも花火大会の出来事――そーちゃんのこともあって、わたしの頭はそろそろパンク寸前。
そもそも、わたしは恋愛とはそういうものに興味があまりないのだ。全くないわけじゃないけど、今はこう、高校生だぜ! っていう青春を存分に楽しむというか、ね! そんなわけなので、脳の構造上恋愛感情をわたしに理解しろというのは無理なのです。
イツキ先輩は、泣いているわたしを落ち着かせるように、背中を優しくぽんぽんする。おかしい、おかしいぞ、わたしがイツキ先輩の涙を受け止める側のはずがなぜこんな状態に……。うーむ、むむむむ。やはりわたしはまだ未熟ということか。すっかり涙も引っ込んだところで、頭の上に乗せられた顎がカクカク動く。あのー、地味に痛いんですけど。
「六花ちゃんはさぁ、やっぱり優しいね。菩薩かよ」
「いやあの、そのボケにどう突っ込めばいいのかわからないし、顎が動くと地味に痛いです」
「はは、ん? 何か鳴ってるよ、六花ちゃん」
「あ! 電話だ――」
マナーモードにしていたので、全然気が付かなかったけど、スマホの画面を開くと通知が何件もきている。そうだった、皆から離れてしまったから、きっと心配させてしまったんだ。しかも、今電話をかけてきてる相手はそーちゃんだ。出ようかどうしようか迷ってると、イツキ先輩がパッとわたしからスマホを取って電話に出た。
「イツキ先輩――!?」
「あー、もしもし目車? 六花ちゃん、お前に会いたくないみたいだから俺が面倒見とくわ。んじゃ」
「ええ!?」
電話口にそーちゃんや真理夏の騒ぐ声が聞こえたけど、イツキ先輩は無視して電話とスマホの電源を一緒に切ってしまった。呆然としていると、さっきまでのしんみりした空気を吹き飛ばすように、わたしをひょいと横抱きにして持ち上げる。
えええ!? いくら暗がりとはいえ、お姫様抱っこは恥ずかしすぎる……! って、そうじゃない! このまま、またイツキ先輩の家に監禁――とか? そんなことを考えていると、イツキ先輩は何か勘違いしていると察したのか、すぐにわたしをベンチの上に下ろしてくれた。
「おんぶの方が目立ちにくいか。はい、背中乗って、六花ちゃん。情報屋が借りてるマンションに連れて行って上げるから。あとは情報屋に任せるし」
「え――」
意外な言葉に、ポカンとしているとにゅっと近付いてきた指に軽くデコピンをされる。うー、痛い……。おでこを抑えて涙目のわたしに、イツキ先輩は歯を見せて爽やかに笑う。それから、申し訳なさそうな顔でポツリと言葉をこぼした。
「好きな子に、これ以上怖い思いさせるつもりはないよ」
「イツキ先輩……ごめんなさい、わたし」
「あー、ストップ。振るのはやめてね。好きでいるのは俺の勝手だよね?」
「……ずるいです」
大人しく背中に乗って、おんぶされた状態でそう呟くと「ずるいのはどっちだよ。あー、くそ」とか何とか呻いてた。何のことだろう、さっぱり分からない。とりあえず、イツキ先輩の大きな背中に体を預けているうちに、眠くなってそのまま寝てしまった。