閑話 真理夏の平凡な日常
同僚に挨拶を済ませ、早足で帰路を急ぐ。夏の暑さは、夜になっても中々引かない。肌や髪にまとわりつくような生ぬるい風は決して心地のいいものとは言い難く、早く冷房の効いたマンションの一室へ帰ろうと電車に乗り込んだ。
今日は少し時間が押してしまったから、いつものように人でごった返した車内とはまた違っていて、何だか不思議な気持ちになる。席も確保できたことだし、鞄を肩から下ろして膝の上に乗せる。背もたれに体を預けるようにして、流れていく街の明かりを眺める。
スマホを取りだし適当にニュースやらチェックしていると、手の中でスマホが振動する。届いたメッセージを開くと、一通目が従兄弟の爽弥からで、二通目は友人の六花から。二人は今日、最近出来たばかりのプールに行ってきたようだ。
爽弥――そうは、こと細かく報告してくれた。六花はざっくりと。お互いの性格が出るなぁと内心苦笑いしながらも読み進めていく。どうやら、ほんの少しではあるが……六花にも自覚が出てきたらしい。数日前の水着選びの時に発破をかけたのがよかったみたい。
まぁ、一番はそうの素直過ぎるリアクションよね。あいつ、六花の可愛い水着姿に顔を真っ赤にしていたらしい。簡単に想像できて、電車の中で一人笑いをかみ殺す。強面イケメン、運動も勉強も出来て近寄りがたい雰囲気醸し出してるくせに、六花が関わるととことんぐだぐたになるところが面白い。
ここまできて、ようやくちょっとだけ意識されたってのが、不憫と言えば不憫だけど。そうは、昔から六花のことを一途に想い続けていると言うのに。――仕方ないとは、思う。六花は、普通の高校生とは少しだけずれているのだから。二人に返事をしながら考える。あれはまだ、そうが小学四年生の時のことだった。
珍しく泣きじゃくりながら帰ってきたそうを見て、組の連中は若を泣かせたやつはどこのどいつだと大騒ぎしていた。そうは父親の愛人との間に出来た子供で、幼いながらに自分を取り巻く環境の異常さに気付いていたのか、グレるのが早く喧嘩っ早い性格だった。そうの家は、所謂ヤクザだったのである。
幼いそうの面倒を見ることが多かったあたしは、何とか事情を聞き出した。聞くに、学校で唯一そうと友達になってくれた女の子が自分を庇って車にひかれてしまった……と。事故にあった女の子はすぐに救急車で運ばれていったが、もし死んでしまったらどうしようと思い泣けてしまったんだと、話してくれた。
正直に言うと、驚いた。喧嘩ばかりしているあの従兄弟が、ここまで誰かを思い涙まで流せるのかと。あたしは事故から少し経ったある日、泣きそうな顔のそうを連れて、事故にあったという女の子が入院する病院へ行った。ぐずるそうを宥め、「頑張れ」と小さく応援した。
病院の外で待っていると、しばらく経ってそうが出てきた。女の子の意識が戻ることはないだろうと医者が話しているところを、たまたま聞いてしまったとか。それでも、そうは何度も女の子の病室へ足を運んだ。女の子が目を覚ますことを信じ、通い続けた。相変わらず喧嘩ばかりしていたし、制服は着崩しているけど……女の子が目を覚ました時に責任を感じないようにと、行くつもりがないと言っていた高校にも通っている。年々そうから笑顔が消えていくのが、少し怖くはあったけど。
六花が目を覚ましてからも、色々あったわねぇ。そうの誕生日を祝った年に、あたしは久しぶりに笑うそうの姿を見た。思わず涙ぐみそうになったのは、誰にも言っていない。ダメね、年を重ねるごとに涙もろくなる気がする。中々に密度の高い半年だった。何やかんやあって六花と友人になり、この間はブールに着ていく水着がスク水しかない! と相談を受けたので一緒に買い物へ行ったりもした。
素直だし天然入ってるし、恋愛沙汰にはとことん疎いのに、可愛い顔してヤクザの家に乗り込むなんて無茶な真似するところもあって。裏の世界と表の世界、その境界線に立っているような子。情報屋との繋がりなんて、いつの間に作っていたのよ、まったく。本当に――見ていてやきもきするしハラハラする。
最寄り駅についたところで、電車からおりる。最寄り駅から自宅のマンションまでは徒歩で五分ほど。駅から少し離れた住宅街へ入ると、街の喧騒が少しだけ遠ざかる気がした。マンションへ入り、エレベーターに乗り込む。友人の六花や、従兄弟のそうのことを色々と考えてしまうのは、あの子たちからしたら余計なお世話かもしれないわね。
カードキーで玄関の鍵を外し、中に入って鍵が閉まっていることを確認してから靴を脱ぐ。スーツを脱いで半袖のTシャツに短パンとラフな格好に着替える。一人で寝るには大きすぎるベッドに寝転んで、スマホをいじっていると足元に絡みついてくる生き物へ視線を向ける。
「ただいま~。いい子にしてた?」
「うにゃあ」
愛犬ならぬ、愛猫のぶち丸である。名前はオスっぽいけど、れっきとしたメスだ。よくそうから「ネーミングセンスがない」と言われるけど、ぶち丸の名前はダントツらしい。どこがだろう? ぶち丸、可愛くてとっても素敵な名前だと思うんだけど。お前もそう思うよね~、とぶち丸を抱き上げると、アーモンド型の目で見つめ返してくる。
はああ~! うちの子、可愛すぎる。何、天使かなにかなの? うちのぶち丸以上に可愛い猫、この世に存在するのかしらって思ってしまうぐらい可愛い。すりすりと顔をすり寄せてくるぶち丸の可愛さに、仕事の疲れなんてあっという間に吹っ飛んでしまう。
「ぶち丸~!」
もふもふのお腹に顔を埋めて至福の時を過ごしていたら、やり過ぎたのか猫パンチを食らってぶち丸は部屋の隅に行ってしまった。ああ……あたしの天使が。お風呂でも入るか。時間も時間だし。昼間かいた汗を洗い流してさっぱりしたところで、湯槽に浸かりながら考えることは、従兄弟のこと。
あたしは女だし、母が頑として娘を裏の世界に入れることは許さなかったから、こうして普通に会社員をやっていられる。でも、そうは違う。少し前まで跡取り候補だったわけだし、あの子はちゃんと、自分で自分の道を切り開いていけるのだろうか。
……頭がくらくらしてきたから、そろそろ上がろうそうしよう。涼しい部屋でベッドの上で大の字になる。明日休みだし、お酒飲んじゃおうかな。考えすぎはよろしくない。ほろ酔い気分でさっさと寝てしまおう。
冷蔵庫から缶ビールを取りだし、おつまみのさきいかやチーズをテーブルに並べ、一人寂しく「かんぱーい!」と言ってビールをジョッキに注いで飲み干す。あー、美味しい。居酒屋に行って飲むのも嫌いじゃないけど、家ならどんな格好でいようが構わないからいいのだ。
さきいかを口にくわえながらスマホを見る。六花は、大人の女性はカッコよくて仕事場でも家でも完璧! なイメージを抱いているので、酔っ払った勢いで何となくこういう大人もいるのよ的なつもりで写真つきのメッセージを送ったら、「普段のしっかりした真理夏も好きだけど、気の抜けた姿の真理夏も好きだよ」とまさかの可愛すぎる返しにあたしのほうがダメージを食らった。
二杯目を飲み干し、いい感じに酔っ払ったところで、寝ることにした。タオルケットを冷えないようにお腹だけあてて目をつむる。……こういう、どこにでも転がっていそうな平凡な日常が、いつまでも続きますように。そして、あたしの大好きな友人と従兄弟が、幸せになれますように。特に、そうの初恋は早く実るといいわね!




