29.わからなかった
さっきまでの冷たい目から一転、熱っぽい視線を向けてくる。これから何をされるのかわからなかったけど、本能が恐怖を伝える。のし掛かってくるイツキ先輩を押すけどびくともしない。男の人の力がこんなに強いなんて、知らなかった。嫌だ、怖い怖い怖い! 助けて、そーちゃん……!
「いやっ、だ!」
顔が近付いてきたから、思いきり顎めがけて頭突きをしたら鈍い音と共に、イツキ先輩の体が力なく崩れた。悲鳴を上げかけたけど、なんとか飲み込みぐったりしている体からずるずると這い出る。
多分、しばらくは目を覚まさないだろう。そう信じたい。見付からないように、真理夏を連れて逃げ出す! とりあえず警察に連絡をしなくちゃ。リュックを取り上げられなくてよかった。携帯を取り出したところで、ひょいと誰かに取り上げられる。
驚いて携帯を取り上げた相手を見ると、女の人が、立っていた。でも、なんか見たことのあるような……? 口を開こうとすると、人差し指で軽く押さえられる。
「また君に貸しが出来てしまったようだ」
くすり、と笑うのは情報屋の声。じょ、女装! 元が可愛い顔立ちをしているだけに、中々似合っていてちょっとムカつくけど、今はそんなことを気にしている場合じゃない。真理夏は、と聞くともう車に乗っているらしい。
真理夏、無事でよかった……っ。ほっと安堵して、女装した情報屋と二人隠れながら外へ向かう途中、後ろからイツキ先輩のすがるような声が聞こえた。思わず、走る足が止まる。
「イツキ先輩……」
「どうして? ねぇ、六花ちゃん……どうして? 俺のこと、嫌い? 俺は、六花ちゃんのこと好きだよ。目車のやつみたいに突き放して傷つけたりしない、大切にするって、誓う。だから――」
「こんな方法で、大切にするなんてよく言えたな」
木櫻さんをつれて現れたのは、そーちゃん。情報屋が、呼んでいたのだろうか。わたしを庇うように前に立ち、イツキ先輩と睨み合う。情報屋に服を引っ張られ、早く車に乗るように言われるけど、イツキ先輩の泣きそうな顔にその場からすぐに立ち去れない。
優しくて、カッコよくて、面白い……そんなイツキ先輩と一緒にいて、楽しかった。だからこそ、どうしてこんなことをしたのか知りたかった。学校での姿はすべて偽りだったのか、それとも本当の姿も混ざっていたのか。
イツキ先輩は口を閉ざしたまま、わたしはそーちゃんに手を握られて情報屋の車に乗せられた。車の中には言っていた通り真理夏がいて、無事でよかったとお互い泣きそうになる。
「あとは、ふたりの問題だね」
情報屋はそれだけ言うと、車を走らせた。疲れきっていたわたしは、静かな車の中でいつの間にか眠りについてしまった。眠りにつく直前まで、イツキ先輩の言葉を考えていた。
どうしてあんなことをしたのか、イツキ先輩は何を考えていたのか、好きだから監禁しようとするなんて発想は普通あり得ない。でも、必死な気持ちは痛いほど伝わってきた。だからこそ、わたし自身イツキ先輩のすがるような声に足を止めてしまった。
ねぇ、どうしてですか? イツキ先輩。何を恐れていたんですか。何を求めていたのですか。わたしには、最後までわかりませんでした――ねぇ、イツキ先輩。
目を覚ますと、ベッド脇の椅子に腰掛けたそーちゃんと目が合う。助けてくれてありがとう、そう口を開く前に、真理夏の顔がにゅっと現れた。ビックリして固まるわたしを外に、真理夏が頭を下げた。
「ごめんなさい、六花。脅されたからって、あんなことに巻き込むなんて――ううん。脅しなんて言い訳ね。あたし、怖かったのよ。だから、六花を巻き込んだ……」
真理夏が唇をキツく噛み、顔を歪ませる。わたしは、何と声をかけたらいいのかわからず、ただ言葉の続きを待つ。場に沈黙が落ちる。すると、そーちゃんが真理夏の頬をつまむ。
「ひょ、ひょう……?」
「真理夏が家族想いなのを利用したのは、六花もわかるだろ。いいんだよ、六花が危険な目に合ったら、俺が助けに行ってやるから。……安心しろ」
真理夏の頬をつまみながら照れ臭そうに、視線をさ迷わせるそーちゃんを見て、自然と口元がほころぶ。まるで、わたしのヒーローみたいだ。自分で言って照れるところが、また可愛い。
泣きそうな顔で、真理夏が小さな声で「ありがとう」と言ったのが聞こえた。しかし、しばらくして復活したのかさっきのそーちゃんの言葉に不満が合ったようで文句をたれる。
「助けるのは六花だけなわけぇー? 真理夏お姉ちゃんはー?」
「……うぜぇ」
「ふふ、何だかんだ言ってもそーちゃんは優しいもん」
笑いながらこぼれたわたしの言葉に、なぜか耳まで赤くしてそっぽを向いてしまった。