26,風邪っ引き
「へっくし!」
朝から、めまいがひどかった。体もいつもより熱い感じがしたし、変だなーとは思う。昨日雨に濡れたのが不味かったのか、鼻がむずむずする。電車の中では何とか席を確保できたけど、人混みに押されてホームにおりて学校へたどりつく頃には、ふらふら。
目の前がぐるぐるして、まるでジェットコースターに乗ったあとみたいな……それに加えてひどい頭痛もして体調は最悪。やっぱり昨日濡れたのがいけなかったようだ。見事に風邪を引いてしまった。
すぐに保健室に向かおうとしたところで、意識が遠退く。あ、これ結構ヤバイかも。寒気がひどいし、体の力が抜ける。鞄が床に落ちた音を最後に聞いて、わたしは気を失った。
おでこ、冷たい……。ひんやりとした感触に目を覚ますと、白い天井と白いカーテン。一瞬病室が頭をよぎり、飛び起きた。ベッドサイドの椅子に座っていたそーちゃんが、慌てたように寝かせようとする。
「今、何年!? また数年間も寝てたとか、ないよね?」
「落ち着け、六花。大丈夫、熱で一時間ほど寝ていただけだから」
安心させるような言葉に、ホッとして力が抜ける。柔らかい枕が頭を受け止めてくれるかと思いきや、まだ溶けきらない氷枕が硬く受け止めてくれた。い、痛い……。でも冷たくて、気持ちいい。保健室まで運んでくれたの、そーちゃんかな。
カーテンがいきなり開き、イツキ先輩や凛たちが顔を覗かせる。そっか、今は休み時間なのね。だから皆来てくれたんだ。久しぶりに見るイツキ先輩は、相変わらず爽やか系イケメンですごくキラキラしているけど、そーちゃんの姿を見た瞬間顔を歪めた。
しかめっ面で見られたそーちゃんも、睨むようにイツキ先輩に視線を向ける。今にも喧嘩が始まりそうな空気の中で、先に視線を逸らしたのはイツキ先輩のほう。そーちゃんではなく、わたしを見る。
「姉さんのバイトの日、雨に濡れたのが原因だろ?」
「店長さんは送ってくれようとしたのを、わたしが断ったからです。むしろ、次のバイトの日までに治るか心配で……。ご迷惑を――」
「大丈夫、姉さんは六花ちゃんの心配するだろうし、今は風邪を治すのに専念しな」
「ありがとうございます。そーちゃんも、運んでくれてありがとう」
「ああ」
授業が始まり、皆が慌ただしく教室へ戻っていった。一人保健室に残されたわたしは、うつらうつらしながらも考えてしまう。自分の意思関係なしに気を失うことを、こんなに怖がっている自分がいたなんて。
自分の意思で眠りにつくのとはまた違う感覚。起きたときに、またおいてけぼりになっていたら? 六年間の遅れは、中々取り戻すことは難しい。周りとの間に広がる感覚の差。
自分だけ小学生のまま、高校の中に放り込まれたような――そんな違和感が、ここ数ヵ月付きまとっていた。だいぶ周りに追い付けたと感じる瞬間があっても、こうして考え込むとどうしても違和感を拭いきれない。
仕事を早めに終えて迎えにきた、お母さんの車で家に帰る。家に向かう途中の車の中、学校でずっと考えていたことを、ついもらしてしまった。独り言のつもりで自嘲気味に呟く。
「……わたし、まだ小学生のままなのかな」
「大丈夫、子供の成長はとっても早いもの。六花だって、ちゃんと成長していること、母さんちゃんと見ているわ」
独り言のつもりだったのに、まさかお母さんが反応するとは思っていなくて驚く。驚いているわたしを外に、運転席に座るお母さんは、まるで言い聞かせるように言葉を続ける。
「あんなに小さかった子が、今やバイトをしているんだもの。もっと、誇りなさい。考え方も、行動も、成長しているから。……母さんね、本当はずっと心配だったのよ。爽弥君と関わるのも、止めてくれた時は正直ホッとした。でも、あなたが爽弥君を庇って事故に遭ったって聞いて――最初こそ恨んだわ。でもね、目を覚ましたあなたが楽しそうに爽弥君と関わるのを見て、反省したの」
ずっと、心配をかけてしまったであろうお母さんの告白。色々考えさせてしまっていたんだ、わたしが眠り続けていた六年間も、ずっと葛藤とかあったんだろう。でも、最終的にわたしを信じて、口出しすることもなく見守ってくれている。
知らなかった。心配をかけていたのはわかっていたつもりでいたけど、全然わかっていなかった。わたしは、やっぱりまだ子供だ。同じ年の子と比べて幼い部分もあると思う。それでも、誇っていいと言われたから、卑屈になりすぎるのはよそう。
わたしはわたしだから。つい誰かとくらべてしまうし、きっと何回でも同じように考え込んでしまうこともあるだろうけど、それでもわたしは自分のいいところを見つける。見つけることが出来たら、自分を褒める。
そーちゃんと今も関わっていられるのは、お母さんが葛藤しながらも、見守ってくれているからだ。それに感謝して、また頑張ろう。今は休む、とにかく休む。体が弱っていると、心も弱ってしまうから。
熱が下がるまで二日を要し、その間わたしは氷枕で首を冷やしつつ、体は温めて水分もしっかりと取る。完全に回復するまでに、土日をまたいで五日間もかかった。