うけつぐもの
体の免疫機構って不思議ですね。
これはまだ、人が文字をもたない時代。
ダラカノトヒという地域に、小さな村がいくつもありました。
そこで人々は生を受け、育ちます。やがて愛を育み、最後にその生を終えていきます。
しかし、すべての人がそうではありませんでした。
魔物。
人にあらざる脅威が、人々の営みを壊すことがありました。
いくつもの村が襲われ、悲しみに暮れる中、それでも人はその中で懸命に生きていきました。
その脅威に怯えながら……。
そんな中、ある村に突如として見知らぬ男がやってきました。
その姿は雄々しく、その目は猛々しいものでした。
しかも、獣の皮をかぶったその姿に、人々は新しい魔物が現れたと思いあわてました。
あるものは、はるか遠くに走り去りました。
あるものは、その場で動けませんでした。
あるものは家の中にこもり、じっと息を殺していました。
そんな中、一人の少女が男に近づき、尋ねました。
「私は、ビー。あなたは、誰?」
幼気な少女の瞳。そこに自分の姿を見た男は、申し訳なさそうに謝りました。
その顔はさっきまでと変わって、とても優しいものでした。
「驚かしてすまない。私はワク・チン。あなた達を救いに来ました」
男は優しい笑顔のまま、少女を肩に乗せ、そう宣言しました。
「さあ、みなさん。私の話を聞いてください。もうあなた方は、魔物に怯えない暮らしをおくるのです」
そして男は、村々を回り、魔物のことを教えていきました。
ある魔物は、穴に落ちやすいので、落とし穴を掘ること。
ある魔物は、塀が越えられないので、高い塀を作ること。
ある魔物は、右にしか曲がらないので、そういう道をつくって追い出すこと。
ある魔物は……。
ある魔物は……。
そうして、いつしか村々は、魔物から襲われなくなりました。
人々は魔物の脅威から解放されたのです。歓喜の声を上げて、人々は男をたたえました。
英雄ワク・チンと。
そして、恐れるものがなくなった人は、それからどんどん村を発展させていきました。
ですが、人々は忘れていきます。魔物は追い払っただけだということを。
怯えるものがなくなった人は、やがて人同士で争うようになりました。そうして人は、魔物よりも、人に対する守りをするようになりました。
男は危険を訴えます。
「魔物はいなくなったわけじゃない。守りを忘れてはいけない」
男の訴えは、最初は人々の心に届いていました。まだ、魔物の脅威を知る人が多くいたからです。
ですが、そう言い続ける男の言葉はやがて人々に届かなくなります。何故なら、魔物はいっこうにその姿を現さなくなったからです。
人々はやがて、男の言うことを聞かなくなっていきました。
それでも、男は叫びます。
「守りを忘れてはいけない。脅威を忘れてはいけない」
何年も何年も、男は一人で村々を回って、魔物に対する備えをしていました。
しかし、その備えは、時と共に朽ち、人の手によって作り変えられてしまいます。
それでも男は訴え続けました。体の動く限り、声の続く限り、男は訴え続けました。
やがて、男も年をとり、もう一人では魔物の備えを維持し続けることができなくなっていました。
そんな男に、声をかける女がいました。
「もういいでしょう、あなた。あなたが守りたかったものは、あの村だけは残っています。さあ、帰りましょう」
女の言うその村は、男が暮らす村の事でした。男が最初に降り立ち、最初に出会った少女と暮らす村でした。そこだけが、唯一、男の話を守り続けていた村でした。
「ああ、ビー。そうしよう……」
男は力なく頷いて、肩を落として歩き出します。
そして時が過ぎ、男は息を引き取りました。
その姿は、英雄と呼ばれたのが嘘のように痩せ衰えていました。男との別れは、男の暮らした村だけでひっそりとおこなわれました。
ほとんどの人が知らない男の死。ですが、それを待っていたかのような出来事が起こります。
魔物たちが、いきなり押し寄せてきました。
かつて追い払われた魔物たちは、決していなくなったわけではない。人々はかつて魔物の脅威から救ってくれた男の言葉を思い出します。
魔物の姿を見た時に。
しかし、男が暮らした村だけは、かろうじて魔物を寄せ付けませんでした。
男が暮らした村に住む人々は、男に感謝をしていました。この村の人々は、ワク・チンの言葉を忘れることはありませんでした。
そして、村々を襲った魔物は、いつしかその姿を消していました。
「さあ、あなたがお父様の遺志を継ぐのです。メモリー」
ビーはそう告げて、娘を送り出します。
魔物に抗う方法を、まだ生き残っている村の人々に伝えるために。
(了)
はしか騒動は忘れた時にやってきますね。
最初は童話で書きたかったのですが、途中で変更してしまいました。
童話の基準が分からなかったので、いつか勉強して、この話を童話にアレンジしてみたいな……。
ワクチンは大事なものだし。
2019年4月3日、改稿しました。