『月の逢着1』
うっすらと、メイジーの身体が透けていた。纏っていた火の粉が小さくなり、光量としての役割を失っていく。
フレアの『夢現』の魔法が消えかけているようだ。
『どれだけ遠回りでもいいからよぉ、必ず俺のことを助けに来てくれよ』
「絶対に助ける」
『待ってる♪』
安心したようにメイジーがはにかんだ直後、その姿は霧のように霞んで跡形もなく消えてしまった。
ノイの夢に棲んでいると言っていたから、眠っていたノイの目が覚めたということだろうか。
氷越しにメイジーへと触れる。冷ややかな風に撫でられた身体が微かに震えた。
「メイジー……」
つんつんと服の裾を引っ張られる。
「行こうよハヤテお兄ちゃん。ノイバラお姉ちゃんだけじゃなく、カースお姉さんにも関係ある人がこの奥にいるんでしょ?」
名前が出たカースの方をチラリと見る。
カースは後ろめたいことがあるかのように、逸らした視線を地面へ落とした。
因縁の相手がどんな人かわからないけど、嫌な予感がする。
怨念や憤怒、悲嘆などの負の感情を色濃くなるまで煮詰めたものが、奥からドロドロと流れ出てきている感じだ。
奥の道へ向かってぐいぐいとアステに背中を押された。口にしてなくとも「先に行って」と要求されてるのがわかる。
小さく「なんで俺が……」とぼやくと、アステに背中を小突かれた。
「ハヤテお兄ちゃんならあの『嫌な空気』を吹き飛ばせるでしょ!」
「いや、『禊祓』はそんなに万能じゃないぞ。まあやってみるけど」
呪文となる言葉を探すため、『禊祓』の魔法が発動した時のことを思い出す。
最初はリラとの蟠りが無くなり、和解した瞬間。リーフェルを助けられなかったリラと、リラの優しさに気付けなかった俺の罪が祓われた。
二度目はトールが俺への思いを告白した時。トールのことを信じ、犯した罪の真実を懺悔してくれるという約束を信じたことで罪が祓われた。
三度目はフレアが『封印』の魔法を破った影響で罰を受けていた時。フレアの罪がどんなものかわからなかったけれど、俺が誰かの代わりに赦すことで罪が祓われた。
四度目は――とにかく、発動した時に共通した発言があった。きっとあれが呪文に当たるんだろう。
「どんな罪だとしても、俺が赦す……」
呟いてみたが、なにも起こらなかった。
「あれ……?」
「未だに扱いきれぬとは、未熟者め」
すぐ感情的になって、雷で『拒絶』してくるトールには言われたくない。
そういえばトールは『奪取』に憤怒するみたいだけど、それって本来なら炎か幻の魔法の大罪じゃないか?
雷と光の魔法は色欲――ある対象を魅了する体質で、トールは『動物』を魅了する。つまりもう一つ魔法を宿している?
……なんて、今は考えている暇じゃないな。
「ハヤテがまだ『禊祓』の魔法を使いこなせないなら代替案があるわよ」
カースが上から目線の状態で、己の知識を誇るように胸を張った。闇と影の魔法の大罪である傲慢だ。
「風の『加護』がどれだけの範囲に影響するかは未知数だけれど、ハヤテの近くにいれば問題ないと思うのよね」
「え? それって……」
示し合わせたようにアステ、カース、トールの順で抱き着いてくる。
「出発しましょう!」
「は~い」
「ああ」
「いや、動けないから!」
三人を引き剥がし道の前に立つ。地下だから少し淀んでいるけれど、地上との繋がりがある限り、風は存在する。
呼吸を小さく、風音に耳を澄ませる。
風の『加護』はカースによると、他者が俺を守るように風に命じているらしい。俺を守る力の副産物として、ほんの少し風を使役する力があるんだとか。
俺が自分のものであるかのように『加速』や『隠蔽』の魔法として風を操れていたのは、『禊祓』の魔法が同じ風属性だったから適性があったらしい。これもカースが推測してくれたことだ。
「風よ、我らを守れ」
風が俺の呪文に応え、身体へ鎧のように纏わりつく。
俺に触れた部分から、三人にも風の抱擁が広がっていくのがわかった。
一歩、二歩と、安全を確認するために進んでみるが、とくに問題はなさそうだ。そのまま普通に歩き始める。
「……どうせなら『禊祓』の魔法も呪文で発動できればいいんだけど、同じように祈ってるはずなのに発動できないんだよな」
「そうねえ……」
「大和ノ国では言葉には意味があり、魔力が籠ると考えられている。罪を赦す禊としては正しいが、穢れ祓いとして適した言葉ではない」
言われてみれば、「罪を赦す」なんて汚れた空気を祓う言葉の表現としては不適切だったな。でも、何て言えばいいんだ?
とりあえず思い付いた言葉を口にしてみよう。
「ええと、けがれ? を祓え!」
特に何も起こらなかった。赤っ恥をかいただけな気がする。
心なしかアステが笑いを堪えているように見える。
「祝詞を使ってみたらどうだ」
「ええと、祝詞って大和ノ国特有の文化で、神に対して祈りを奉納する時の言葉だよな?」
「そうだ。弟は童謡を呪歌としていた。ハヤテにも馴染む言葉というものがあるのではないか?」
馴染む言葉……大和ノ国は生まれた土地だけど、育ったのはナチュレ国だ。どっちかと言えばナチュレ国の言葉が馴染み深い気がするけど……
「うぅ……」
アステの唸り声に振り返ると、口の端から血が垂れていた。
呼吸が乱れ、目の焦点が合っていないのか頭がふらついている。
「アステ!?」
「やはり一人分の『加護』では防ぎきれないということね……」
苦しそうなアステの顔は青ざめている。倒れないよう、アステと手を繋いでいたカースが肩を支える。
「トール! 祝詞を教えてくれ!」
「すまない。私は巫女ではないからわからない」
申し訳なさそうな態度に心が痛む。確かに祝詞は神事に携わってなければわからないことだろう。
だいぶ進んでしまったから、道を戻るにも時間がかかる。アステの体力が持つかもわからない。
アステを助けるためには、俺が『禊祓』でここを浄化するしかないのに、どうしたらいいんだ。
「あ」
ふと、ある言葉が頭に浮かんだ。風の音がそう聴こえただけかもしれないけれど、なぜか昔から知っていたような気もする。
そこ言葉が、自然と口から紡がれる。
「……我らを害する悪しき穢れを、祓いたまえ清めたまえ」
強い風がぶわっと光を撒き散らして広がった。一瞬だけ地下道が照らされる。
重苦しい淀んだ空気が消え、清々しい爽快感に包まれた。
アステの呼吸も楽になったようで、険しかった表情が和らいでいる。
「なるほど、土地に根付いた言葉を用いることで魔法の行使や強化ができるという考えもあるのね」
悔しげにカースが手帳へメモをしていく。
魔法や魔術に精通していても、国独自の考え方までは知らないんだろう。特に大和ノ国は鎖国していたから情報が入って来なかっただろうしな。
……成り行きとはいえ、どうしてカースは魔道書を奪って逃げずに、レインに預けて俺らと一緒に行動してるんだろう?
俺の視線に気付いたカースは小さく首を傾げた。
「なんでもない。早く行こう」
気合いを入れ直して先へと進む。
ある程度道が浄化され、ようやくみんなが離れてくれて歩きやすくなった。
元気になったアステがとてとてと走りよってくる。
「ねーねー、ずっと気になってたんだけど」
「ん?」
「どうしてカンテラ持ってないの?」
「あー……ええと……」
純粋な疑問故に言い淀んでしまう。まだアステには話すつもりがないことだった。
「海原にて、海賊に盗られた」
「海賊って……」
「北斗七星という手練れの集団だった」
悲壮感溢れていることから、アステへ話すのを躊躇した理由について察したようだ。
「そっか……ギンシお兄さんはその海賊に殺されちゃったんだね……」
アステを取り戻しに行かなければ、海賊に襲われることはなかった。
そもそもアステが拐われなければ、船に乗るという選択肢もなかった。
アステにとってこの罪は、全ての責任が自身に帰結してしまうだろう。
「ごめ――」
「ギンシは私にとっての忠臣だった。謝罪は彼の志を侮辱する行為だ」
ギンシの死を誇るように、トールは強気に振る舞う。
この村に来ても沈んでいたとは思えないほど、トールの心は安定しているみたいだ。
アステの口が小さく「よかったね」と動いたように見えた。
「あ」
一本道の終点は錆び付いた扉だった。上部に雪の結晶のレリーフが飾られている。
扉の向こうから物音は聞こえない。ノブの下にある鍵穴から中を覗くが真っ暗だ。
ノブを捻ってみるが、ガチャガチャと何かに引っ掛かる音がして開けられない。
「どうする? 鍵なんてないよね」
「ああ。それにアッシュがいるわりには静かすぎるんだよ」
「アッシュはこの先で『あの人』と会っているはずだものね」
「話し声は皆無、だな」
「とりあえず開けてみよう」
カースの言う『あの人』のことは気になるが、ひとまずは置いておく。
ベストのポケットから針金を取り出し、鍵穴に差し込む。何度か取り出し、曲げる、差し込むを繰り返すと、カチャンと外れる音がした。
ノブを捻ってみると、今度はなんの抵抗もなくすんなり開いた。
「よし、開けるぞ」
扉を押し開けると、その部屋は明かりが点いていた。
壁際には大量の本棚が並び、中央には何故か木が植えられている。
「ようこそ、私の秘密の部屋へ」
迎え入れてくれた女性の腕で、アッシュが寝息を立てていた。




