『月の誓言2』
ハヤテ達四人がアッシュと遭遇していた頃、レインとフレアは兵舎の一室に隔離されていた。
ドアには鍵がかけられ、窓は外側から板を打ち付けられている。
最初のうちは魔法で脱出を試みたものの、部屋の外側から『反射』の魔法が施され、自分へと魔法を跳ね返されると知り、諦めがついたようだった。
レインはシワ一つない整えられたベッドに腰掛け、フレアは暖炉に薪をくべながら炎を眺めていた。
揺らめく炎自体には何も影響がないと知りながら、双子の片割れが持つ『拷問』の魔法を思い出せずにはいられなかった。
「ハヤテ達は大丈夫だろうな……」
苦痛と恐怖から、誰に言うともなくこぼれていた。
純粋に心配の言葉として受け取ったレインが目を伏せる。
二人は四人を待ち受ける相手がアッシュであると知っている。
口に出さないのは、お互いが相手は過去を忘れていると思い込み、真実を伝えることを拒んでいるからだ。
「……ああああぁもうっ!!」
フレアが粗暴な足取りでレインに近づき、レインがビクッと跳ねた。
気圧されてベッドに倒れ込むと、覆い被さるように両腕が頭の横に置かれた。
「え、えっと……どうしたんですか?」
「腹割って話してぇところだが…………」
何かを耳元で囁かれ、レインの顔色が変わった。横目で荷物を見る。
二人で目配せするとフレアはレインを避けてベッドに転がり込んだ。
「もう眠くてしょうがねぇ……」
「びっくりさせないでくださいよっ!」
「もしかして、俺に攻められてドキドキしたのかぁ?」
「バカなこと言ってないで、たまにはゆっくり休んでください! 私は本でも読みますから!」
密室の男女に起こりうるハプニングを装いながら、フレアは眠りにつき、レインは荷物から取り出した本を片手に暖炉前の椅子へ座る。
部屋にあるのは暖炉で薪がパチパチと燃える音、フレアの寝息、ページが捲れる音だけだ。
メモが挟まれたページで、捲っていた手がピタリと止まる。
レインは無詠唱の魔法で水蒸気から細長い氷柱を造った。
ペンのように握り、テーブルを削って文字を刻む。
しばらくするとその文字を囲むように幾何学的な図形を刻んだ。
「かーごめかごめ……かーごのなーかのとーりーは……」
レインの歌声に合わせ、テーブルに描かれた魔法陣が輝く。
文字が浮き上がり、水泡となって部屋を舞う。水面のように光がたゆたう光景に息をつく暇もなく、レインは大和ノ国に伝わる童謡を歌い続ける。
「……うしろのしょーめん、だぁれ」
部屋の隅々に広がった水泡が弾け、部屋の全体に水の膜を張る。
床や壁に触れると、触れた場所から波紋が広がる。
レインはひとまず魔術が成功したことに安堵の息を吐いた。
「トールが知っていた『守護』の魔法のおかげで、監視の目から逃れることができそうですけど……まさか兄様が私達の会話を盗聴しているなんて……」
レインが読んでいたのは水と氷の魔術が記載された強欲の魔道書だった。開いていたのは水の章、『守護』の節だ。
魔道書には呪文と魔法陣だけが記されているが、挟まれていたメモには詠唱魔法のように呪文の代用をできる歌が書かれている。
「安心して眠ってください。そして、彼らのためによい夢を……」
☆☆☆
ふと、出発前にフレアから受けた忠告を思い出した。
『いいか? ロキの魔法は『変身』だ。それをよく覚えとけ。動揺すんなよ』
あの言葉選びは俺に正体を明かせない理由がある状態で譲歩した結果なんだろう。
俺が冷静でいられるように。そしてアッシュが間違ったことをしていると疑わせるために……
そうだ。確かにアッシュは兄であるメイジーのことが大好きだったが、俺にも懐いていた。
俺を覚えていないんじゃなく、俺を忘れているという方が正しいんじゃないだろうか。
つまり、アッシュは何者かにより記憶を改竄されているということだ。
フレアの言葉から察するに、裏で糸を引いているのがロキなんだろう。
「貴方達の屍を、お兄様に捧げましょう」
アッシュが踊るようにくるりと回る。
夜空に滲んだ夕陽のように、ジワジワと地面が熱を帯び、赤く染まり始める。
「憤怒の炎よ、燃え上がりなさい」
地面からボッと炎が点り、俺らを囲うように燃え始めた。
舐めるように炎が身体を撫で回すが、熱さは微塵も感じなかった。それどころか炎はそこにあるだけで、何も燃えていない。
不思議に思っていると、鼻に肉が焦げるような臭いがこびりついた。
「きゃあああああぁぁぁ……!」
「うぐぅ……っ!」
声の方を向くと、火達磨になったカースとトールがいた。
炎で肌が炙られ、服に炎が燃え移っていた。
カースは激痛に悲鳴をあげ、トールは『拒絶』の雷と炎が混じった状態で、耐えるように苦悶の表情を浮かべていた。
「どうしてトールとカースだけ燃えてるんだっ!?」
「二人が抱えている罪のせいだよ」
アステはさほど炎の影響を受けていないらしく、額が汗ばんでいるのと服の端々が焦げているだけだった。
罪を犯した人に効きやすい魔法と効かない魔法が存在する。仕組みはまったく知らないけれど、大まかに分ければ害悪を及ぼす魔法は前者、恩恵を与える魔法は後者だ。
アッシュが使用しているのは罪を抱えている人ほど効きやすい魔法だ。つまり――
「俺が二人の罪を祓えば……いや、トールは一度祓ったはずなのにどうしてっ!」
「多分、ハヤテお兄ちゃんが許したのはトールお姉さんが犯した罪の一部だったってことだよ」
とにかく魔法を止めないといけない。
短剣を握り、アッシュとの距離を詰める。
振り下ろすと同時に腰の曲刀で軽くいなされてしまった。
追撃しようと姿勢を正した瞬間、ゴーンゴーンと鐘を打ち鳴らすような音が響いた。
氷塊の向こうから聞こえたから、影に何かあるのかもしれない。
「残念ですが時間切れのようですね」
アッシュが指を弾くと、風に吹き消されたようにフッと炎が消えた。
カースとトールが勢いよく倒れ込まないように受け止める。
まだ火の粉は微かに残っており、身体に軽い火傷の痛みが走る。
「お兄様……大変心苦しいですが、アッシュとはお別れです。また会いに来ますね」
アッシュは名残惜しそうに氷塊へ熱視線を送ると、苔が一際多い扉の前に立った。ほんの少し、握り拳一つ分ほどの隙間が開いている。
「お兄様のご友人は、アッシュの代わりに彼らのお掃除お願いしますね」
扉が全開になると、そこには様々な臓器を入れた瓶が乱立する棚と、スライムの大群がいた。
弾力のある身体を利用してバネのように跳躍しながら近付いてくる。
おそらく先ほどのスライミラーはこの扉の隙間から逃げ出してきたのだろう。
「くそっ!」
部屋に気を取られてるうちにアッシュの姿は消えていた。
大火傷を負ったカースとトールへアステが駆け寄る。
「ハヤテお兄ちゃん、こっちは任せて! ボクが二人を回復してみせるから!」
「ああ、頼んだ!」
三人には指一本――スライムに該当する部位はないけれど――触れさせない。
手近な相手に短剣を切りつける。一瞬ジェルのような身体が裂けたが、すぐに裂傷が埋まるように接着された。
正直なところ、スライム相手ならフレアの炎やトールの雷の魔法、レインの『凍結』の魔術があると助かったんだが、無い物ねだりしてる暇はない。
高い再生能力があるとはいえ限界があるはずだ。追い付かないほどの攻撃を与えられれば勝機はある。
刃渡りの短い短剣はもちろん、スリングショットは役に立たない。
昔の俺なら詰んでたけれど、今の俺には他にも武器がある。仲間を守るための武器だ。
意を決してギンシの形見である竹光に手を掛ける。
竹という植物でできた刀だが、疾風のように素早く引き抜くことで鋼の強度を持つ。傷付けるのではなく一刀両断すれば再生は困難になるはずだ。
細く息を吐き、腰を落として低い体勢になる。目を閉じるとスライムが発する風船に水を入れたような不快な音に耳を澄ませる。
「風よ、疾風の如き速さを与えよ……」
スライムが間合いに入った瞬間に、風の『加護』で速度を補助した抜刀にて横一閃を放つ。
まるで綿を相手したかのように軽く切断できた。
身体同士が再生のために集結する隙を与えないよう、次々と斬撃を繰り出す。
闇雲に刃を振るうことはなく、染み付いた型の通りに身体を動かす。
手に収まるほどバラバラにした。これで逃げる時間は稼げるはずだ。
「アステ! 二人はどうだ!?」
背後へ目をやると、服は焦げてボロボロなものの火傷の跡が薄れたトールとカースと、疲労でペタンと地面に座るアステの姿が映った。
アステがいてくれたおかげで、軽傷で済んだことに安堵の息を吐く。
「ハヤテお兄ちゃん!!」
油断が祟ったのだろう。切羽詰まったアステの声で警戒するが、すでにスライムは身体のすべての欠片を一つに集め、巨大な一体のスライムに変化していた。
一部を槌のように変形させ、俺へと振り下ろしてきた。
間一髪、地面を転がって避ける。
「っ!?」
地面のひび割れに裾が引っ掛かり、身動きがとれなくなってしまう。
スライムは好機と受け取り、先ほどより大きな槌を作り振り下ろす。
「ハヤテお兄ちゃん!」
「ハヤテ!!」
アステと目が覚めたであろうトールに名前を呼ばれ、反射的に力んだ足に鈍痛が走る。
さっき避けた時に足を捻ってしまったようだ。
その場から動くことができず、スライムが迫っている。
今度こそは避けられないと悟り、悔恨で歯を食い縛る。
『ハヤテがボクに会いに来てくれたんだ。邪魔しないでくれるかい?』
――ボンッ! と音を立て、スライムが爆発した。
ボタボタと降ってきた飛沫は熱く、体液が急激に熱せられたことにより身体が膨張し、破裂したと予想できる。
聞き覚えのある声、見覚えのある姿。
けれど、その存在は吹けば消えてしまいそうなほどに儚い。
「……あ」
名前を呼びたいのに涙が込み上げてきてうまく声が出ない。
抱きしめたいのに腰が抜けて立ち上がれない。
熱を持たない火の粉が、フワリと頬を撫でる。
『久しぶりだね、ハヤテ』
明かりがないのにうっすらと光を纏い、陽炎のようにぼやけて見える。
けれど、あの日と何ら変わらない姿でそこにいた。
「すかーれっと・めいじぃらいでぃんぐ……」
名前を呼んだのは誰だっただろう。
その名を冠するに相応しい緋色の瞳が、俺のことを真っ直ぐと見据えていて、目を逸らすことができなかった。




