『風の決闘2』
「大丈夫ですかっ!?」
俺らに近づいた途端、レインは血相を変えた。真っ青に染まり、震えている。
「寸止めだったから問題ないけど」
一瞬とはいえ眼前まで迫った刃が横をすり抜け、腰を抜かしそうになったことは、あまりにも情けないから秘密だ。
「いえっ、その……」
レインが指差したのは自身の頬。鏡のように頬へと手を添える。
「わりぃ、多分斬撃の衝撃かもしれねぇわ」
タラリと、赤い雫が滴っていた。左手を広げてみればベッタリと血液が絡み付いており、苦笑する。
「寸止めじゃないじゃん……」
頬の傷はあまり酷くは無さそうだが、止血を施していないことが問題だった。
痛みは無くともダラダラと絶え間無く流れ、徐々に視界が霞んできた。
心洗われるような、穏やかで暖かな旋律が耳に届いた。
「癒しを与えようか♪ 女神の慈悲による安らぎを~♪」
こいつの手に掛かると女神様の神聖さは失われ、むしろ穢れてしまいそうだ。
木に背を預けるようにして、ソナーレが立っていた。手には小さな竪琴がある。
「んん? そんなにボロボロな姿を見られたくなかったのかねぇ?」
「当たり前だろ」
自分でも仏頂面になっているのがわかる。
「でも、二人は治癒魔法が使えないからよぉ」
「お前のそれだって治癒魔法じゃねぇだろうが」
「まぁ確かに、あくまでこれは治癒力を促進するよう鼓舞する魔法だけれどさ……」
無粋だと言わんばかりにソナーレは口を尖らせながら竪琴を腰の留め金に引っ掛ける。
頬の傷は塞がってはいないものの、出血はいつの間にか止まっていた。
「……それに、お前さんらのところへ、もしかしたらお客さんが来ているかもしれないと思ってね」
「お客さん??」
「ああそうさ。どうやら、杞憂だったようだけどなぁ」
ふと、ソナーレは俺を見て微笑んだ。
「……なんだよ」
「いんや、随分とマシな面になったと思ってね」
口調的に茶化しているつもりではないらしい。
「この二人と会って、少し刺激でも受けたのか?」
「それはない」
キッパリと言い放ち、予想を裏切られたソナーレは呆気に取られていた。
「俺が信じるのは、家族であるリーフェルとメイジーだけだ」
俺にとっては二人以外、信じるに値する存在はいない。
「二人だけが家族? それじゃあ、お前さんは二人のどっちかに会ったってことか?」
その質問は少し答えに困った。だって俺の中のメイジーのイメージが背中を押してくれたにすぎないのだから。
「メイジーが、俺の未来は自分で掴めって言ってくれたんだ」
その言葉にはソナーレもレインも驚愕していた。メイジーは死者だからだろう。
フレアだけは俺の言葉を世迷言だと思ったのか嫌に冷静だった。
「メイジーってヤツは死んだんじゃねぇのか?」
「幽霊でも妄想でも、俺にとってはメイジーの言葉だけが真実だ」
「お前さん、いくらなんでも二人に執着しすぎというか、依存しすぎだと思うぞ?」
「俺の気持ちが簡単にわかってたまるか。俺にとっては二人だけが家族なんだ」
自分でも変にやさぐれているとは思う。でも、未来に進むと決めながら、俺はまだあの時間に囚われたままなんだ……
「お前さ、前を向こうとする心意気はいいんだけどよぉ、なんでそんな暗ぇんだよ」
「怖いもんは仕方ないだろ」
「お前の本質である風は自由だってのに、お前は何に怯えてんだよ。マジでわけわかんねぇヤツだな」
風と自由。その二つの単語はメイジーとのやり取りを想起させた。
「…………そういえばメイジーは、俺の本質が風じゃないって言ってたな」
「その話が本当なら、お前さんには風以外の魔法が眠ってるってのか?」
「多分……」
目を輝かせたのはレインだった。
「調べてみましょう!」
期待に胸を膨らませ、今までに見たことがないほどに晴れ晴れとしている。
好奇心旺盛、興味津々。子供のようにはしゃぐレインの姿に、少したじろぐ。
けれど腕を掴まれ、家の方へと引っ張られていく。
見た目に反した剛力で、俺は抵抗しているというのに、掴んでいる腕は微動だにしない。
後方ではソナーレとフレアが談笑していた。離れているため聞き取りにくいが、十中八九俺やレインのことだろう。
☆☆☆
「これもお前さんの作戦ってわけかい?」
ハヤテやレインとの距離が空いたのを確認すると、俺はフレアに問いかけた。
俺はリーフェル伝いでハヤテの本質を知っていた。
そしてフレアにも俺の口からハヤテの本質について伝えている。
「まぁ確かに、ある程度俺が仕組んではいるけどよ」
ハヤテの本質を引き出すため、そしてレインのとある事情を解決するため。フレアは二人が自主的に未来を見据えるように、偶然を装って引き合わせた。
「ここまでお膳立てしても、レインがハヤテを選ぶかはわからねぇし、俺らがハヤテの家族になってやれっかもわかんねぇぞ……」
「ハヤテを救ってほしいってのは、お前さんに押し付けた俺の我が儘だ。無理に家族にならなくても、その時は俺がなってみせるさ」
俺はフレアがレインの護衛を探していると知り、腕利きを紹介する条件として、二人がハヤテの家族になることを望んでいた。
俺はハヤテに嫌われているから、家族になることは叶わないと踏んでいたからだ。
リーフェルという存在は俺らにとって大きく、ハヤテは『家族』を取られ、俺はリーフェルとの『友情』を邪魔されたと互いに嫉妬し合っていた。
同族嫌悪……ってやつだったんだろうな。そう簡単には相成れなかった。
俺はリーフェルとの『友情』を守るために、ハヤテを導く責務がある。
だからレインとフレアがハヤテの『家族』になるという条件を飲んでくれたことに安堵していた。
煙草を取り出し、ライターを探す。だが、その手をフレアが止めた。
煙草に近付けた指先に小さな火が点る。
「俺だって、これでも少しは成長してるんだぜ?」
「随分とちっぽけな希望じゃあないか」
「こんだけ魔力を溜めたってのに、認めてくれねぇのかよ」
「いや、これからその希望を燃やしてくれればいいさ……」
紫煙を燻らせ、吐いた息に混ざって煙が周囲に広がるのを眺める。
音が聴こえた。
草を踏みながら、誰かが近づいてくる音だ。
「お客さんのご到着だ」
俺が伝えると、フレアは先行く二人を逃がすため、大きく手を振って声を張り上げた。
「ちょっと忘れもんしたみてぇだから、先行っててくれ!」
なんの疑問も抱かずに去っていく背中を見送り、フレアは剣を抜いた。俺も留め金から竪琴を外す。
「おーい! 聞こえてるんだよなぁ?」
「てめぇらこそこそと隠れてねぇで、さっさと出てきやがれっ!」
挑発に乗るほど容易い相手ではないらしい。
やれやれと肩を竦めると、竪琴の弦を鳴らした。
周囲に音波が広がっていく。耳を澄ませ、微かに異なる音の響きや反射から索敵する。
「敵さんは少数。二人はそこの木陰に隠れ潜んでる。それと、ハヤテ達の方に一人……」
視角を作らないように背中合わせに立ち、小声で作戦会議を開く。
「あのくらいの腕ならレインを任せられるっつーか、レインが戦えりゃ敵じゃねぇんだけどな」
「嬢ちゃんが戦えないからこその護衛探しだろう?」
「……まあな」
一度竪琴を留め金に戻し、煙草を脇へ放り投げた。
懐へと手を伸ばし、火打石で点火するフリントロック式の小銃を取り出す。
「手伝ってくれんのか?」
「ああ。若人の友情に嫉妬する気持ちならわからんでもないが、邪魔立てさせるつもりはないさ」
ガサリと音を立て、大和ノ国で生まれた和服という種類の服装と、顔を隠すための口当てをした二人の人影が現れた。
「……貴様らはあの女子の護衛か」
口当てをした方が苦無と呼ばれる投擲可能な両刃の小刀を構えて問い掛けてくる。
「違ぇよ。ただの護衛と一緒にすんじゃねぇ」
凛とした声でフレアは答え、そして両刃の長剣を目の前で高々と掲げた。
「俺はあいつの――ドロップリア王国騎士団副団長、レイン・スノウホワイトの剣だぜっ!!」