『月の誓言1』
灰色の濁った雪が降りしきる中、俺らはすっかり外壁が朽ちた廃屋の前にいた。
他の建物と同じレンガを積んだ造りだけど、ここだけ劣化がひどい。いや、ここ以外の建物が真新しいとも言える。
気になることといえばもう一つ。カースの発言だ。
レインの兄ちゃんにお茶会の約束を取り付けていたのは、やっぱり自分が無害だと知ってほしかったんだろうか。
思えばレインとアステは宵闇の魔女として知られるカースをすぐに受け入れ、長年の付き合いがある友人のような親しさを見せていた。
俺やフレア、トールはそんなレイン達を信じたと言っても過言じゃない。
「皆さん気を付けてください」
「間違っても死ぬんじゃねぇぞ!」
レインとフレアはあくまで見送りだけ。ここからは俺とアステ、トール、カースの四人で進む。
戦力も支援も足りてるとは思うけど、二人がいないのは少し心許ない。
「じゃあ行ってくるな」
二人に背を向け、廃屋へと足を向ける。「ハヤテ!」と名前を呼び止められて振り返った。
「あのよぉ……! えぇっと、その……な」
フレアは言葉を続けられずに口ごもってしまう。レインを気にしているのか、しきりに横目で見ている。
心配しなくとも、フレアに鍛えてもらう必要がないくらいには強くなった。それに『これ』もある。
腰にぶら下げた『これ』を叩くと、フレアは逆に困ったように唸ってしまった。
「おいハヤテ、ちょっとこっち来やがれ」
最終的に呼び出し。悩まずに最初からこうすればよかったんじゃなかろうか。
廃屋から少し離れるように、フレアが親指で示した方向へ歩く。誰もついてきてないみたいだ。
声が届かない距離まで行くと、フレアは俺の胸倉を掴んだ。頬が触れるほど顔を寄せてくる。
「いいか? ロキの魔法は『変身』だ。それをよく覚えとけ。動揺すんなよ」
「それってどういう――」
矢継ぎ早に言いたいことだけ言って突き飛ばされた。フレア――ノイが俺だけに伝えるということは、闘技場とメイジーには何か関係があるんだろうか。
考えている内に嫌な想像が頭を過った。
頭をぶんぶんと振り、思考をふるい落とす。
「どうしたんですか?」
「気合いが入ってねぇって説教垂れただけだ」
なに食わぬ顔でフレアがレインの元に戻り、俺は俺でアステ達に駆け寄る。今度こそ出発だ。
廃屋に入ると、中に人の生活していた気配は一切なく、地下へと潜るための階段があるだけだった。
埃の積もり方には差異があるため、置かれていた家具は騎士団が撤去したのかもしれない。
トールが「足下に気を付けろ」と注意を呼び掛け、壁を頼りに先導してくれる。
薄暗さに目が慣れてくると、見たことのない景色が眼前に広がっていた。
盆地には円形の椅子が段ごとに並べられ、中央はぽっかりと穴が空いたように高い塀で隔たれた床が広がっている。量端にある入り口の鉄格子が上がり、選手が入場するんだろう。
闘技場の壁には昔使われていたであろう松明の朽ちた木が備えられていた。
観客席の外側にある壁面をぐるりと見回すと、二つの扉があった。
一つは木製の両開きの扉。もう一つは中途半端に開いた状態でドアノブが溶けた鉄の扉だ。
侵入者とやらが選んだのは間違いなく鉄の扉だろう。頭で考える前に、自然と足は鉄の扉を潜り抜けていた。
再び現れた階段を下ると、三叉路に突き当たった。
「これってどこに進んだらいいんだろうね?」
「そうねぇ……どうしましょうか」
「進むべき道は何処だ?」
三人の視線は俺に集まっていた。期待されても来たことなんてないからわからないっての。
……なんて俺の考えは見透かされていたらしい。
「ハヤテお兄ちゃんが選んだ道なら、結果は幸運が引き寄せてくれるよ」
「ええ。色んな文献を読み漁ったけれど、『幸運』の魔法を使う人間については記録されていなかったわ。検証する価値はあるでしょうね」
俺を頼ってくれるのは嬉しいけど、実験的な意味合いがあるのは不本意だ。
でもまあ、手掛かりになるようなものはないし、勘で進むしかないよな。
目を閉じ、考えを捨て、心を空っぽにする。
大和ノ国に伝わる感覚を研ぎ澄ませるための技法。
肌が風――空気の震えを捉える。
左側は無音……恐らくは袋小路だ。真ん中からは微かに何かを引き摺る、または何かが這いずるような音がする。右側はさらに階段があるのか、足元から冷ややかな空気が流れてきている。
冷気を感じるということは、俺らが目指すべき道は右側だろう。
闘技場の地下には牢屋が並んでいた。中で捕えられていた人は死んだんだろう。骨がいくつも転がっていた。
先程と同様に冷風を頼りに迷路のように枝分かれした道を辿る。
ある曲がり角に差し掛かった時、向こうから水物が跳ねるような音が聞こえた。
「先に何かいるかもしれない」
「加護を」
「わかった。風よ、音を拐え……」
音が消えたのを確認し、トールが背中の留め金から戦鎚を外す。カースも胸元からタクト型の杖を引き抜いた。
けれど先陣を切るべきなのは俺だ。空気の抵抗を受けない羽根のように軽い身体で、壁を蹴りながら相手に突っ込む。すると、ボヨンと何かに弾かれたように身体が後退した。
目を凝らして障害物の正体を確認すると、それはゼリー状の動く何かだった。
「あれはスライミラー。水分が魔力により固まったスライムという魔物の一種ね。ミラーと付いた由来はスライムの中でも透明度が高く、鏡面のように変化するらしいわ」
「成る程」
「カースお姉さんすごい……」
「博識だと魔女って感じするな」
スライミラーの大きさはアステを包み込めるほど。身体を大きく見せるように縦長に伸びたことで、アステは怯んだのか俺の背中に隠れた。
でも水の身体を持つなら、俺らはスライミラーの天敵ってことだ。
なんたって俺らの中にはトールがいるからな。
俺らに気づいたスライミラーが迫り、トールが『拒絶』の雷を纏わせた戦鎚をぶつける。
すると、スライミラーは身体を縮小させ、パキパキと音を立てながら凍っていく。
表面に氷が付着したのではなく、表面から中にかけて凍りついた。ますます見た目が鏡面に近付く。
「くっ……!」
素体が純水なのか雷を通さず、硬度が上がったことにより戦鎚でも砕けない。
ここにフレアがいれば『破壊』の魔法により一瞬で倒せたかもしれないが、それも魔力暴走の引き金になりかねない諸刃の剣だ。
「氷塊になると密度が高くなるの。ヒビを入れないと打撃では砕けないわ」
「……ってことは斬撃が有効なの?」
「ええ。トールは確か刀を持ってるわよね。お願いできるかしら」
「刃を向けるは宿敵と師匠のみ。余計な血は流さん」
刀は本当に斬るべき相手のみに使うつもりらしい。
でも刀ではなくとも、要するにヒビが入ればいいわけだ。
俺は腰に括りつけていた短剣を逆手で構えた。順手よりもこっちの方が力を込めやすい。
「トール、合わせてくれ」
その一言で作戦は伝わったようだ。トールが無言で頷く。
スライミラーは凍り付いて硬化した分、動きが殆ど無くなっている。
縮小してくれたおかげで高さはさほどない。
俺は風で軽やかになった身体で、スライミラーに飛び乗った。同時に力一杯短剣を叩きつける。
体重自体は変化していないため、勢いと重さが相まって短剣の先端がスライミラーに刺さった。
「行くぞ!」
さっと後方に飛び退くと、間髪入れずにトールが短剣へと戦鎚を振り下ろした。
ミシミシと軋むような音を立てながら、短剣を中心に亀裂が走る。
全身へと行き渡ると、ガラスのようにバラバラと砕け散った。
「ここまで粉々になれば再生はできないわ。凍結前は別だけれど」
「最初のジェルみたいな状態だと再生できちゃうってこと? 怖いなぁ」
無事に戦闘を終え、氷片を踏みしめていく。
通路は相変わらず暗がりだが、ほんのり明るい。よく壁を見れば、淡い光を放つコケのようなものが付着していた。
コケは道標のように点々と散らばっている。目で追っていくとその先には氷の塊とその前に立ち塞がる人影があった。
遠目と薄暗さのせいで氷塊に封じられた人物も人影の顔も見えない。
「あれが侵入者か」
俺らに気付いたのか人影が近付いてきた。硬い材質らしく、コツコツと靴音が響く。
「こんなところに何のご用でしょうか」
丁寧で礼節を重んじるような口調は、相手がどこかのお姫様や貴族だと言われてもおかしくない雰囲気だった。
服装も気品溢れる漆黒のドレスで、特徴的なのは紅いチグリジアの花が胸元に飾られていることだ。
見た目は成長して大分変わってしまったが、灰がかったような銀髪と面影には覚えがある。
「まさかアッシュなのか?」
「あら? アッシュの名前をご存知なんですね」
「えっ?」
俺のことを覚えていないのか、アッシュは他人行儀で惚けている。
いや、もう十年近く経っているし、アッシュは小さかったから覚えていなくてもしょうがないか。
アッシュが俺と顔見知りの相手だと知り、トールとカースは構えを解いていた。
「俺はメイジーライディングの友人だ。妹の話は聞いている」
「あらあら、お兄様のお友達なんですね」
やんわりと微笑む姿の影に、鋭い殺気が潜んでいた。悪寒で背筋が凍りそうだ。
「お兄様のお友達とはいえ、今は自重していただかないと……」
そういえば、ホロウリィでフレアが倒れた時、あいつはうわ言でなんて言ってた?
そうだ。確か「助けないと……アッシュとロキより、早く……」だ。
アッシュとロキから助ける相手は誰だ?
グルグルと思考を巡らせていくと、フレアから忠告された時に過った、考えたくもない事実に行き着く。
……嫌な勘ほど、当たりやすいものだ。
「封印されたお兄様の様子を見に来たのでしょうけど……アッシュとお兄様の空間を脅かす者は、何人たりとも生かすわけにはいきません」
封印された人物はメイジー。そしてアッシュはその『封印』を解こうとする侵入者。
メイジーが生きていたことには感謝しながらも、親友との再会を心待ちにしていた俺はアッシュに協力したいと思ってしまった。




