『星の在り処3』
幼い日に焦がれた月が、真っ黒いキャンバスに弧を描くように、夜空で輝いていた。
靡いていた雲が流れることで、宝石のように散りばめられた星々の装飾が現れ、よりいっそう月の光が強くなる。
「キレイ……」
涼やかな夜風に吹かれながら、甲板で一人黄昏れる。そんな時間が、ボクにとっては自由の有意義な使い方だった。
ボクは幼少から月に憧れてた。だから、月の魔力を持つ、カースお姉ちゃん、トールお姉ちゃん、ギンシお兄ちゃんの三人が羨ましい。
チリチリと胸を焦がした羨望の炎は、烈火となる前に鎮まった。
ボクは嫉妬の感情が強くない。ううん、嫉妬以外にも、憤怒や強欲の感情が人より弱いと思う。
それは育てられた環境か、それとも身に宿した魔法の影響かわからないけれど。
……ぐぅぅ~と、腹の虫が鳴いた。さっきごはんを食べたばかりなのに、もうお腹が空くなんておかしいな。
「ちょうどよかったみたいだね」
ノアがパンや果物の入った籠を両手で抱えていた。ふんわりと小麦の匂いが香るから、焼きたてを持ってきてくれたみたいだ。果物もボクの好きなものばかりある。
ホロウリィにはいなかったけど、パロマを通じて見守ってくれてたのかもしれない。
ノアは木の樽に腰掛け、荷物が入ってない空の木箱に籠を乗せた。
手招きして座るように促してくる。
同じように木の樽に座ると、パンの匂いがダイレクトに届き、気づけば唾液が口の端を垂れていた。
我慢できずにパンを口に頬張る。ふんわりと柔かな食感は雲みたいで、いくらでも食べられる。
ノアは籠から取り出したカップに、ヨルズが運んできたポットでお茶を注いだ。
「さて、少し話をしようか」
「ふぁらひ?」
「そう」
ノアには咎められなかったけれど、口に食べ物が入ったまま喋ってしまったことを反省しつつ、慌ててお茶で流し込んだ。いつもならパロマにずけずけと小言を言われてる。
「君が彼らと共に行くのなら、知っておかなければいけない話だよ」
「なんの話なの?」
「彼らについて、僕の知る限りのことを伝えておこうと思う」
「ハヤテお兄ちゃん達の……」
夜風に身を震わせ、首に巻いていたマフラーを口元まで上げる。
太陽の光がないだけで、海上がこんなに寒いなんて知らなかった。
ハヤテお兄ちゃん達のことも、まだまだ知らないことばかり。狭い世界を生きていたから、外の世界も知らないことばっかりなんだ。
「うん。教えて」
ノアの柔かな眼差しは、我が子を見守る父そのものだった。なんとなくむず痒くてそっぽを向いてしまう。
まだ素直にお父さんって思えないし、久しぶりに会ったから変な感じだ。
昔はボクに希望を見せるだけ見せて、ホロウリィへ縛り付けようとしたことに恨んでた。でもそれはボクの勘違いで、救世主は本当にいた。だからもう、恨んでない。
ノアは口元をハンカチで拭いた後、真っ直ぐな瞳でボクを見た。底が見えないほど果てまで広がる、吸い込まれそうな空の青だ。
「ドロップリア王国騎士団、ブルースター隊。それが君の新しい居場所だ」
「うん。そこまでは知ってるよ」
「それが隠れ蓑ってことは知らないだろう?」
「隠れ蓑?」
つまりブルースター隊は単なる騎士団の隊の一つではなく、別の目的を持つ組織……ってことなのかな。でもレインお姉ちゃん達に裏があるとは思えない。
むしろ疑うべきはノアの考えじゃないのかな。
訝しんでいることに気付いたのか、ノアが肩を落とした。
「ごめん、レインお姉ちゃん達の性格からすれば、あまりにも現実味がない話だなって」
「そうだね。けれど隊を組むように指示を出したのは、レインのお兄さんだ。つまり――」
レインお姉ちゃんは、騎士団長であるお兄さんの策略によって、仲間を集める旅に出たってことになる。
「どうしてレインお姉ちゃん達が、ボクの依頼を受けてくれたんだろう?」
「騎士団長には、アステからの依頼が、レインにとって運命の出会いだと知っていたんだよ」
「ノアと同じ『予知』の魔法?」
「いいや、魔法ではないよ」
「魔法じゃないなら――」
それ以上言及したらいけないと、ノアがボクの唇に人差し指を添えた。
「君は気に入られているけれど、好奇心は猫を殺すと言うからね」
騎士団長の謎は解けないままだけれど、釘を刺されてしまったからには諦めるしかない。
でも、気に入られてるって誰にだろう?
会ったこともない騎士団長? レインお姉ちゃん? それとも――
「騎士団長はロキと賭け事をしている。期限が迫ってきたことで、一か八かの勝負に出たんだろうね」
「ロキって、ノアの友人の?」
「そうだよ。そしてトールにとっての敵であり、レイン、フレア、アステとも縁がある。袖振り合うも多生の縁というやつかな」
「そでふり……? なにそれ」
「大和ノ国の言葉だよ。一か八かも同じく大和ノ国の言葉なんだ」
ムダに年をとってるわけじゃないんだよね。鎖国していた大和ノ国の知識でさえ記憶してるのは尊敬できる。
使われてもボクは意味を知らないけど。
ヨルズは知ってるのかなと横目で見ると、木箱に頭を預けてうたた寝していた。寝息が聞こえるから、そもそも話を聞いてなかったみたい。
「賭け事の内容を僕からは教えられないんだ。ただ、ロキが勝ったら世界が崩壊してしまう」
ボクらが出会う運命を定められていたなら、今も誰かの手の上で踊らされているのかな。
騎士団長やロキにとっては、レインお姉ちゃん達やボクも賭け事に必要な駒でしかないのかもしれない。
「確かにロキの思惑通りに進んでいたけれど、彼にとっても想定外の出来事が起こっているんだ」
「え?」
俯いていた顔を上げると、ノアは眉が下がり、悲哀の表情を浮かべていた。
まるで神を尊び、死を嘆く信者みたいだ。人間らしい感情が滲み出ているのは珍しく感じた。
「運命を変える幸運の石を手にしたことで、ロキの書いた筋書きからは外れることができた。けれど、不確定な運命の方が、時には残酷な結末になりうる」
「それって、誰か死んじゃうってこと……?」
ノアはボクの視線から逃れるように目を伏せた。致命傷を負ったとしても、ボクの魔法なら助けられた……それどころか、命を懸けるような危険な目に遭う原因を作ったのはボクだ。
「本当ならもっと前に亡くなるはずだった命が、一つの幸運で繋ぎ止められていただけ。奇跡は一度きり……世界の理までは崩せない……」
「奇跡の魔法は、ないのかな」
「ないよ。本当は――」
言葉を飲み込み、ノアは黙りこくってしまった。
湿気と塩気が混じり合う潮風の匂いが鼻を支配し、静寂の空で湯気が雲のようになびいた。
「雨…………」
寝ぼけ眼のヨルズがポツリと呟いた。
暗闇の空を切り裂くように、一閃が沖の方へ降った。このままだと雨どころか嵐になりそうだ。
「船室に移動しようか」
立ち上がったノアは椅子にしていた樽をロープで甲板に固定した。同じように木箱もくくりつける。
それだけじゃ嵐には耐えられないと判断したのか、ヨルズはロングドレスにぶら下げた袋から種を取り出した。樽と木箱へと放る。
種にヨルズの魔力が巡ると、みるみるうちに蔦が網のように広がり、甲板に根を張った。
「ありがとう、ヨルズ」
「ん」
ポツポツと床に水玉模様が描かれ始め、足早に船室へと避難した。
ふと、ヨルズの腰元にある小さなハンマーが目に留まった。柄が短くて、ヘッドが大きい。
トールお姉ちゃんが背負っていたのは、逆に柄が長いのに対してヘッドが小さめだった。確かに長柄武器のハンマーもあるけど、持ち手が太かった印象が残ってる。
「ヨルズもトールお姉ちゃんもハンマー使ってるけど、形が全然違うね」
「トールの武器……刀、が隠れてる」
仕込み武器は師匠であるヨルズが渡したのかな?
今は禁術管理者として敵対してるみたいだけど、悪い人には見えない。それどころか『約束』を守ってくれる絶対的な信頼感があった。
ボクと何年も前に交わした『約束』も覚えててくれたし。
「さて、それじゃあ僕は自分の部屋に戻るよ」
「え??」
服に落ちた雫を払いながら、ノアは自室へ帰ってしまった。沈黙の中、施錠される無情な音が聞こえた。
「また、ね」
ヨルズはヨルズで床に落書きをしたかと思えば、その上に乗った途端に姿を消してしまった。よくわからない記号だけが床に残る。
「二人とも、どうしたんだろう」
途方に暮れるボクの耳に、船が軋む音が届いた。船内が僅かに揺らぐ。
船に何かぶつかったのかもしれない。
その場で様子を窺っていると、バタバタと集団で甲板を駆ける足音が響いた。
「もしかして、ハヤテお兄ちゃん達が?」
船室と甲板を繋ぐ扉が開かれ、月明かりを背に五人の影が見えた。けれどもホロウリィで会ったのは六人……認めたくはないけれど、ノアの予言が的中してしまった。
視界がぼやけ、頬を涙が伝う。
「ごめんなさい……」
それがボクの開口一番の言葉だった。
持ち主が居なくなった血塗られた武器を、ハヤテお兄ちゃんが持っている。
反対の汚れていない手を、ボクに差し出してきた。
「アステ、一緒に行こう?」
ボクは自由を赦された代償として、償うことのできない罪を背負った。その業を、心に深く刻み付けた。




