『星の在り処2』
パロマの協力により、アステの行方は思いのほか早く判明した。
ロビンに案内され、俺らは港に停まる一隻の船の前にいた。照り返された朝日が、海面で光の波となって揺らぐ。
「この船を使ってくれ。ま、俺やアステ様の持ち物ではないけれど」
マストに張られた帆で風を受けて進むタイプの、木材を組んで作られた小型船だ。無風でも進めるように、手漕ぎ用のオールが船の縁に取り付いている。
屋根はないが、目的地までは数時間ほど。天気が崩れる予定はないから大丈夫だろう。
「私達が借りてもいいんですか?」
「大丈夫大丈夫。これは元々、亡くなったリラの親父さんのもんだからな」
「リラのなら問題ないな」
「ありがとうございます」
順々に搭乗していき、最後に俺が乗り込もうとしたところで腕を引かれた。
ロビンは耳元に口を寄せてくると、たった一言「海賊に気を付けろ」とだけ伝えてきた。
小声だったのは漁業帰りの漁師に紛れて、海賊がいることを恐れたんだろうか。
船に乗り込み、仲間の顔を見回す。ある一人が写った瞬間、胸がざわめいた。
何か嫌なことが起こる気がしたのは一瞬で、すぐに心は落ち着いた。冷や汗も引いている。
「では出発しましょうか」
「よっしゃあ!」
フレアが張り切って錨を上げた。
帆が海風を受け、船が沖へと進み出す。
だが、これでは風が吹くままに進んでしまう。方向を定めるには手動で帆の角度を変える必要がある。
「方角を調べていただけますか?」
「承った」
パロマの協力により、目的地である方舟はシリウスの港町から北東に進んだ、エトワール海沖に停泊していることがわかっている。
ただし町から離れてしまえば方角はわからない。方位磁針という方角を調べる道具があるらしいが、高価なため誰も持ち合わせていない。
星でも方角を調べられるが、夜の海は多くの危険を孕んでいるため、朝から出発している。
……ということで、ギンシの『心眼』と『感知』の魔法によって、方舟の場所を特定するところから始めることになった。
ただしギンシは魔力が少ないため、広範囲の『感知』を行うには、多くの水を媒介として魔法を発動させる必要がある。
そのためこのように海上へ出てから調べる算段となっていた。
ギンシが船の縁に近寄り、海面に触れた。数秒ごとに波紋が広がっていく。
リラの音属性の『感知』は、音波の反射を捉える魔法だ。同じように、ギンシは水面に波紋を広げ、反射の波を察知しているのだろう。
「帆の角度を鋭角に」
「はい」
ギンシの指示に従い、レインが手早く帆の角度を変える。すると、船の進む向きが変わった。
振り返れば、シリウスの町がたちまち遠退いていく。
「やはり帆が付いた船は便利なものだな」
「そういえば、大和ノ国からどうやってナチュレ国に来たんだ?」
しみじみと昔を懐かしむトールはさらりと鬼畜なことを答える。
「手漕ぎ船をツクヨミに漕いでもらった」
「……一人で?」
「一人だ」
大和ノ国からナチュレ国までの距離がどれ程か正確にはわからないが、地図上では数百キロ離れていたように思う。
それを人力で、しかも一人で成し遂げるなんて、とても人間とは思えない。
「途中で大和ノ国に向かう帆船とすれ違った。ツクヨミの『潜伏』により、相手には気付かれなかったが……」
体力だけじゃなく魔力まで消耗させたのか……
もしかして、ナチュレ国に来るまで散々扱き使われたから、トールとは別の隊に入ることにしたんじゃないか?
主従関係を結んでいたとはいえ、トールに憧憬を抱く従順なギンシと違い、明らかに忠義がなさそうだったし。
「大和ノ国へ向かう帆船……」
「ああ。そういえば、帆にはピスケス最奥の部屋に飾られていた絵と酷似した、大樹が描かれていた」
「最奥の部屋、ですか」
あの部屋に行ったのは俺とフレアとトールの三人だけ。レイン、カース、ギンシは見ていないのだ。
フレアはナップザックを漁り、動物の皮で作られた紙と、羽ペン、インク瓶を取り出した。
ポンと軽い音を立ててインク瓶の蓋を開けると、羽ペンの先だけを中に入れる。インクが滴らない適量が付いたところで引き上げ、紙に絵を描いていく。
「確かこんな感じじゃねぇかな」
自信に満ち溢れるフレアの描いた絵を覗くと、前衛的な幾何学模様が描かれていた。
そういえば、ノイって絵心は壊滅的だったな……
「ハヤテ、見たままを写せ」
新しい紙と羽ペンをフレアから取り上げ、俺へと差し出してくる。
正直なところ俺も絵は得意じゃないんだけど、とりあえずやってみるか。
ピスケスで見た絵を記憶の引き出しから探す。すると予想よりも鮮明に思い出せた。
描かれていたのは、下半身の肌が緑がかり、ボロボロと腐敗した女性。人を背に乗せられそうな毛並みのいい狼。人を丸飲みできてしまいそうな口を持つ大蛇。そして話に出てきた、雲よりも高くそびえ立つ大樹だった。
「わりと描けるかも」
トールに言われた通り、俺が見たままに絵を描いていく。絵の具とは違って白黒だけれど、輪郭は捉えているはずだ。
俺を囲んでいた一人が、何か思い出したように「あ」と声を漏らした。だが、それ以上は言葉が続かなかったようだ。
「この絵は強欲の魔道書を見つけた部屋に、額縁に入って飾ってあったんだ」
「その部屋の持ち主は十中八九でスカンディナヴィアの禁術管理者ね」
「あの、私…………」
レインは口をつぐんでしまった。何か言えない理由があるんだろうか。
「そういやハヤテ」
ぎこちない空気を壊すように、フレアが声をかけてきた。
からかうような無邪気な笑みに、嫌な予感しか沸かない。
「どうせ着くまで暇なんだから、今のうちに鍛えてやるよ」
おもむろにオールへ伸ばされた手をギンシが掴んだ。
「海にも魔物は現れる。なればこそ、体力は温存すべきではなかろうか」
「こんなとこに魔物なんていんのかぁ?」
「慢心は身を滅ぼす。洞窟の半魚人を思い出せ」
トールの発言に応えるように、海面が揺れた。何かが海から現れようとしている。
「トール様!」
「任せよ」
ザバァと水飛沫を巻き上げ、マーマンが船に飛び乗ってきた。
マーマンの体重で船が傾いたせいで振り落とされそうになり、仲間は一斉にマストや縁にしがみつく。
だがトールだけは動じず、腰を低めた姿勢で戦鎚を構えていた。
「安心しろ。師匠でもロキでもない貴様に、わざわざ刀は抜かない」
その一言でマーマンの怒りを買ったのか、トールに狙いが定められた。マーマンが水かきのついた手を振り回して襲い掛かる。
その刹那、『拒絶』の紫電を纏った戦鎚が叩きつけられ、弧を描きながら海へと帰った。
おそらく感電によって即死したはずだ。落下地点では弾けるように雷電が散っている。
「他にも一体……大型が接近中なり」
フレアが剣を、カースが杖を構え、ギンシが竹光に手を添える。レインは紋様のようなものが書かれた紙を手に、何かブツブツと呟いている。
水面越しに大きな影が浮かび上がり、波が激しく荒れる。蒸発しているかのようにゴポゴポと泡立ち、巨体の一部が現れた。
「なんだこりゃあ!?」
それは吸盤が幾つも付いた長い触手だった。船を挟むように二本生えている。
海面に浮かぶシルエットは、三角の帽子を被った木のように見えた。根が五本伸びている。
二本の触手は人の胴体ほどの太さで、表面にヌメリがあるのか、テカテカと光っていた。
触手が船を掴むために巻き付こうとしていた。
船の前方の触手がピタリと動きを止め、先っぽが船の上に落ちる。
もう一方は体表から凍り付き、船に接触することすらできなかったようだ。砕けて海の藻屑と化した。
目で捉えることはできなかったが、大方予想はつく。
船前方の触手はカースの魔法に拘束され、ギンシによる神速の抜刀で切断したんだろう。
後方の触手はレインが魔術で凍らせ、フレアが剣でそれを砕いたようだ。
触手が海の中に戻った。
鮮血で海を汚しながら、影は深海へ向けて遠ざかっていく。
船上から影が消えたことを確認した瞬間、緊張の糸が切れた。へたりと腰から座り込む。
「いつ襲われるかわかんねぇし、暇潰しの方法考えねぇとな」
「いや、俺の修行を暇潰し扱いしないでくれよ」
やることがなくて手持ちぶさたってのはわかんなくもないけどさ。
レインの様子がおかしくて、話し合いはやめちゃったしな。
太陽に雲がかかり、船全体に影が落ちる。
辺りを見回すと、出立時と同じようにある人物に目が留まった。
まるで何かの予兆のように、怨恨の風が纏わり付いている。だが雲が流れてしまえば、その風はまた不可視となった。
これが負の感情の塊ならば、その正体は呪いなんじゃないか?
以前カースは「呪いとはすなわち罰……罪にまみれた者が相手であるほど、強固に働く闇の魔法……それが『呪術』よ」と言っていた。
なら、こいつはどんな罪を犯し、罰を受けようとしているんだろうか。




