『星の在り処1』
ユラユラと、泡沫のような安らぎから目を覚ました。
揺りかごに寝そべったようリラックス感のおかげか寝覚めがいい気がする。
それとも、昔の夢を見たからかな。
……気分的には爽快だけど、身体的には最悪だった。
鉄製の部品で組まれた簡易ベッドは固いマットレスが敷かれ、肌掛け用の厚手の毛布があるだけ。いつもは身体が沈むほどに柔らかいマットレスで寝ているから、身体の節々が痛みを訴えてる。
「ここ、どこだっけ」
寝ぼけ眼をこすりながら、自分の居る場所がどこか探る。
いつもと違う場所。いつもと違う風景。
唯一わかることは、ここが陸上ではないということ。
窓から見える景色は一面真っ青で、雲との境目である一線の両端は彼方まで伸びている。
雲間から差し込んだ陽光が室内を照した。
手狭な一人部屋には、先ほどまで使っていたベッドと埃を被った机とイスのセット、荷物を収めるための棚があるだけ。
誰の姿もなく、心にポッカリと穴が開いたみたいだ。
部屋を出ようと立ち上がると、一瞬平衡感覚を失って転びそうになった。慌てて机に手を乗せて体を起こす。
地面が揺らぎ、足下がおぼつかない。
ここは海の上を進み続ける船の中ってことを思い出した。
数日前、ボクは生まれ育った故郷から逃げ出した。
命を狙う追っ手から隠れるためとか、愛する人と添い遂げるための逃避行――なんて運命的なものじゃない。
怖かったから逃げた。ただそれだけ。
ずっと求めていた助けの手を前に、今まで数えきれないほどの運命を決めた罪を思い出した。
自由と引き換えに、何かかけがえのないものが奪われてしまうような気がして、不安で胸がいっぱいだった。
最初は信頼できる人か確認するための試練として、誘拐してもらう『約束』をヨルズと交わしていたけど、今はただの逃避でしかない。
――ボクはもう、自由を許されてもいいのかな。
その答えを求めるために、目の前のドアを開けた。
「おはよう。アステ」
海風が全身を撫で、塩の臭いが鼻を支配した。
目の前に広がるのは木製の甲板と白い帆を張ったマスト。甲板の中央では一つのテーブルを挟んでカードゲームをする姿があった。
ボクとの『約束』通りに拐ってくれたヨルズと、逃走先として方舟を提供してくれたノアだった。
「ノア……」
「今いるのはシリウスから北東に進んだエトワール海だよ。しばらく停泊するから、ここで彼らを待つといい」
ノアの視線がボクの抱えていたものに留まった。
「君の自己肯定感の低さは僕が原因だけれど、君は少しワガママになってもいいんだよ」
「ワガママに……」
「そう。それを許されるだけ、君はホロウリィに尽くしてきた。君の心が、国という檻に囚われてしまうほどにね」
ボクは腕の中のマフラーを抱き締めた。マフラーと同じ、ハヤテ――コハクお兄ちゃんの若草色の瞳が、ボクを見つけてくれることを信じて。
☆☆☆
「何? 師匠がアステを拐かしたというのは本当か!?」
「トール、落ち着いてください!!」
トールが動揺したことで、部屋中に『拒絶』の紫電が迸る。まだ残っていた料理が四方に散乱し、皿が割れた。
俺とレイン、フレアの三人は素早くテーブルの下に隠れ、パロマはトレーで頭を庇いながらしゃがんでいた。
カースはマントからタロットを取り出していたが、混乱しているのか手からバラバラとタロットが落ちた。
ギンシはただ一人動じず、椅子に座ったままお茶を一服していた。
「心頭滅却すれば火もまた涼し……雷撃も恐るるに足りぬ……」
常に平静に事を行う心構えは武士の鑑だな。慣れだとしたら嫌な慣れだが。
「すまない、もう大丈夫だ」
ようやくトールが気持ちを鎮めたのを確認し、テーブルの下から這い出た。
柱や壁の一部が黒焦げとなり、床には花瓶やコップなどの破片が落ちている。あろうことかトールはその破片を素手で拾い上げていた。
「トール様、素手はお止め下さい。怪我を負うではありませぬか」
「構うな。自分の不始末は自分で片づける」
「しかし――」
従者と主君から、対等な立場になったはずの二人だが、ギンシから主従関係が抜けないせいでギクシャクした空気になることが度々あった。そのせいかトールがギンシを突き放すような言動が増えた気がする。
「ハヤテ、構わず話を続けろ」
「あ、うん」
俺はみんなにどこまで説明したのかを頭の中で復習し、口を開く。
「アステはヨルズに連れていかれたけど、正しくは、自分から誘拐されたみたいなんだ」
「自分からっつー根拠はあんのかぁ?」
あの時、アステは迷子の子供みたいに不安げな瞳をしてた。答えの場所はわかっているのに、脱け出せない迷路をさ迷い続けているみたいに見えた。
俺らへの信証を得る手立てとして、ヨルズに誘拐してもらった。でも今は俺らへの後ろめたさから、逃避の手段として捉えてるんじゃないだろうか。
答えがわからない臆測は、ひとまずそっと胸にしまった。
「助けに行くとしても、アステがどこにいるかはわかりませんよね」
レインの言葉はもっともだ。ヨルズがアステをどこへ連れ去ったか知る術を俺らは持っていない。
手掛かりを見つけるところから始めなければいけないのだ。
「アステは、窓の外にある崖を下ったのだな?」
「ああ。多分、海に出たんだと思う」
「海か……」
「潮風の流れが変わったから、船に乗ったのかも」
俺は船という単語を耳にした、パロマとロビンが視線を交わすのを見逃さなかった。
「何か知ってるのか?」
語気を強めて問い質すと、観念したようにパロマが頷いた。
「その船の持ち主ですが、私の主であるノアだと思います」
「ノア……昔、ホロウリィで星の巫女をしていた放浪の魔女ね」
アステの話だとリーフェルをこの教会に連れてきた人だったな。それどころか、神話の『ノアの方舟』に登場するラグナロクの生き証人のはずだ。
「魔女、とは如何様な存在なのでしょうか」
「カースも宵闇の魔女と名乗っていたな」
大和ノ国では魔女についてあまり広まっていないのか、ギンシとトールが首を傾げていた。
正直なところ、俺も書物と噂でしか聞いたことがない。
「魔女とは、時と場を除く12の魔法属性を宿す魔法使いの中で、属性ごとに魔力総量が一番高い魔法使いのことよ」
「ならば十二人しか居らぬのか?」
「いいえ、全員で13人よ。それぞれ一番目から十三番目まで番号を振られているけれど、十三番目の特性上、番号は秘匿されて別称で呼ばれているの」
その別称が放浪の魔女や宵闇の魔女ということだろう。
それよりも十三番目という単語にレインとフレアが反応していたのが気になった。
「十三番目の特性とはなんだ?」
答えたのはカースではなかった。
「他者を呪い、災厄を振り撒く醜悪の魔女……俺の知り合いはこの世界に生まれただけで、十三番目の魔女に運命を呪われた…………」
「それって――」
レインが慌てて口をつぐんだ。フレアは怪訝な目をレインに向け、カースはフレアを見ながら凍り付いたように固まっていた。
「十三番目の魔女については口にしないほうがいい。話題に出すことで余計な縁を結んでしまうこともあるんでな」
「しかし十三番目の魔女は世界に一人。巡り会う確率の方が低いのではなかろうか」
「どこの誰だか正体不明……なら、そこの宵闇の魔女が十三番目なんてこともあるかもしれんだろう?」
話を聞いていたカースの顔は、みるみるうちに青褪めていく。まさか疑惑の矛先が自分に向けられるとは思っていなかったようだ。
「私の魔法のは『呪術』だから、疑われるのも無理はないわね……」
そういえば、カースを仲間として受け入れたものの、本人があまり自分のことを話さないため謎が多い。
知っていることと言えば『宵闇の魔女』と呼ばれていること。誰でも魔法を使える世界を目指して魔道書を集めていること。魔法都市スペルフィルの出身であることくらいだ。
「でも私は十三番目の魔女により名前を呪われ、カース・ルナ・トリートリックになったのよ」
名前を呪われるということは俺には馴染みがない。でも名前に縛られた人生を送る人がいることを考えれば、案外よくあることなのかもしれない。
「気を悪くさせてすまない。だが魔女ってぇのは、十三番目に限らず、どうにもキナ臭い噂が絶えんものでね」
「全ての魔女が同じだと思われるのは心外だわ」
「ああ……俺を救ってくれたアステ様やノア様も魔女だしな……」
不意にパロマが「あ」と何かを思い出したように呟いた。全員の視線が集まる。
「もしもアステがノアと一緒にいるのなら、居場所を特定することは可能です」
「『占術』の魔法か?」
「いえ、魔法ではないです」
魔法以外に行方不明の人を探せる方法があるなら苦労はしない。嘘だろうと思っていたのだが――
「私はノアの使い魔ですから、供給される魔力を辿れます」
すかさずロビンが部屋の隅に丸められた地図をテーブルに広げた。
「いい加減、あの放浪者に片付けてもらわなければいけない仕事が溜まっていますから」
パロマは満面の笑みで、使い魔が主に向けるものとは思えない言葉を告げる。
「逃げないように足をもいだり、ムチ打ち拷問してもいいので……必ず引っ張ってきてくださいね……?」




