『星の願望3』
琴座の物語を知ったのは、リラを名付けてしばらく経ってからだった。
リーフェルが買い物に出掛け、パロマがお茶を準備していた、ある春の日。
ステンドグラス越しの暖かな光に、ボクはうつらうつらとしていた。
「幼気な赤子に、随分と残酷な名を――運命を与えたんだな」
聞き覚えのない声に、突っ伏していた顔を上げ、周囲を見回す。
寝ボケ眼では白いシルエットを捉えるのがやっとだった。
「あ、れ……?」
目をこすり、声の主をマジマジと見つめる。
「君、だれ?」
雪のように白い髪と肌を覆うのは、羽根のように緩やかな服。一見すると見慣れたよく知る姿だった。
けれど、雰囲気がまるで違う。
「誰? 見てわかるだろう?」
「ノアの姿を借りてるみたいだけど、ボクは騙されないよ」
ノアの姿をしたそいつは、おどけた調子で笑った。
「あははっ! 君は実に愉快だな!!」
お腹を抱えながら、目から零れた涙を拭う。
「さすが、彼が見初めた彼女の子だ」
「お母さんと知り合いなの?」
「ああ、よく知っているとも。これでもお友達だからね」
過去に思いを馳せるように、ほぅと深く息を吐く。
お母さんに友達がいたなんて知らなかった。今のボクと同じ立場なら、行動を制限されていたはずなのに、どうやって友達を作ったんだろう。
でも、外と関わりがあったっていうなら――
「もしかして、ボクのお父さんが誰なのかも知ってるの?」
僅かな希望を胸に問いかける。
「当然さ。けれど答えは君自身が持っている」
「ボク自身が……」
不意に視線を外した隙に、そいつの姿形は変わっていた。
先ほどまでの白髪が、闇に呑み込まれたかのように漆黒に染まっていき、背中でお下げに結わかれた。身長は少し伸びている。
相も変わらず透明感のある白い肌は、中性的な容姿にわをかけて人形のような印象を植え付ける。
パロマを人間に変身させたのはこの人なのかな。
「紹介がまだだったな。我が名はロキ・テュール・エッダ。禁術管理者の一人だ」
「禁術管理者って、トールやヨルズと同じ?」
「ああ。禁術管理者とは名ばかりで、我は気に入った禁術使いを保護するだけだがな」
考えてみれば、トールとヨルズもボクのことを捕まえたりしなかった。
禁術管理者は各々のルールに則ってるみたいな口振りだったもんね。
「シリウスにはなにしに来たの?」
ロキはボクに興味があるみたいだけど、保護しようとする素振りは見られない。
ただ雑談するだけで、まるで暇潰しに来たみたいだった。
「赤子を見極めに来たのだ」
赤子って、きっとリラのことだ。
詳しい系統はわからないけれど、タイミングや儀式の雰囲気から、直感的に禁術だと思った。
……リライズは周囲に隠してるみたいだけど、ボクは星の洗礼と命名の儀を行ったからね。
「ねぇ、禁術管理者はどうやって禁術使いを調べるの?」
「スカンヴィナヴィアには名と共に国と魔法が刻まれ、数多の命の誕生について並んでいる、名簿のような物がある」
「へぇ~、そんなのがあるんだ」
ちょっとした好奇心。後から考えれば、この質問はロキだから答えてくれたんじゃないかな。
他の禁術管理者だったら、きっと黙秘かはぐらかされるかだったと思う。
「それでリラの魔法を知って、会ってみたくなったってこと?」
「禁術なのは承知だが、魔法に興味はなかった」
「そうなの?」
「興味があったのは――」
肌が粟立つほど不気味な、影のある笑顔。
「リラの名、琴座の運命だ」
星の導きの許に名付けたけれど、リラの背負う運命までは見通せない。
琴座の物語を知って名付けたわけでもないし。
「ロキの言う、琴座の運命ってなんなの?」
ボクの真っ直ぐな視線に射抜かれ、ロキは観念したようにゆっくりと息を吐いた。
「この先の未来で、彼は我に会いに来る。我の愛しき娘に、悪しき欲望の成就を願う為にな」
哀愁漂う横顔は、不思議とどこか嬉しそうにも見えた。
「ホロウリィという鳥籠に閉じ込められた君には、琴座の運命を変えることなどできないさ」
否定することなんてできなかった。
ボクが救えるのはほんの一握りの人達だけだって、痛いほどわかってる。
禁術は奇跡みたいな力があるけど、魔法は万能じゃない。
星の御使いとして人々の身体を癒すことはできるけれど、死者を呼び戻す力はない。
それがボクの限界。
「絶望する必要はないだろう」
「ボクは無力なのに?」
「鳥籠から出ないということは、鳥籠に迷い込んだ者ならば助けられるということだ」
淡い灯火のような小さな光が、心の中で道標のように瞬く。
「――さて」
「行っちゃうの?」
「ああ。居場所を感付かれると厄介なヤツがいるのでな。それに」
「それに?」
「……娘が、天敵である君を嫌がっている」
名残惜しむ暇もなく、ロキは姿を消してしまった。
「琴座の運命、星の定め……」
リライズは何を隠しているんだろう。
魔法を調べる術は持っていなかったはずだけど……
「大変お待たせして申し訳ありません!」
慌ただしく紅茶と茶菓子を運んでくるパロマ。
「あら? 今誰かいませんでしたか?」
「誰もいないよ」
パロマはノアの使い魔のようなものだから、ロキが来たことは話しちゃいけない気がした。
「それより、まだ紅茶淹れるの苦手なんだね」
意地悪く言うと、パロマは口を尖らせた。
「違います。本日は趣向を凝らし、冷たいお菓子を作っていたんです」
ホロウリィとナチュレ国境のレイニィデーという村には香りの強い香草が多く、スペルフィルの乾燥した葉に熱湯を注ぐ飲み方を真似るのにハマったみたい。
パロマはリーフェルからその紅茶という飲み物を教えてもらってから、最近は紅茶に合うお菓子も手作りするようになったんだ。
「ねー、冷たいお菓子ってなに?」
「スカンディナヴィアのシャーベットという氷菓です。リモーネの果汁に砂糖を加え、凍らせています」
「紅茶は――あ。ミントだ」
甘酸っぱくて爽やかな香り。ボクが大好きなアップルミントの紅茶だ。
「ええ。一瞬一瞬過ぎ去っていく、かけがえのない時間を噛み締めるように――そんな願いと祈りを籠めています」
パロマの想いが注がれた紅茶に口をつける。
かけがえのない時間なんて、この場所にあるのかな。
ボクはただ、いつ来るのかわからない、ボクを救ってくれる人を待ち続けることしかできない。
「アステ、たまには出かけてみますか?」
思考が停止し、カップが手を離れたことすら気づかなかった。
「いいのっ?!」
カシャンと音を立て、カップが割れた。
床には破片が散らばり、紅茶が広がっていく。
「あっ! ごめん……」
「物はいずれ壊れます。人も、いつかは寿命を迎えます」
パロマは咎めるどころか、ボクに微笑んだ。
カップの破片を拾い、絵本を読み聞かせるように優しく語りかけてくる。
「教会の中は一見不変に思うでしょう。けれど、本当は停滞しているだけ……」
「カップが割れたのは、その証拠ってこと?」
「ええ。世界の在り方として、こぼれた水を一滴残らず器に戻すことはできません」
泣く子をあやすような、柔らかい声音。
「時間の流れとは運命。決められた筋書きを違える力はないのです」
運命は変えられない。星の標を読み取れるパロマだからこそ、説得力のある言葉だった。
だからボクはノアの言葉を信じてる。
いつかボクを六連星の一人として迎えてくれる、かけがえのない仲間が現れるってこと。
「けれど未来のことで汲み取れるのは、ほんの少し、この手に収まる内容だけです。私はまだ見ぬ時間だけでも、アステには自由に生きてもらいたいんです」
変えられない未来の合間に抗うための選択を行い、少しでも結果を先延ばしにすることはできる。
「アステの鳥籠はこの教会ではなく、シリウスの中です」
パロマが教会の入り口を開け放つと、涼やかな風が吹き抜けた。
「さあ、参りましょうか」
「う、うんっ!」
教会の外に出るのは何年ぶりだろうか。
日射しに目が眩み、世界が見えない。
「わあ……!」
目に飛び込んできたのは、白と青の世界。
日射しを照り返す大きな白石の塊の、中をくり貫いて築かれた建物。白塗りの木の扉が嵌められている。
街が水に包まれていると錯覚してしまうほど、透き通った蒼さの空と海。
人々は向こう側がうっすら透けるほどに薄手のシャツやワンピースを纏い、短いズボンを履いている。
かと思えば、ボロボロになったシャツを着て、頭にはお揃いのマークが刺繍されたバンダナを巻いている人達がいた。
「パロマ、あれは?」
「えっと……」
何故か答えあぐねるパロマ。ボクとパロマの間に、ぬっと人影が割り込んだ。
「あれは海賊、船に乗って宝探しや冒険に出たり、悪い人だと商船を襲ったりもするんだって」
突然のことにビクリと背中が跳ねる。
「驚くなんて失礼じゃない?」
果実や香草などが詰まった紙袋を抱えながら、リーフェルがムスッとした表情で呟いた。
「だ、だって教会抜け出してきちゃったし……」
リーフェルはボクを一瞥すると、黙って手を引っ張ってきた。
「え、どこに行くの?」
パロマはリーフェルから紙袋を受け取ると、ヒラヒラと手を振って送り出す。
どうやら一足先に帰るらしい。
ボクのことを連れ出したくせに見捨てるなんて薄情だ。
崇めるようにボクへと頭を下げる人々を横切り、ある建物の前までたどり着いた。
焼けて色褪せた看板には、うっすらと診療所という文字が写っていた。
「診療所?」
怪我なんてしていないのに、どうしてこんなところに連れてこられたんだろう。
リーフェルは服の中から透明な鍵を取り出すと、木の扉に差し込む。カチャリと音が鳴ると、扉は開いた。
中には薬が入ったガラス瓶が並ぶ棚、簡易調理台、テーブルと椅子、クローゼットらしきものがあった。
奥へ続く扉があるから、多分怪我人を寝かせるためのベッドがあるんだと思う。
診療所に入ると、リーフェルはクローゼットを開けていた。
「ここにアステへのプレゼントを置いてあるって、前にノアから聞いたの」
「ふーん」
プレゼントっていうのが何かわからないし、診療所の中でも見て回ろうかな。
奥の部屋の扉を開けると同時に、風が舞い込んできた。
どうやら窓が開いてたみたいだ。
部屋に置かれた二つのベッドのうち、窓際の方が埋まっていた。汚れた緑の外套を頭までスッポリと被り、丸まった状態でスースーと寝息を立てている。
ここが無人だと思って、窓から入ってきたのかな。でも、どこの国の人だろう。
外套を着る文化はホロウリィにはない。なんたって暑いから。
リーフェルの服と雰囲気が違うからナチュレ国じゃないし、大和ノ国はそう簡単に行き来できない。……となると、魔法都市スペルフィルかドロップリア王国かな。
近寄ってみようとした瞬間、その人が飛び起きた。
「お前、何者だ」
立て膝の状態で警戒心を露にし、外套の裏に隠されていた小袋へと手を伸ばす。
血を流しながら、世界中が敵に回っているような、荒んだ目を向けられた。
「答えろ」
小袋に入っていた砂が形を成し、弓矢に変わる。
番えようとしたが、流血のせいで力が抜け、するりと手から落ちた。
「っ……!」
苦痛に耐えながらも孤独に立ち向かおうとする姿を見て、不思議とボクはノラネコという言葉を思い出した。
「大丈夫、怖くないよ。ボクが君を助けてあげる」
鳥籠に迷い込んだ、傷だらけのノラネコ。
これがボクとロビンの出会いだった。




