『雨の目覚め4』
直径20メートル程の竜巻の内部で眠っていたのは、絵本のサンタクロースのように口髭と顎髭を伸ばし、黒いローブに青いマントを羽織った老人――ハールバルスでした。
轟音に包まれ、木漏れ日どころか陽が射し込まず、明らかに睡眠を取るには悪条件です。
大規模な魔力行使による疲労感からか、私達が疲弊するのを待とうとしたかのどちらでしょうか。
とにかく、無防備なのはこちらとしては好都合です。
レイピアを構えて……、構え…………
「うぅ……戦意無き者を手にかけるなんて、騎士道に反します……」
運も実力の内という言葉はありますが、それはそれです。卑劣な手を使うなど至極千万です。
けれど私の持つ強欲の魔道書を諦めてもらわねばなりませんし、どうしましょう。
頭をグルグルと回していると、ハールバルスが大きく口を開けてあくびをしました。
視線が私に留まります。
「おや、まさか魔法の中に入ってくるとは」
ハールバルスは私の頭の天辺から足の爪先までを見ると、困ったように顎髭を撫でました。
「しかし、貴女は私と戦えないのではないですか?」
確かに私は辛うじて氷の鎧を着ているだけの、防御の薄い装備です。レイピアを持っているとはいえ、殺気が足りないのでしょう。
ましてやピスケスでは後ろに控えていたのですから、戦えないと考えるのは当然です。
けれど……
「もう吹っ切れたんです。魔道書は渡しません」
決意の表明を受け、ハールバルスの空気が穏やかなものからピリッと張り詰めたものへ変わります。
ハールバルスは空間の狭間から槍を取り出しました。さらに、マントを翻して一回転したかと思えば、黒いローブは黄金の鎧に変化していました。
「ならばその命を賭けよ、氷雪姫」
「負けません……!」
決闘開始の合図はありません。返答と同時に身体は動いていました。
レイピアを身体の前に出し、走り出します。同時に、周囲から水蒸気をかき集めます。
「はっ……!」
右上から胴を薙ぎ払うように振るわれた槍が、ガキィンと音を立てて止まります。
「これは……!」
瞬時に左腕へ『創造』した氷の籠手で防いだのです。速度を殺さず、槍を籠手で抑えながら、前方へと踏み込みます。
レイピアが黄金の鎧の側面を、ほんの僅かながら削りました。
針のように尖った細い刃を刺したまま、新たに魔法を使います。
「氷よ!」
氷の矢が当たるも、鎧に弾かれてしまいました。
槍を引き戻したハールバルスは、今度は私の足下をすくいにきます。とっさに避けられない部位に目を付けたのは流石と言わざるをえません。
高く跳び、槍が身体の下を通過します。けれど、それは罠でした。
「風よ」
穂先を軸に吹いた強風が、私の身体を軽々と飛ばします。
「……ぅっく」
背中が風壁に当たり、風の刃が鎧に覆われぬ箇所を切り裂きます。
銀髪が数本持っていかれ、赤い雫が舞いました。頬から滴る血を、手の甲で拭います。
その隙にも、既にハールバルスは新たな魔術の準備をしていました。
「構え太刀のつむじ風。正しきを喰らい、悪しきを称える獣なり……」
槍に刻まれるルーンが輝きを放ち、幾つかが地面に刻まれた魔法陣へと集います。
「はあっ!!」
詠唱を阻止する為、レイピアを連続で突き出しますが、まるで私がわざと外しているかのようにことごとく避けられてしまいます。
「時に悪をも喰い亡ぼし、災厄を喰い千切らん」
慌てて身構えましたが、もう魔法名を呟くだけで発動できる状態だったようです。
「チョンジー」
魔法陣が光の粒子となって消えました。
「…………え?」
一瞬、何が起こったのかわかりませんでした。
ただ風が吹いただけ。たったそれだけで、それ以上は何も感じなかったのです。
けれど、すぐに魔法の正体が判明します。
「……っ!?」
身体を引き裂くような激痛が走り抜けたのです。
力が抜け、地面に倒れ伏せました。
「大和ノ国には鎌鼬という現象がありまして、鎌で切ったような痛みに襲われるものの、傷一つ見当たらないというのです」
「そんな摩訶不思議な魔法が、私の鎧を貫通したということですか……」
気づかれないように氷の鎧の温度を下げ、痛覚を鈍感にしていきます。
これは私が魔法で創造した鎧だからこそ成せる技です。
「ええ。貴女は聡明な方だ」
槍の穂先が、首筋に当てられています。いつでも私を殺すことができると暗に伝えているのです。
「知識でも実力でも敵わぬと理解していただけたならば、賢明な判断を」
確かに、鍛練を怠っていた私では歯が立ちません。でも私は――
「一人ではないんです」
口の端が持ち上がっているのが、自分でもわかりました。
地面に当てていた手から流れ出ていた微量な魔力が、水蒸気を凍らせて図形を描いていきます。
「これは、まさか……!」
氷の矢を放つと、ハールバルスは距離を取らざるをえない状況となりました。
油断した隙に高速で詠唱を始めます。
「ユグドラシルの守護者にして、風、剣、狼、三度の冬を招く者……」
竜巻の外側でカースが書いてくれたルーンが、風の壁を抜けて魔法陣に嵌め込まれます。
「神々の運命を傍観せし大いなる冬よ、此処に終らぬ冬の一端を顕現せよ……」
粒子となった魔力を操り、発動対象を魔法陣内ではなく、魔法陣の外側で渦巻く竜巻に絞ります。
声を高らかに張り上げました。
「フィンブルヴェトル!」
放出された魔力を吸収して竜巻が凍り付き、一瞬で粉々に砕け散りました。
瞬時にカースが杖を振るい、ハールバルスの動きを止めます。
そして、フレアが視角から襲い掛かりました。
「うおおおりゃああぁっ!」
「がはぁっ!!」
剣の面がハールバルスの腹部にめり込み、木々に吹っ飛んでいきます。
強く背中を打ったハールバルスは意識を失いました。
「よっしゃあ! 峰打ち成功!」
「それ峰じゃないわよ」
勝てた喜びに浸っている時間はありません。すぐに私達はトールを探しに向かいました。
☆☆☆
相対するトールとヨルズの二人。勝負は、たった一撃だった。
ヨルズがトールに襲いかかり、戦鎚――ミョルニルが振るわれ、迎え撃つようにトールが刀を閃かせた。
交差した刹那、勝負は決した。
刃に付着した血液を払うと、ぱたたと火花のように地面に散った。
ハトが豆鉄砲を食らったかのように、ヨルズはキョトンとしていた。
「トール、手抜き……?」
「師匠、その手ではもう武器を振るえぬはずだ」
ヨルズの手からミョルニルが落ちる。
よく見れば手首から血が滴っていた。どうやらトールに腱を切られ、武器を持つほどの力を入れられないようだ。
「でも……魔法は、使える」
腰にぶら下げた袋の紐に小指を引っかける。口がほどけると、種がこぼれ落ちた。
地面に落ちる前に、トールが種を切り裂いた。1センチにも満たない大きさだというのに、寸分違わず真っ二つだ。
「師匠……」
トールは跪くと、刀を自身の前に置き、ヨルズに頭を下げた。
「刀を持つ私は、他者の命を喰らう鬼。どうか私に恩師の命を奪うようなことはさせず、退いて下さいませ」
ヨルズはしばらく立ち尽くしていたが、やがて大きく口を開け、ふわぁっとあくびをした。
「育ちきったら興味ない。それに、私にとっては魔道書もロキもどうでもいい」
そう言って小さくなったミョルニルを拾い上げた。驚くべきことに、切られたはずの手首の傷は跡形も無くなっていた。
「迎えが遅い」
ヨルズが呟くと同時に、背後の空間が歪んだ。渦のように底知れぬ空間が現れ、ハールバルス――オーディンが姿を現した。
さりげなくトールが俺の前に立つ。
「申し訳ありません」
「怪我したの?」
「ええ、まあ」
「後で魔法かける。帰ろう」
素っ気なさの中に優しさを垣間見る。
心配されたオーディンは目を細めた。
「今日は撤退しますが、必ずや魔道書は頂きますと氷雪姫にお伝えください」
俺らに会釈し、ヨルズと共に無言で渦の中へと戻った。
渦はみるみるうちに縮こまり、消えてしまった。
「師匠に、初めて勝てた」
気が抜けたのか、脱力したトールが背中を預けてきた。慌てて受け止め、二人してそのままズルズルとしゃがみこむ。
「師匠のもう一つの魔法は『活性』。植物の光合成のように光を集めることで、治癒能力を活性化できる魔法だ」
「じゃあ、もし長期戦だったら……」
それ以降の言葉は、俺もトールも続けなかった。考えたくもない状況だ。
ゴクリと唾を飲み込んだ音が聞こえた。
「おーいっ!!」
遠目に、こっちへと向かってくる仲間達の姿が見えた。
「トールもハヤテも無事かぁっ!」
「お怪我はありませんかっ!?」
わざわざ走ってきてくれたらしい。真っ先に安否を確認してくれることに喜びを感じる。
「俺もトールも怪我はしてな……って、お前の方が明らかに怪我してるじゃねぇか!」
レインは鎧に細かな傷があり、頬や腕、足元などに無数の切り傷を負っていた。
「だ、大丈夫です!」
脇腹を押さえているのに、何が大丈夫なんだろうか。トールも同じ気持ちらしく、無言で拳骨を落とした。
「……ん? 何の音だ?」
何処かから、シャンシャンと鈴の音が聞こえてきた。
フレアがサッと俺の背中に隠れる。
「あ、もしかして」
レインが空を仰ぎ見る。俺らも一斉にそれにならうと、あり得ないものが飛んでいた。
「ソリ?」
「艝が空に……『飛行』の魔法か?」
「あら、珍しいわね」
陸で荷物の運搬に用いられるソリが、動物に頼ることなく、人を二人も乗せて飛んでいた。いや、人だけじゃない。包装された荷物が幾つも積まれている。
魔法を操っているのは底無しの魔力の持ち主ということだろう。
ソリが着陸し、搭乗者が降りてくる。
一人は肩掛けカバンに手紙を限界まで詰め込み、白いポインセチアのワッペンが付いた帽子とベストを着た少年だった。快活な印象を受ける。
「どうもー! 荷物をお届けに来ました、クリス宅急便っス!」
「ボクは荷物じゃないけどね」
目は笑わずに笑みを作るという器用なことをやってのけたのは、大きな襟とスカーフが目を引く、葡萄色の服を着たアステだった。首には十字架のペンダントがかけられている。
俺らの状態を見回したアステは、一番重傷なレインの元へとててっと駆け寄った。
「お姉さんムチャしたねー、今ボクが『回復』してあげるね」
アステが指を組んで祈ると、十字架のペンダントが輝いた。星のように瞬く光が、レインの身体に染み込んでいく。
痛みが引いたのか、レインの顔色が良くなった。
「任務達成おめでとう。氷雪のお姫様」
そう言ってアステは、無防備なレインの頬に口付けしたのだった。




