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フロックスの魔法使い  作者: 雨偽ゆら
3章 雨の目覚め
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『雨の目覚め2』

 ひんやりと冷たい地面に転がり、鼻の奥を湿った土の匂いが支配していました。

 眼前にはとどめを刺そうとする鋭い刃の代わりに、鈍い色をした竹の板が突き付けられています。


「これくらいで宜しいか、隊長殿?」

「はい、ありがとうございます……」


 ギンシとの手合わせに惨敗し、すっかり気が落ちてしまいました。

 すでに昇り始める月明かりに照らされながら、微かに霞む空を仰ぎます。

 靄のようにぼやけた向こう側では、橙色に燃えていた空が闇に飲まれ始め、混じり合うことなく、鮮やかなコントラストに染まっていました。濃紺のカーテンには、まばらに星が散らばっています。


 カースが空を隠すように、私の前に屈みました。垂れた髪を耳に掛ける仕草は大人びており、同性である私ですらドキッとしてしまいます。


「帰りましょうか」

「はい」


 顔を覗きながら姉が妹に接するように告げられ、少しこそばゆくなりました。

 宿泊先である診療所へと歩み始めます。森を抜けると、すでに夜の帳が降りていました。


「わぁっ」


 目の前に広がる神秘的な光景に驚嘆したのは、私だけではありませんでした。


「これ程美しき景色が拝めるとは……!」

「まるでこのシリウスの町全体が、魔法にかかったみたいね」


 建物や道に使われた白石からは、中の明かりが一切漏れていません。だというのに、視界は暗んでないのです。

 昼間に見た目映いばかりの白と、海面の澄んだ青に、闇を払うほどきらびやかな光の雨が降っていました。

 夜空に浮かぶ星が鏡のように反射しているのです。

 風で雲が流れ影が落ちると、星が明滅し、波打っているかのように揺らいで見えます。


「まるで星の海ね……」


 その表現が一番しっくりときました。

 神々しさすら感じる光景には、ホロウリィの住民が星を神様として信仰するのも納得です。

 私達ドロップリア王国の者は、人間が培ってきた歴史を重んじるので、神を信仰したことはないのですが。


「小さき世界に閉じ籠っておれば、決して見られぬ景色なり」

「そうね」

「トール様も見ておられるだろうか」


 美しい景色に魅了されながら、私達三人は帰路を歩みました。



          ☆☆☆



「何をしていたんですか?」

「なにやってたんだ?」


 診療所に帰還した私と、出迎えてくれたハヤテの声が重なりました。


「なんでそんなボロボロになってんだよ」


 ギョッとしながら問われ、羞恥を隠すように頬を掻きます。


「あ、その……ギンシに手合わせをしてもらっていたんです、けれど……」

「筋は良いが、日々の鍛練を怠っておったようでな」

「うぅ……すみません……」


 昔、兄様やフレアと剣を交えていた頃を思えば、どれだけ身体が鈍っているのか嫌というほどわかります。

 しょぼくれていると、ハヤテが頭をポンポンと撫でてくれました。


「何がキッカケか知らないけど、戦えるようになったならよかったじゃんか」


 ハヤテの表現からは歯痒い思いが滲み出ていました。


「そういえば、どうしてハヤテがいるんですか?」

「どうしてって?」

「フレアが鍛えると言ったからには、明日の夜まで帰って来れないと思っていたんですけれど」


 中身がメイジーだとは知っていますが、フレアの記憶が焼き付けられた今、彼女はスパルタ式の教育法も受け継いでいるはずです。

 きっと仮眠を取る程度で、寝る間を惜しみながら修行させていると思っていたのですが……


「ああ、途中でフレアが倒れたから連れ帰ってきたんだ」


 なんてことはないといった態度で返され、眩暈がしました。


「倒れ、た?」


 今朝はすっかり元気そうだったので懸念していませんでした。

 けれど記憶が戻った状態でフレアの状況をざっと洗い直せば、不審点が幾つも浮かび上がってきました。


 カースはフレアの魔力暴走の原因を、兄様が『封印』した『破壊』の魔法を使ったせいだと分析していました。けれど、実際『破壊』の魔法を有しているのは、氷漬けとなっている本物のフレアです。

 魔法を『封印』されていたというのは、偽の記憶が焼き付いているだけなのです。


 メイジーの魔法はフレアから受け継いだ『夢現』の魔法と、自身が生まれ持つ『防御』の魔法を宿しています。あくまでフレアの魔法を使えたのは、夢の中で『破壊』の魔法を使える自分を想像していたからに過ぎないのです。

 となると、魔法を破ったから倒れたとは考えられず、他に要因がありそうです。

 私が倒れた原因に思考を働かせていると、カースが曇った顔でハヤテに向きます。


「また熱が出ているのかしら?」

「いや、しばらく寝かせてたから、もう熱は引いてる」


 ふと、ハヤテの雰囲気がいつもと異なることに気付きました。遠くを見つめて物思いに耽ることは多かったのですが、今はフレアのことを口にする度に、どこかやるせなさを感じるのです。

 そういえばハヤテが親友や家族だと口にするメイジーは、昔のフレアと今のフレア、どちらのことなのでしょうか?

 休養室から覚束無い足取りのフレアが姿を現しました。いつもの赤いローブは脱いでいるようです。


「水……」


 まだ寝惚けているのか、私達が視界に入っていないようです。

 真っ直ぐに歩けずによろけた身体を、ハヤテが素早く支えました。


「おい、大丈夫かよ」


 ボーッとしたままハヤテを見上げたフレアが、左右へ首を振った後に固まりました。どうやらハヤテの腕の中にいると気付いたようです。

 フレアはワナワナと震え出しました。ハヤテだけではなく、フレアまで様子がおかしいです。


「フレア、どうしたんだ?」

「いつまで抱きしめてやがるんだテメェ!」


 ハヤテの腕から逃れたフレアは、休養室の入り口に立て掛けてあった剣を取り、鞘ごとハヤテの腹部を殴りました。


「うがっ」


 奇妙な声を上げてハヤテが床に突っ伏します。


「あらあら、ハヤテはフレアが倒れそうになったのを受け止めただけなのよ?」

「なっ!? わ、わりぃ、昔のことを夢に見て、気が動転しちまってたんだ」


 カースにたしなめられ、フレアは申し訳なさそうに頭を下げました。

 昔のことという単語を、複雑な気持ちで受け止めます。

 メイジーは焼き付いた記憶から自分をフレアだと思い込み、他人の記憶と思いを本物として過ごしています。もしもそれが偽物だったと気づいたら……どうなってしまうのでしょう。


 殴られたところを擦りながら、ハヤテが身体を起こしました。ふくれっ面です。


「扱いが酷すぎるんじゃないか?」


 不平不満を指摘され、フレアは苦い顔になります。


「悪かったっての……明日こそはみっちり鍛えてやっから、それで勘弁しやがれ」

「約束を違えたら許さないからな」


 どうやら仲直りしたようです。別に喧嘩をしていたわけではありませんが。


「それよりハヤテ」

「ん?」

「ひとつ気になってることがあんだけどよぉ……」


 フレアがハヤテに何か問い詰めようとしていた時、ドタガタバタン! と騒がしい音が聞こえてきました。

 姿が見えない辺り、最後のバタンという音で転けたのかもしれません。


「トール様!」


 ギンシは目を閉じたままなので、魔法ではなく気配を察したのかもしれません。慌てた様子で玄関の外へと飛び出しました。

 すると、診療所の少し手前にて、蛙のように潰れるトールの姿がありました。


「……めぬ」


 腕に力を込め、赤くなった額を上げます。放電した状態で鋭く睨まれ、フレアがたじろぎます。


「な、なんだぁ?」


 心当たりはこれっぽっちもないようです。

 ギンシの助けを断って起き上がると、トールはズカズカと診療所に入ってきます。

 すれ違い様にフレアに呟いた言葉は――


「接吻したからといって、ハヤテは渡さんからな」


 私には聞こえませんでした。



          ☆☆☆



 なんとなく居心地が悪く、ぎこちない空気のまま、俺らは迎撃当日を迎えた。

 昨日は朝から晩まで、休むこと無くフレアと修行をしていた。足手まといかもしれないが、微々たる戦力にはなるはずだ。


「んじゃ、作戦会議始めっぞー!」


 昨日ロビンが持ってきた、より詳細な予知情報を元に、作戦を立てていく。指揮を執るのは隊長であるレインだ。


「まずは彼らの目的をおさらいしましょうか」


 俺らの顔を見回すと、レインは小さく息を吸った。


「ハールバルスとフィヨン、未だ真名のわからない二人ですが、ロキとの関係を鑑みるに、スカンディナヴィアの人間であることは間違いないでしょう」

「ああ。師匠はロキと親しく、私をトールの名で呼び始めたのもその二人だ」

「目的は水と氷の魔術が記された、この強欲の魔道書。そして、フィヨンはトールとの再戦を望んでいるはずです」

「質問あんだけど」


 一度話を止め、手を上げる。


「強欲の魔道書で氷属性の『封印』を破れるとして、ロキが復活すると何がそんなにまずいんだ?」


 確かに禁術管理者は厄介だし、命を狙われたみたいだけど、それだけが理由で『封印』するとは到底考えられない。


「ロキはラグナロクを起こそうとしているのよ」

「ラグナロク?」

「世界の終焉……この世の終わりだ。この世は数百年前に一度終焉を迎えている」

「水が全てを呑み込み、あらゆる生命が奪われ行く様は、阿鼻叫喚の嵐だったと聞いておる」


 俺が知らなかっただけで、この世界の歴史としては常識なのかもしれない。鎖国していたはずのトールやギンシですら知っているらしい。


「それは恐らく大和ノ国が島国だったからね」


 カースが本を開きながら補足する。


「ホロウリィでは星々が天から降り、ナチュレ国では木々が根こそぎ倒れ、スペルフィルでは魔物が溢れかえり、ドロップリア王国では内乱が勃発、ルクスリアでは爆発が相次いだの。そしてどの国も、大地が震えていたと言われているわ」

「防げなかったのか?」


 カースが首を振って否定の意を示す。


「予兆として三度の冬が訪れていたけれど、異常気象という言葉で片付けられてしまったわ」

「三度の冬……数え切れないほどの戦乱を招く、フィンブルの冬ですね……」


 確かにこの世の終わりと呼ぶにふさわしい事実だ。話を聞くだけでも恐怖で身がすくむ。

 今でも語り継がれているのは、スカンディナヴィアだけは終焉を免れたということだろうか……


「つーわけで、俺らはこの強欲の魔道書を絶対守りきらねぇとな!」


 暗い雰囲気を払うように、フレアが大きな声で叫んだ。


「はい」


 レインはシリウス周辺を記す地図を広げた。


「出現地点はナチュレ国付近の森、植物が多く、死角も多い場所です」

「師匠に有利、というわけか」

「そうなりますね。ですが」


 レインの視線が俺へと向けられた。

 森の中を遊び場にしていた俺としては、地の利があると言える。


「森が得意なのは、何も土や木属性の魔法を使う人だけではありませんから」


 期待の眼差しに応えられるのか、プレッシャーに押し潰されそうだった。

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