『雨の目覚め1』
「レインちゃん、おかえりなさい」
「無事帰還でき、なによりでござる」
現実に戻った私を、カースとギンシの二人が迎えてくれました。
「……ただいま戻りました」
笑顔を向けたつもりですが、ぎこちなくなったようです。カースが心配そうに顔を歪めていました。
「大丈夫です。私の罪も、どうして戦いを恐れるのかもわかりました」
私は人殺しという罪を犯していたこと、何故忘れてしまっていたのかという理由も思い出したのです。
戦えなくてもドロップリア王国からグリーングラスまで何事もなくたどり着いたのは、私の傍らで支えてくれていたフレア――メイジーの優しさがあったからです。
けれどその優しさに甘えて寄りかかっていては、事態は一向に好転しません。
アッシュはロキとフレアの封印を解き、世界の終焉――ラグナロクを起こそうとしています。禁術管理者の様子から、封印を解くには魔道書が必要です。私達の元にある強欲と傲慢の魔道書は死守しなければいけません。
さらには二人より先にフレアの魔法を封じ、目覚めさせる方法も探す必要があります。
メイジーを傷付けた罪を償う為にも、私は戦いを恐れていてはいけないのです。
『覚悟なき者が剣を振るうべからず。矜恃と慢心を混合することなかれ』
それは騎士団としての信念です。
けれど、私だけの信念が決まりました。
仲間とは苦楽を共にするもの。痛みを分かち合うことは当然ですが、共に肩を並べて障害に立ち向かいたい。そんな気持ちを信念としたのです。
「もう、戦えます」
「えっ」
まずはトールの師匠であるフィヨンと、ハールバルズを迎撃するという目標の為に、剣技と魔法を磨くことが先決でしょう。特に剣技に関してはブランクがあります。
「ギンシ、手合わせをお願いしてもよろしいですか?」
「うむ? 構わぬが……」
「レインちゃん、顔が真っ青よ? 大丈夫なの?」
私が無理をして焦っていると思ったのか、二人は困ったように目を合わせています。
確かに記憶が鮮明に呼び起こされた今、身体の震えや恐怖に蝕まれる状況は気が狂ってしまいそうです。
けれど、懇望の為にも、負けられません。
「私はフレアやみんなに守られるお姫様じゃダメなんです」
水蒸気を凍らせ、氷のレイピアを出現させます。身体の前で構えると、腕章が揺れました。
「私はドロップリア王国騎士団副団長であり、ブルースター隊の隊長です」
ホロウリィに広がる海原のように、涼やかで清々しい心持ちで宣言します。
「『他人の傷を背負い、罪を雪ぐ為に剣を握る』。それが、私の掲げた信念ですからっ!」
☆☆☆
フレアが落ちた瞬間を、トールとロビンも見逃さなかった。
「なっ……!? い、今、唇が……っ!!」
破廉恥だと慌てふためくトールへ、ロビンが呆れながらジト目を向ける。
混乱のあまり『拒絶』の魔法が制御できておらず、バチンバチンと大きな音を立てて雷が弾ける。
「それよりも気にすることがあるだろう」
ロビンが一度咳払いすることで、トールは平静を取り戻すよう頭を切り換えた。魔法の効果は静電気のように微弱なものとなる。
「一瞬、陽炎のように姿が揺らいだことか」
「そうそう。まるで幻属性の魔法が掛かってるみたいだったよな?」
「事故とはいえ弟が接吻したことの方が、私にとっては一大事だ」
「いや、仲間のことだろう。魔法については敏感になろうぜ」
トールのハヤテに対する過保護を通り越した愛情を前に、ロビンは若干引いているようだ。
「男色に関しては許容できるが、弟や妹が婿や嫁として嫁ぐのは認めん」
「心が狭すぎるというか、器が小さいというか……」
頑固親父のような言い分だった。
もしも実家に居たならば、相手を門前払いして「二度とうちの敷居を跨ぐな!」と在り来たりな台詞を吐いていたことだろう。
「ところで男色とは?」
「男同士の恋愛だ。私の国では跡取り問題がある地域に限り少数派だな」
「あー……」
あからさまに目を逸らされ、トールは首を傾げた。
「ホロウリィでは同性愛を認めてない。街中では軽はずみに口にしないほうがいい」
「そうか、文化が異なるのだったな」
トールはロビンの言葉を素直に受け止め、異文化に順応する姿勢のようだ。
「文化……キスと魔法……」
一方ロビンは、文化という単語から連想することがあったようだ。
「何か関係があるのか?」
「あ、ああ。さっきも言った通り、ドロップリア王国は童話を元にした名前や魔法が多い」
「らしいな」
「同時に、童話と同じ運命を辿りやすい」
ふむとトールも思考を巡らせる。
「例えば俺はロビンフード、いわゆるロビン・フッドって童話の義賊と同じ名前だ」
「義賊、つまりはネズミ小僧か」
物語については無知なトールだが、義賊は世間を騒がせていたため偶然知っていた。
「魔法は潜入に役立つ『擬態』と、物を作る『生成』。どっちも土属性だから、土が必要になるわけだ」
「義賊に『擬態』が必要なのはわかるが、『生成』は関係あるのか?」
「いや、『生成』出来る物が限られていて、複雑だったり大きな物は作れない。せいぜいこれくらいさ」
ロビンは腰にぶら下げていた小袋に手を入れ、中に入っていた物を握った。目の高さまで持ち上げ、中身が見えるように開く。
「土塊か?」
「ご名答」
革の手袋の上に乗るのは、水分があまり含まれず、触ればボロボロと崩れる乾燥した土だった。
「我らが大地の息吹よ、その形を変えよ」
呪文と共に土塊が細長く固まる。徐々に片側は先端が尖り、もう片側は二又に分かれた。
二又の部分が少し太くなり、やがて矢羽だと分かる。
もう片手では同じように土塊を長い弓柄の弓へと変えていた。
「この魔法で得意なのは彼が使用していた武器である弓矢だな。『擬態』の魔法は緑に変色させた土を付着させ、外套の柄を変えている」
「応用が難しいならば、使い勝手が悪くはないか?」
「確かに制限はあるが、それでも十分なのさ」
ロビンは視線をさ迷わせる。教会からさほど離れていない見晴らしの良い展望台。周囲にはハーブの庭園と真円の泉があるだけだ。
風が吹き抜け、フワリと木の葉が飛んで来た。
弓柄を握り、弦に矢を番える。一息入れると、矢が射られる。
放たれた矢は真っ直ぐと飛び、舞い散る木の葉を貫く。
「百発百中とまではいかないが、弓の名手としての腕前を確かに得ている」
「名前で縛る……言霊のようなものだろうか?」
この世界の人間は、名前や魔法で運命が縛られている。トールはそんな考えが過っていた。
「それで、キスと魔法の話に戻るんだが」
トールが本題を思い出し、再び不機嫌になる。火花の音に紛れて小さく舌打ちしていた。
「童話の中で、キスとは呪いとしての意味合いが強い」
「呪いではなく、呪いか……」
言葉で縛るということには疑問を抱かなかったトールだが、キスと呪いとの関連は飲み込めないらしい。
大和ノ国における接吻とは、あくまで愛の象徴ということだろう。
「ああ。魔女の魔法を解く方法として、キスが用いられることが多いんだ」
「つまり、あの一瞬、フレアにかかった魔法が解けたかもしれないと?」
「あくまでも想像だがな」
根拠が無いため、ロビンは自信が無さそうだ。
「しばらく様子を見ればわかる。それに、私の弟が共に居る」
桃色に染まる頬で柔らかな笑みを向けられ、ロビンは燃え尽きた夕暮れのような京紫の瞳を、吸い込まれるように見つめていた。
☆☆☆
浜辺で倒れたフレアを背負い、俺は診療所へと戻っていた。
まだ誰も帰ってきていないらしく、ベッドは全て空いていた。一つにフレアを寝かせる。
布団を掛け、ベッド横の椅子に腰を落とす。
冷えきった身体は無事に熱を取り戻し、胸を撫で下ろした。
退屈しのぎにそこらに放ってあった本を開いてみる。医学関連の本らしく内容に興味は無いが、眺めるくらいならこれでちょうどいい。
長ったるい病名や専門的な治療法、呪文のような名前の薬剤なんかも載っている。
医療がやけに進んでいると思えば、出版元はルクスリアのようだ。あの国は花街で有名な半面、医学や科学が発達しているのだ。
錬金術を学んでいるカースなら、ある程度わかるんだろうか。そんなことを考えていた時だった。
「 ………………うぅ」
フレアのうなり声が静寂を破った。
規則正しく寝息を立てていたはずだが、気づけば苦悶の表情を浮かべていた。
額に大量の脂汗を浮かべ、布団を強く握り締めている。
「フレア!?」
声をかけたところで目は覚めない。
何かから逃れるように身を捩り、頭を左右に振っている。
「……ぃ、さ……っ!」
肩を揺すろうと伸ばした手が、止まった。
「今、兄さんって……?」
悪夢にうなされているとわかりつつも、フレアの寝言を聞き取ろうと耳を澄ませる。
「…………すけ……な、いと」
いつの間にかポロリと涙の雫が目尻に溜まっていた。
「アッシュとロキより、はやく……」
「なんでフレアが…………」
アッシュはメイジーの妹の名前。ロキはトールが宿敵とし、レインの兄貴が封印したという邪神の名前だ。
ドクドクと鼓動が速まり、胸が熱を持つ。
「ごめんね、ハヤテ……わすれてて…………」
兄さん、アッシュ、そして俺の名前……これだけヒントがあれば、フレアの正体を暴くのに想像は難くなかった。
「の、いっ」
緊張で喉がカラカラに乾き、掠れた声が洩れた。
何故忘れてたのか、隠していたのか、生きていたのか、尽きることの無い疑問を塗り潰したのは、生きていたことに対する純粋な喜びだけだった。
「俺こそ、大切なこと忘れてて、ごめん」
込み上げてきた想いに耐えられなかった。
起こさないように両手で声を押し殺し、止めどなく涙を流す。
仲間として、家族として、共にブルースター隊として旅をしている。再会の喜びを分かつことはいつだってできる。
だから俺は、フレアが秘密を教えてくれるまで、今日の出来事を見て見ぬふりすると決めた。
俺の頭の中を、忘れてしまっていた罪悪感が埋め尽くしていたことも大きい。
彼女はノイバラ・アウロラターリア。
メイジーと血を分かつ、俺にとっても妹のような存在だ。
家族を失って天涯孤独の身だと思ってたけど、リーフェルは生きていた。
リラやレインはこんな俺と家族になろうとしてくれたし、トールは俺を捜しに来てくれた。
「俺は、幸運だな……」
涙と声を殺しながら、自分の幸運を噛み締めた。




