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フロックスの魔法使い  作者: 雨偽ゆら
3章 雨の目覚め
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『雨の悪夢2』

 照り付ける太陽が身体中の水分を搾り取り、喉だけではなく心まで渇いてしまいそうだった。

 砂は足を埋め、絡み付いてくるよう。

 一歩、また一歩と、踏み出すことを阻害している。


 体力をつけるために、ホロウリィの浜辺をひたすら走っている。――いや、走らされているわけだが、思いの外キツかった。

 走るくらいで体力がつくのだろうか? と疑い、フレアに抗議した自分を咎めたい。

 おかげでその辺に転がっていた、石を袋状の網に詰め込み、縄で腰にくくりつけられている。

 体力が奪われるだけでなく、動きが制限されているのだ。


 潮風が身体に吹き付け、ベタベタと纏わりついていた。

 ジットリと湿っているのは汗と潮風のどちらが原因なのだろうとさえ思う。


 ふと視線を白岩の防波堤へとやると、いつもの格好のままフレアが槍を片手に仁王立ちしていた。

 赤いローブは炎を彷彿とさせ、見ているだけで暑苦しいのだが、フレアは脱ごうとはしない。

 脱いだ姿を見たのも、あの診療所で休んだ時くらいだ。

 一人どこかで水浴びを済ませてしまうし、頑なに素肌を晒すことを避け続けている気がする。


「ん?」


 防波堤の上で、フラフラとよろめく姿が目に映った。

 バランスを崩し、まっ逆さまに落ちていく。

 慌ててフレアの元へと駆け出す。


「い、って…………」


 間一髪、砂浜とフレアの合間に滑り込んだ。唇に何か柔らかいものが触れたような気がするが、それどころじゃない。


「おい、フレア?」


 上半身を起こしてフレアを抱え、頬を数度叩いてみた。

 どうやら意識を失っているようだ。

 白い肌が青褪めて見え、嫌に体温が冷たく感じられる。

 心臓が警報を鳴らすように、ドクドクと忙しく脈打っていた。

 あまりの大きさに腕の中で眠るフレアを起こしてしまいそうだ。


 ……本当に、死んでない……よな?

 耳を澄ませると微かに寝息が聞こえ、ほぅと息を吐いた。

 眠るように、安らかな表情を浮かべている。


「やっぱ無理してたんだろ、バカ」


 フードからはみ出た赤髪に、サラリと優しく触れる。

 口では咎めるようなことを言うが、内心は心配だった。

 ただでさえ暑さで体力を消耗するというのに、水分も取らず、厚着をしたまま日光を浴び続けていた。

 ましてや封印の魔法を破壊したせいで、ちょっと前まで魔力が暴走していたのだ。倒れない方がおかしい。


「…………あ、れ?」


 抱えていたのは間違いなくフレアのはずなのだが、違和感があった。

 そういえばと思い出すのは、ピスケスでの帰り道だ。魔力と気力を使い果たし、気絶したフレアのことを、トールは軽々と背負っていたのだ。


「なんで、こんなに軽いんだ?」


 見た目は筋肉質な身体が、折れるのではと心配になるほどに華奢だった。見た目と感触がちぐはぐだ。

 これじゃまるで――偽の身体(うつわ)(なかみ)を入れたみたいじゃないか。



          ☆☆☆



 時計の鐘と共に突然目の前に現れた少女。

 彼女は私より年下なはずですが、服装や仕草などから醸し出される妖しさにより、少し大人びて見えます。


「アッシュ……?」

「おにいさまぁ!」


 脱獄して早々に、フレアの胸へと飛び込みました。


「お兄様のお迎えが遅いから、アッシュは待ちくたびれてしまいました」


 艶っぽく微笑み、愛おしそうにフレアの胸元をなぞります。

 まるで二人だけの世界に囚われてしまっているようで、ぞわっと肌が粟立ちました。

 メイジーはガタガタと震える身体を抱きながら、二人から距離を取っていました。

 背中が壁に当たり、音を立てます。


「……お兄様との逢瀬を邪魔するのは、だあれ?」


 鋭い視線がメイジーに向けられました。

 血の繋がりがあるにも関わらず、殺意が籠っています。


「アッシュ……僕は……」

「あなたは誰?」


 冷徹な瞳に身をすくませながらも、メイジーは拳を握ります。

 瞳が潤み、身体の周囲が深い闇に覆われていきます。


「ごめん……兄さん、アッシュ……」


 メイジーの着るボロ服の裾から、ニュルリと腕のような物が生えてきます。


「な、何してんだ……」


 蔓に棘の生えたそれは、茨であると一目でわかりました。

 その茨が、メイジーを守るように、身体に巻き付いていきます。

 シュルシュルと絡み付く様はまるで蛇のようです。

 茨は頭巾より下を覆うと、スモックのように裾の広がる厚手の服と、ゆったりとしたズボンとなりました。胸元とベルトには野ばらが咲いています。


 魔法で造り出された装備ですから、私の氷の鎧と同じく、見た目に反する防御力が秘めているのでしょう。

 気付けば手には、茨が束となって収まっていました。どうやら鞭のようです。


「僕は君を、殺したくない……っ!」

「あなたが誰かは知らないですけれど、少なくとも」


 目を細め、アッシュはガラスの靴で地面を小突きます。


「アッシュとお兄様の愛を引き裂く、害虫ですね」


 背後で、憎悪が炎となって燃え上がります。身体の前で斜めに構えられたのは、刃がしなやかに湾曲した半曲刀でした。


「どうしてこんなことになってんだよぉ……!!」


 絶望に打ち拉がれるフレア。私も、愕然とその光景を目の当たりにするしかできませんでした。

 アッシュの降り下ろそうとした曲刀を、メイジーは鞭で腕ごと動きを封じました。

 細い見た目とは裏腹に、茨は刃が通らぬほど丈夫なようです。


「へぇ……オモシロイじゃないか」


 人の不幸を蜜だとしか考えない、いかにも利己的な発言は、当然ながらロキのものです。


「紡がれし物語よ、ここに現れろ」


 手の平から魔法陣らしきものが現れ、突如として空中に銀色の魔道書が出現しました。

 一触即発な雰囲気の二人へと向け、パラパラと魔道書のページが捲れていきます。

 ロキは懐から木片を取り出すと、魔道書へと掲げるように差し出します。

 ピタリと、ページが止まります。


「我は人の運命を編み込む者、軌跡の糸を手繰り寄せ、過去に示されし答えをここに……ディースウルズ……」


 魔道書から魔力の糸が伸びると、アッシュとメイジーの腕に結び付きました。

 あの魔力の糸から何らかの情報を得ているのでしょう。


「フム、これは驚いた」


 特に感情を揺らすことなく、淡々とロキは続けます。


「十三番目の魔女の呪いか」

「魔女の呪いだと!?」

「ああ。これは双子という存在が禍罪である故に起こった事故だ」

「な……っ!?」


 魔道書を閉じると同時に、糸は粒子となって消え去りました。

 恐らくは記憶を辿る魔術だったのでしょう。


「本来十三番目の魔女は、16歳の誕生日と共に100年の眠りへと誘う呪いをかける予定だった。しかし、双子であると知った彼女がかけたのは、二人のどちらかが死ぬまで、強制的に殺し合う呪いなのさ」

「そんな大事なこと、俺はどうして……」


 さらなる絶望に心を蝕まれ、フレアは戦慄しているようです。

 兄妹が殺し合わねばいけない定めであることを知らなかったのならば、当然でしょう。

 もしも私が兄様と殺し合わなければいけなかったらと考えると、目の前が真っ白になりそうです。


「覚えていないのは当然だろう?」


 フレアを嘲笑いながら、ロキは指を鳴らします。

 音と同時にロキの側で咆哮が聞こえたかと思えば、熊のように大柄な狼が影から飛び出してきました。

 ロキの足に頭を擦り付け、グルグルと喉を鳴らしながら甘えます。


「フェンリルは記憶を喰らうと教えたはずだ。君はそれすらも記憶に無いだろうがな」


 フェンリルと呼ばれた狼はその場で座ります。ロキはフェンリルの背中に腰を下ろしました。


「それより、止めなくていいのか?」


 視線を二人へ戻すと、アッシュが曲刀を力ずくで取り戻すのを止め、片手をメイジーに翳しているところでした。


「憤怒の炎よ、燃え上がりなさい」


 炎が点り、メイジーは慌てて退きます。

 しかし炎は追撃し、ジリジリと茨の鎧を焦がし始めました。

 鞭が緩んだ隙にスルリと曲刀を引き抜きます。


「それは肌が焼け爛れるような痛みを与え続ける、『拷問』の魔法。私の幸福を邪魔した報いを受けなさい」


 炎が全身へ広がり、誰もがアッシュの勝利を確信していました。

 けれど炎は、火花となって散ってしまいます。


「残念だけど僕には通じないんだよ」


 アッシュの頬と腕を鞭が掠め、赤く染まります。

 腕を撫で、アッシュは目を細めました。


「…………なら、こうしましょうか」


 アッシュの瞳が妖しく光り、黒い炎が過去の私の足下から這い上がります。じわじわとなぶられているかのようです。

 炎は全身を毒のように回り、そして瞳から光が失われました。

 人形のような虚ろで無機質な自分の様相に、ゾッと怖気立ちます。


「あれは敵です。アッシュの為に倒してください」

「…………はい」


 私の身体が、まるで操り人形のようにアッシュの命令通りに動き出しました。

 創造の魔法で氷のレイピアを出現させ、メイジーとの距離を詰めます。


「アッシュ! テメェ何をしやがったっ!?」

「アッシュを主人とし、絶対服従を誓った記憶を焼き付けただけですわ」


 猫のように笑いながら悪意無い言葉をサラリと告げるアッシュは、善悪の見定められない子供のようです。

 私の繰り出す刺突を、メイジーは懸命に鞭で弾きます。

 隙を見て足を払われてしまい、私は後退しますが、メイジーは行動を予測していたのか鞭をしならせました。


「お姉さん、巻き込んでごめんね」


 哀しみに目を伏せ、消え入りそうな声で呟きました。

 ヒュンという風切り音と共に、レイピアを鞭で捉えます。魔法の精度が低いため、簡単に砕けてしました。


「氷よ」


 水蒸気を凝結させた氷の矢が、次々とメイジーに襲いかかります。


「くっ……!」


 応対するものの、全てを捌ききることは出来ず、徐々に茨の鎧を削っていきます。

 メイジーが防戦一方な中、大きく鋭い氷の剣が、私の頭上で造り出されていきます。

 防御が崩れた瞬間、氷の剣が放たれました。


「やめろおおおおぉぉぉっ!!」


 制止の声も空しく――


「あ…………う……」


 氷の剣は茨の鎧を貫き、心臓を穿いていました。

 時間が止まったかのように、フレアは虚ろな表情で固まります。


「また、俺は……守れなかった…………」


 ダラダラと垂れ流れる血液が、メイジーを、地面をどす黒く染め上げていきます。


「っ!!!」


 苦痛のあまり、声にならない叫びが響きました。

 全身から力が抜けてしまい、メイジーはガクンと倒れ込みます。

 既に虫の息ですが、それでもメイジーは生にしがみつこうと抗っていました。


「あら? まだ生きてるのですね」


 まるでゴミを見るような目は、決して家族へ向けて良いものではありません。

 けれど、アッシュはメイジーを忘れているようでした。

 …………忘却?

 フェンリルの上でくつろぐロキへと視線をやると、ロキは不気味な笑みを浮かべていました。


「残念ながらフェンリルの仕業ではない」

「じゃあ、誰の」


 答えは予想の斜め上をいっていました。


「アッシュが自分で、自身に偽の記憶を焼き付けたのさ」

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