『雨の追憶2』
「はい! おしまいっ!」
手当てを終えた私は満足そうに包帯や消毒液の片付けを始めます。
当たり前のように救急箱を用意し、勝手に使用したからか、フレアは訝しんでいました。
「ここ、お前の家じゃねぇだろ……」
そう。連れていくと言ったのは家ではなく、騎士団の拠点として用意された宿舎でした。
兄様の遠征についてきた状態なので、私にも宿舎の一室が分け与えられていたのです。
「今はここに住んでるから家って呼んでもいいの!」
強情にも子供の私は宿舎を家だと言って聞きません。断固として拒否しているため、フレアは呆れたように肩を竦めました。
「手当てしてくれたことはかんしゃすっけど、オレみたいなヤツに近寄ると、ろくなことにならねぇぞ」
「ろくなこと?」
「痛い思いをするっつーことだ」
「なんで?」
この頃の私はまだ世間知らずで、社会的地位や差別などについて理解できていなかったのです。
常に薄暗く寂れた街。王都から離れているため仕事が少なく、貧困層が多く住んでいます。
治安の悪さは折り紙つき。身綺麗な少女が迷い込めばどうなるか、想像に難くありません。
「……とにかく、てめぇはもうあそこに来んな!」
背中を向けて出ていこうとするフレアですが、進むことは出来ませんでした。
「おい、はなせ」
幼い私が服の裾を引っ張っていたのです。
当然ながら女子では男子の脚力に勝てるわけはありません。けれど私は両手で服を掴み、体重を全力で後ろへとかけていました。
負けじとフレアが踏ん張ると、私を引きずるように一歩進みました。
フレアが足を止め、振り返ります。遠心力でパッと手が放れます。
「てめぇ何しやがる!」
「てめぇじゃない!」
ずいっと顔を寄せられ、フレアはぎょっとしていました。
「レイン!」
それが名前だとすぐにはわからなかったようで、私はもう一度、今度はゆっくりハッキリとフレアに告げます。
「わたしの名前は、レイン・スノウホワイト! あなたは?」
フレアは困惑しながら、小声でボソボソと何か呟いていましたが聞こえません。
「あなたの名前をおしえてほしいのっ!」
辺境の地で同年代の人と出会えたことで、私の心は昂っていました。
興奮気味に尋ねたものですから、フレアは圧倒されたようです。
「べつにあなたの名前を聞いてわるいことをしようとしてるわけじゃないよ」
フレアの手を取り、ぎゅっと両手で包み込みます。
「わたしと友だちになって!」
友達という単語に、フレアの顔はどんどん青ざめていきます。
「てめぇみたいなヤツはオレといっしょにいちゃいけねぇんだよ!」
「でもわたしは、あなたと友だちになりたいの!」
力ずくで手を払おうとするフレアと、決して放そうとしない幼い私。
双方が一歩も譲らないため、口論はどんどん激しくなっていきます。
「スラムって知らねぇのか? 家なし親なしのヤツらは見下され、きたねぇって言われんだよ!」
「そんなの知らない! たしかにちょっとくさいしきたないけど、それでもわたしはあなたがいいの!」
「わけわかんねぇよ! つーかきたねぇのは認めんのかよ!」
「だって本当のことだもの!」
「ふざけんじゃねぇぞ!」
「……ふざけているのは二人ともだっ!!」
頭に響くほどの怒号で一喝され、幼い私もフレアも黙り込みました。
恐る恐る、二人して部屋の入り口へと視線を向けます。
氷のようにきらびやかな白銀の髪を背中に流し、銀の鎧を着た騎士――私の兄にして、現在のドロップリア王国騎士団の団長が立っていました。この当時はまだ、副団長としてお父様を見て勉強していた時期でした。
口論は宿舎全体に声が響いていたのでしょう。完全にご立腹な状態です。
「おい小僧、誰の許しを得て私の可愛いレインの部屋にいる……?」
「た、たいちょ、これはその……」
「キサマはまだ任務中のはずだが?」
静かなる怒りほど怖いものはありません。
兄様の背後から発せられるどす黒いオーラによって、フレアはすっかり縮こまってしまいました。
「さあ、さっさと出ていけ!」
普通ならばここまで叱咤するはずはないのですが、兄様は『友愛』に強欲な方でした。
家族や友人の愛情を独占したがる困った方だと従兄弟がぼやいていたのを思い出しました。
「にんむ?」
「ああ。コイツはドロップリア王国騎士団の中でも、我がスノードロップ隊に属しているのだ」
同じくらいの年頃の男の子がすでに騎士をしているということを聞き、幼い私は尊敬の眼差しを向けていました。
私も騎士を目指して鍛練を続けていましたが、兄様に危険だからまだ早いと止められていたのです。
「ここに住んでるの?」
「ああ」
「ならお部屋に遊びに行きたい!」
幼い私の表情がぱぁっと眩しく明るむので、兄様は複雑そうな表情で渋々頷きました。
ソロリソロリと部屋を出ていこうとするフレアを捕まえ、兄様は私の前に突き出します。
「どこへ行く気だフレア。私の可愛いレインに挨拶しろ」
兄様の横暴さ加減には慣れていたようです。小さくため息をつくと、ペコリと頭を下げます。
「スノードロップに入った、フレアです」
すぐにそっぽを向かれてしまいましたが、私は名前を教えてもらえたことが、跳び跳ねるほどに嬉しかったのです。
「くっ……! 我が妹ながらこれほど愛らしいと変な虫が付かないか心配だ……!」
上司が胸を押さえながら膝をつく姿は初めて見たのでしょう。フレアが幻滅した様子でわなわなと震えていました。
「たいちょっていつもあんななのか?」
「わりとそうだよ」
「まじかよ、信じらんねぇ……」
騎士団での兄様は規律正しく、常に冷静に仕事をこなしているのです。イメージと異なるのでしょう。
「……まぁ、ちょうど良い機会だな」
吹っ切れたように呟くと、兄様はむくりと起き上がりました。
「フレア、お前にアップルインの名をやろう」
「はい?」
突然名前を与えられたフレアはポカンと口を開けました。
「フレア・アップルインと名乗れ」
「え、な、なんで急に――」
「アップルとはリンゴのことだ」
フレアは兄様の言葉足らずな説明により、さらに混乱しています。
「わからないか?」
「サッパリわからねぇんすけど」
キッパリと言い張るフレア。私もこれが当然の反応だと思います。
兄様は部屋の本棚に目をやると、一冊の童話を取り出しました。表紙をフレアに見せます。
「しらゆき、ひめ?」
白雪姫とは昔からある童話の一つで、私のスノウホワイトという名前の元になったもの。ドロップリア王国では童話を元に名付ける決まりがあるのです。
その影響か、他国よりも童話や伝承などが数多く残されていると聞きます。
「レインは白雪姫で私は鏡。同じ童話から名前を取ることは、強い絆で結ばれていることを意味する」
つまり兄様は――
「キサマには家族としてレインの世話係をさせようと思う」
「げっ」
私を拒絶する心の声が漏れていようと兄様は黙殺します。
「でもオレのにんむはどうなるってんだ?」
「他の者に任せる。どうせまだ動きはしないようだからな」
兄様の説明にフレアは不満そうに膨れっ面をします。
「心配なのはわかるが、今のキサマにはせいぜい様子見程度しかできないだろう?」
「そうなんすけど……」
「ならばレインのことは任せる」
こうしてフレアは、私の従者になりました。
……気分的にはお目付け役という方がしっくりくる表現ですけれどね。
☆☆☆
つまらない本のページを捲って飛ばすように、時間が目まぐるしく進んでいきます。
ドロップリア王国の首都であるガイアに戻ってからは、フレアと共に暮らすようになりました。
実家には不潔で無礼な者は置けないため、身なりはきちんとさせ、口の悪さも教育されていました。……口調と粗暴の悪さは直りませんでしたが。
同時に、私も礼節についてお母様にみっちりと叩き込まれました。数年の時を経たことで剣術や魔法の腕も上がり、一人前の騎士として成長しました。
「レイン、朝ごはん用意できたからさっさと来い」
「はい!」
主君と従者という関係ではありますが、対等な友だちとして接して欲しいというのは私からお願いしました。
ダイニングへ移動すると、私の定位置である椅子が座りやすいように後ろへ引かれました。腰掛けると同時に、椅子が机の位置に合わせて戻されます。
長机には他に誰も居らず、机の上には私の朝食と、飾りとして薔薇を活けた花瓶、夜を照らすための燭台だけ。
誰かが一緒に居てくれるというだけで食事は美味しくなるものですが、フレアは従者なのですでに別室で済ませているのでしょう。
「……そういえばずっと聞きたかったんですけど」
「あらたまってなんだぁ?」
壁際に控えていたフレアが眉を寄せながら聞きます。
「フレアはヒュプノスで何をしていたんですか?」
「は?」
「出会った時のことです」
「……ああ、あの任務か」
久しぶりに思い出したのか、フレアは少々物思いに耽っていました。
日を照り返す髪も相まって、黄昏時の空のような物悲しい雰囲気を纏っています。
「ヒュプノスの地下にある闘技場を監視してたんだ」
「闘技場ですかっ!?」
「食事中に立つんじゃねぇよ」
驚きのあまり立ち上がり、食器がガチャンと耳障りな音を立てました。フレアに両肩を掴まれて座り直します。
「あそこはドロップリア王国とスカンディナヴィアの国境沿いで、完全に無法地帯になってんだ。だからそういう野蛮な賭博場もできちまうわけだ」
私の顔はみるみるうちに血の気が引いていきます。
今の話から、ふと素朴な疑問が浮かびました。
「でも、どうしてそんな危険な場所の任務を受けていたんですか?」
「それは…………」
フレアはどうしても話したくないようで口ごもってしまいます。
本人に聞いたところで口は割らないことでしょう。ですが、私はすっかり好奇心に駆られていました。
「私も一度、闘技場を見てみたいです」
ポロリと零れた一言に、フレアは目を吊り上げました。
「ダメだ」
「どうしてですか?」
昔と違って、どんな場所か理解した上での発言。けれどもフレアはバッサリと切り捨てたのです。
理由を聞く権利は十分にあると思います。
「昔言っただろ。あそこはテメェみたいなヤツが行くとこじゃねぇ!」
私がそれ以上我が儘を言うことはありませんでした。
話が終了したからか、フレアはすっかり安堵した様子です。
けれども人生というのは、常に予期せぬことが起こるのです。
それから約一月後、今から見ると三年ほど前のことでした。
金属の小槌でベルを連打する騒がしい音が響き、私はダイヤル式の電話の受話器を取りました。
相手は遠征している兄様からです。
「……兄様、今なんとおっしゃったのですか?」
受話器越しでも、兄様が切迫した状況下に居ることはわかりました。焦りのあまり早口になり、何と言っているか聞き取ることが困難です。
見ていられなかったのかフレアに受話器を奪い取られてしまいます。
「代わりました。フレアです」
膨れる私の頬をつまみながら、フレアは兄様の話を聞いていました。
「…………は?」
フレアの手から受話器が滑り落ち、床に落ちる前に慌てて拾います。
『いいか、もう一度だけ言う』
声が受話器から漏れ聞こえてきました。
兄様は声を低め、ことの重大さを強調しながら告げます。
『ヒュプノスの闘技場に乗り込む。貴様らも参加しろというのが、父上からのご命令だ』
てっきりフレアは衝撃のあまり震えているのかと思っていましたが、むしろフレアは高揚しているようでした。
「ようやく行けるんだな……」
フレアの瞳は獲物を前にした獣のように、ギラギラと燃えたぎっていました。




