『風の盗賊1』
ルピナス。それがこの世界の名前だ。
ルピナスでは誰もが魔法を扱うことができ、生まれながらにして使える魔法の属性と系統が決まっている。
だからこそ魔法というのは、その人のアイデンティティどころか運命だと言われている。
定められた魔法を活かした人生を送ることが望まれ、例えば土属性で物質強化が得意なら鍛冶屋、水属性で操作が得意なら水芸師、俺と同じ風属性でも飛行なら空輸などを生業にしている。
「風よ、我の音を攫え……」
バサリと翻したマフラーの音が消える。
俺が使えるのは風属性の隠蔽と加速の魔法。今発動したのは『隠蔽』の魔法で、自分と世界との間に無風の空間を作ることで、外に音を伝えない効果がある。つまり無音の魔法。この魔法が音ではなく風の属性である理由は、音は空気の振動で風は空気全体の動きだってリーフェルが簡単に説明してくれた。
俺が風の魔法を活かすためにしてるのは盗賊。特に冒険者から金目の物を盗むのが日課となっている。
この田舎町、グリーングラスでは情報が一瞬にして住民に回ってしまう。一部の例外を除いて、住民をターゲットにすることは許されない。
けれど住民は外から来た人から盗みをしても、特に何も言ってこない。互いに不干渉というのが暗黙の了解だ。
それにしても、空腹に耐えかねて大通りまで出てきた甲斐があったようだ。
前方から余所者らしき二人組の冒険者が歩いてきた。
一人は真っ赤なローブを着込む魔道師、もう一人は鎧を着た剣士のようだ。
魔道師は攻撃的な魔法を宿しており、剣士は俺の『加速』の魔法のように自信を強化する魔法や剣術を用いて戦う。つまりどちらも武闘派なわけだが、町中は休息地のため油断している。付け入る隙は多い。
案の定、二人は会話に夢中で周りを見ていないようだ。
おっと。好都合だと言わんばかりに口元が弛んでしまった。
隠すように覆った手の内で、深く息を吸い込み――止める。
背景に溶け込むかのように気配を殺し、近寄る二人へ向けて歩き出す。
一歩、あと一歩。
間合いのギリギリを計りながら進む。
すれ違う直前、音も無く魔道師のローブに手を忍ばせる。
ガサゴソと不用意に漁らず、最低限の動作で硬貨袋を抜き出す。ずっしりと、かなり重さがあるようだ。
そして離れる時は自然に、決して早足にならないようにする。
曲がり角を曲がって様子を窺うが、どうやら気付いていないようだ。
「さて、中身は――はぁっ!?」
硬化袋の中には、驚くべきことに金貨が何十枚も入っていた。ちなみに金貨は他国では一万円という紙切れと同価値らしい。そもそも紙がお金として流通していること自体信じられない話だけどな。
「あいつら、一体何者だ?」
実はあの恰好はオシャレの範囲内で、ただの金持ちのボンボンだったってことだろうか。
これだけあれば数年は食いっぱぐれることがない。
硬貨袋をベストの裏ポケットに仕舞い込み、酒場へと足を進める。たまには贅沢したって罰は当たらないはずだ。
「よっしゃ! 今日はご馳走だ!!」
「おっ? なんかご機嫌だな、ハヤテ」
陽気に声をかけてきたのは、昔から世話になっている食堂のおっちゃんだった。
おっちゃんの娘が同じくらいの年頃だったこともあり、一人で暮らす俺を案じてよく差し入れをしてくれていた。
保護者と言っても過言ではないのかもしれない。まあそんなお節介なやつはこの町には多いんだけどな。
「おっちゃん、ナイスタイミング!」
「なんだあ? ようやくツケを払う気になったか?」
ニヤリと笑い、金貨を二枚ほど指で弾いて投げ渡す。おっちゃんはそれを両手で掴むと、口をポカンと開け、金貨を見つめたまま固まった。
いつもなら銀貨や銅貨、それと同等の貴金属しか渡さないからな。
「お前、今日はえらく気前がいいなぁ」
「また金無くなったらヨロシク!」
ヘラヘラと笑って走り去るが、正直ニコニコと愛想よくする自分に虫酸が走る。気持ち悪くて吐き気がしそうだ。
よく他人から窃盗して――害してまで生きているなと思うが、俺にはこれしかなかったんだ。
大通りの一角に視線が留まる。数年前に焼け焦げた家がまだ痛々しく残っていた。
「メイジー……」
俺の大切な親友。家がまるごと炎に包まれ、家族全員が焼死した。誰かの魔法で燃やされたんだ。
当時の俺はまだ魔法をうまく使えない無力な子供で、炎が全てを呑み込み、黒煙を吐き出す姿を見ることしかできなかった。
今なら炎に飛び込んで誰かを助けることができるのに……
過去の記憶に引き摺られ、足取りが重くなっていく。
ようやく町一番の酒場へとたどり着くと、まだ夕方だというのにすでに吟遊詩人による詩と音楽が流れていた。
活気が外にまで溢れ、俺とは異なる世界のようで、なんだか眩しく感じる。
『今宵は全て忘れよう♪ 不安も悩みも音で流し、心の内をさらけ出そう♪』
抱える悩みを軽くしてくれるような、軽やかで華やかな音色……
『楽しい記憶は光になる♪ 笑った時間は希望になる♪』
竪琴による演奏。それも聞覚えのある声の気がする。
「もしかして、この声って……」
人を鼓舞する曲、そして人の心の内へと無遠慮に侵入してくるようなこの陽気な詩。
俺の勘が当たっていれば、個人的には一番会いたくないヤツだ。
回れ右して立ち去ろうとするも、数秒遅かった。
「ちょいとそこのイカしたお兄さん?」
「……なんだよ」
ぶっきらぼうに返して睨み付けるも、相手は気にしない。親指でクイッと酒場を差した。
「一杯、いかがかな?」
もう1つのこいつの魔法は音感という音を感知する力だ。大通りで音に溢れる中で、音が反射されることも吸収されることもなく、無音である俺の存在に気づけたのだろう。
まぁ、どうせこいつには住んでいる場所を知られてる。逃げたところで家に勝手に侵入されるわけで、それならここで相手をするのが賢明なはずだ。
――ってなることは予想済みでここにいたんだろうな。
手の平で踊らされていると解りながら、それに従う自分に少々腹が立つ。
手慣れた仕草で酒場へ招き入れられ、隅っこの席を陣取る。
酒場には常連しか通っておらず、空席がちまちまと見られた。
ふいとそっぽを向いている間に、俺の分も注文を済ませていたようだ。
「さぁて、とりあえずエールでよかったよなあ?」
「で? 何の用なんだ、ソナーレ」
ソナーレ・センティート。まだ二十代という年齢に反した渋い声と容姿が特徴だが、髭が伸びていても不思議と不衛生ではない。むしろ童話に出てくる優しいおじさんという印象だ。
ずっとリーフェルの相方としてルピナス中の酒場を旅していた。
いつも笑っているのに、考えていることを表に出さない食えないヤツだった。
たった一回だけ聞いた本音は、リーフェルが死んだことを告げに来た時の、自分の無力さが死を招いたという懺悔の言葉。あの日以来、こいつは決して笑みだけではなく、涙を流すこともなくなった。
グリーングラスに残された俺と違って、隣にいたのにリーフェルを守ることができなかったこいつを許すことはできない。
「実はちょいとお願いがあってなぁ」
「断る」
「まあ、話くらい聞いてくれや」
席を立とうとしたが、テーブルにエールと料理が置かれてしまった。着席を促されてしぶしぶ席につく。
この流れで断ることは難しい。ソナーレはいつもこうして俺に雑用を押し付けてくる。
俺はいら立ちを飲み込むように、遠慮なくエールを喉に流し込んだ。
滅多に注文できない料理の数々が目の前に広がっており、ごくりと唾液を飲み込む。沸き立つ食欲には抗えなかった。
ふわふわの白パンには濃厚なバタークリームが添えられ、サラダは彩りにも栄養にも気を使った様々な野菜を使用している。
中でも一際目を引いたのは、岩塩と胡椒のみでシンプルに味付けされたフォレストバードのステーキだ。
ナイフを使わずにフォークだけで千切る。口に入れると予想外にもホロホロとほどけた。塩で引き立てられた甘味ある肉汁が口中に広がり、胡椒のピリッとした辛味の後、ほんのすこしのリモーネ果汁が味をサッパリとさせている。
「うまっ!!」
あまりの旨さについつい笑みが溢れる。
向かい側にソナーレが座っていることを思い出し、ごほんと咳払いして平静を装う。
「……で?」
一刻も早くソナーレと離れたい俺は、さっさと用を済ませたかった。せっかくだし飯は食うけど。
話半分でも気にしてなさそうな様子だし、手と口は止めない。
「お前さんに面倒を見てほしいヤツらがいるんだ」
「はぁ? 俺は人と群れないって知ってんだろ?」
「でも報酬はもう受け取ってるはずだ」
「報酬?」
「あるだろう?」
ソナーレはトントンと胸元を叩いてみせる。そこは俺が硬貨袋を入れたポケットがある場所だった。
つまり、あいつらがソナーレのいう「面倒を見てほしいヤツら」ってわけで、わざと盗られた可能性も――
「お前、ハメたのかっ!?」
「いやぁ、一筋縄ではいかないことは理解していたからね。少し謀らせてもらったよ」
フフンと自慢げに竪琴を鳴らし、ソナーレは笑みを見せた。
「今頃はハヤテの家に着いている頃だろうよ」
「…………ちっ」
俺はすぐに酒場を飛び出した。リーフェルたちとの思い出が詰まった、大切な家に向かって……