『雷の疑惑2』
土道を歩んでしばらく経ったが、未だに終点らしきものは見えてこない。
左右は草木が鬱蒼と生い茂り、先は霧がかかっている。
あまりにも先が見えず、代わり映えのしない景色に、次第に心は沈んでいく。
「……今、俺らってどこ向かってんだっけ?」
せっかくグリーングラスを旅立ったというのに、景色は相変わらず緑ばかり。ゴールの見えない迷路ほど辛いものはない。
「ハヤテは本当に人の話を聞きませんね」
呆れたような物言いに反論する気力すら沸かない。
「レイニィデーというナチュレ国とホロウリィの国境沿いに位置する村が、今日の目的地です」
俺より二つも年下なのに、何故かお姉さんのような態度でたしなめてくる。
気のせいか、背後からパチッと火花が散るような音が聞こえた気がする。
「はぁ……ホロウリィの使者からピスケスについての情報を戴くんですよ……」
「なんで溜め息? っつーかお前、俺のなんなんだよ」
「リーフェルさんの代わりにハヤテのお姉さんになろうかと思って?」
「――ぶふっ!?」
サラリと爆弾発言を口にされ、フレアが飲んでいた水筒の水を吹き出したようだ。
「おっ、おまっ! 自分がなに言ってっかわかってんのかぁっ!?」
「もちろん」
取り乱すフレアに対して平然と答えるレイン。背後から感じる不穏な空気は見て見ぬふりをする。
きっとトールの隣を歩くフレアがなんとかしてくれるはずだ。
「ソナーレから聞いた話だと、リーフェルはスレンダーで背の高い、いかにも大人の女性って雰囲気だったんじゃねぇの?」
笑いを堪えるようにしてフレアはレインをマジマジと見つめ、余計な一言をぽつり。
「こーんなお子さま体型じゃなくてよぉ」
「ふ・れ・あ」
鬼の形相で拳を握るレインが纏うのは、目に見える程に禍々しい殺気だった。
周囲の水蒸気を凍り付かせるほどの冷気が辺りに広がり、背筋を悪寒が駆け巡る。
ここはどうにかレインをフォローしなければ、凍え死ぬかもしれない。
「大丈夫だって、レインにはレインの魅力があるだろ?」
「そ、そうですか?」
どうやら誉め言葉に弱いらしい。レインの反応はまんざらでもなさそうだ。
ということは具体的に誉めれば丸く収まるかもしれないな。
「そうそう。例えば隠れ巨乳とか――」
「フリーズ」
氷のレイピアを突き付けられれば、わざわざ動くなと言われずとも抵抗はしない。
両手を上げた姿勢で固まった。
「今朝のことは忘れてください。いいですね?」
「…………あ、はい」
有無を言わさぬ剣幕に狼狽えながら、こくりと頷く。
パキンという音と共にレイピアは砕け、大気中へ昇華した。
戦えないとか言いながら、今の殺意は本物だった。なんだか酷く矛盾している気がする。
「そ、それにしてもレイニィデーって遠いんだな」
霧のせいもあり、距離がわからないのは身体的というよりも精神的に辛かった。
唐突に服を引っ張られ、振り返る。
「……否、到着」
視界を正面へと戻すと、霧が嘘のように晴れていく。
空から射した日が明るく照らすのは、小さくとも人々の笑顔が溢れる、のどかで平和な村だった。
ログハウスや畑が広がっていて、どこか懐かしい気分だ。
「なんか、グリーングラスとあんま変わらないんだな」
「残念だけどよぉ、国境を越えねぇ限り雰囲気は変わんねぇぞ」
途端にガックリと肩を落とす。外の世界には憧れがあったが、これじゃまだグリーングラスを出た気分にはなれない。
「んで、無事にレイニィデーには着いたな」
「使者とは夕方頃に会う予定ですから、まだ時間がありますね」
「トール、てめぇ一人でどこへ行くつもりだ?」
勝手に一人スタスタとどこかへ向かおうとするトールをフレアが制止させる。
「情報屋。昔、隊長情報、入手」
周囲に目を凝らし、トールは情報屋とやらを探しているらしい。
しかもレインについての情報を握っていたということで、それを聞いたフレアはあんぐりと口を開けていた。
「まさかスパイなんてこたぁねぇだろうな」
「正体不明……偽名、偽十字星、フォールス・クロス……」
「あぁ? フォールス・クロスだと?」
何か引っ掛かった様子のフレアをよそに、レインが頭を悩ませる。
「私の情報ということは、その方から騎士団への入団方法を聞いたということですか?」
「居場所も、だ」
「まさかその方から私達がグリーングラスにいることを聞いたんですか?」
トールが首肯し、レインは額を押さえた。
「一応、今回の任務は機密事項なんですけれど……」
「目立つ格好なんかしてるからいけねぇんだろ?」
「お前が言うか」
緋色のローブなんて人混みの中ですら一目で発見できそうだ。それこそ、氷の鎧よりも人目を引く。
「外見、派手」
「んだとぉ!?」
いや、トールの羽織り袴も相当だと思うけど……そもそも大和ノ国の民はまだこっちの大陸だと少ないだろうし、服装は独特だし……
「言っとくが、俺はまだてめぇを信頼したわけじゃねぇからなっ!!」
「興味皆無」
「はぁっ!?」
「お前ら仲良くし――」
風が、俺を導くように何かを届けた。
香りだ。爽やかで、鼻を抜けていくような鮮やかな香り。
「ハヤテ、どうしたんですか?」
「…………こっちだ」
確かな足取りのまま村の奥へと向かう。
「おいっ! ハヤテ!」
すぐに追い付いてきたのはフレア。後ろをトールが走っている。
様々な花が植えられた花壇の横を通り過ぎながら、俺の鼻を一つの香りだけが支配していた。
「これ、何の香りだと思う?」
「は? その辺の花じゃねぇのか?」
足を止め、花壇を見回していると、息を切らしながらようやくレインが追い付いた。
「どうしたんですか?」
「ハヤテがこの辺で香ってるのが何の花からか聞いてきやがったんだけどよぉ……」
困惑するフレアに対してレインも混乱を見せる。
一人離れていたから、話の流れが読めていないのだろう。
「明らかにハッキリとした香りがあるだろ? この爽やかな香りだよ」
三人はクンクンと鼻を動かすが、はてと首を傾げた。
香りはだんだんと強まっていく一方だ。
「ハヤテは鼻が利くんですね。私にはかぎ分けられません」
「こんなに強い匂い、なんでわかんないんだ?」
つい誰に言うでもなくひとりごちてしまう。
やがて村の終点らしき地点まで来ると、その芳香の正体にたどり着いた。
他の花とは混ざらないように隔離された花壇の中で、青々とした小さな葉が、隙間なくみっちりと詰まっていた。
口に入れると少しの苦味と清涼感が広がるハーブ――ミントだ。
小さなカゴいっぱいに摘んだばかりのミントを入れていた少年が俺らに気づく。
「思ったより早い再会だったね、トールお兄ちゃん」
煤けたような灰色の髪を揺らしてこちらを向く。
シワだらけのシャツの上に、やけに小綺麗な上着を羽織っている。
「フォル」
どうやらこの少年がフォールス・クロスらしい。
「鳩、か?」
バサバサと音を立て、白い鳥が少年の腕に留まる。確かパロマという名だが、大和ノ国では鳩と呼ぶらしい。足には手紙が結ばれていた。
「もしかして、あなたがホロウリィの使者なんですか?」
「そうだよ。ボクはフォールス・クロス。気軽にフォルって呼んでね」
ホロウリィの使者ということは、国を担う者に仕えているのだろう。それなら他国の重役であるレインを知っていても不思議ではない。
あの国では星を信仰しており、星から未来を授かる者、星の力を宿す者、そして星そのものを含めた三柱を中心とした政治を行っているとリラから聞いた。
それぞれを星の巫女、星の御使い、星神と呼ぶらしい。
「ボクは星の巫女様に命じられたんだ」
手紙を解くと、パロマは羽根を撒き散らして空へと帰っていった。
「道案内として、お兄ちゃん達と一緒にピスケスへ行くようにってね」
「子供が行くなんて危険です!」
「大丈夫だよ。中には入らないから」
「でも魔物が出てこねぇなんて保障がなけりゃ、外なら安全なんて言い切ることもできねぇぞ?」
うーんと腕を組み、フォルは少し考える素振りを見せる。
けれどすぐに答えは出たようだ。
「うん、やっぱり大丈夫だよ。星巫女様の占いだと滞りなく任務は終了するって出てたらしいから」
「占術の魔法ですか」
占いねぇ……正直、魔法じゃなかったら胡散臭いとしか言いようがない。
人は好きなだけ偽りを重ねられるわけで、それこそ嘘八百なんて言葉もあるくらいだ。
とはいえ、隠し事の一つや二つなら誰にでもあるだろうけど。
「それでもやはり同行を許可することは――」
「とりあえず宿に行こうよ」
レインの言葉を遮ると、フォルはカゴを片手に近付いてきた。
「結論はゆっくり話してからでもいいよね?」
ニッと無邪気に笑うと、フォルはレインの手を引っ張った。
「なぁフレア」
「んだ?」
「なんだか、モヤモヤするんだ……」
胸を擦りながらも、俺は自分のこの感情を受け入れられずにいる。
見て見ぬふりを出来るほど器用ではなく、認めたくとも認められないくらい自分が捻くれていることはわかる。
「お前、レインのこと家族としてハッキリと意識してんじゃねぇか」
「なっ!?」
「レインとソナーレ、リーフェルさん、それにメイジーライディング……」
嬉しそうな、もどかしそうな、それでいてどこか寂しそうにフレアは呟いた。
「俺やトールのことは……どう思ってんだろうな……?」
フォルの手を振り解くレインの姿を目にしながら、俺はただその質問を頭の中で復唱していた。
「仲間……家族じゃ、ない……」
絞り出すように吐き出した答えは、俺自身の心とは違うものだったのだろう。
頭も胸も、ズキズキと疼くかのように痛む。
けれど、フレアは満足そうに、何処か遠くを見つめながら頷いた。
「そっか」
不意に見上げた夕暮れの空はやけに紅く、まるで炎が青空を燃やしているかのようだった。
俺の記憶に焼き付いた、メイジーの家が火に炙られていく様が重なる。
意識が朦朧となる。
雲がうっすらと太陽を覆い隠し、薄暗く俺の心を塗り潰してしまった。
それはまるで、俺の知らない罪を咎めるように……