『雷の疑惑1』
「あっつ……」
眩しい日照りが、熱気として容赦なく襲い掛かる。
「若者のわりに、お前さんはずいぶんと体力が無いねぇ……」
「うっさい」
暑さによる不機嫌を煽るかのように話し掛けてきたのはリラだった。
緩いシャツにスラッとしたズボンを履き、首には大判のストールを巻いている。あご髭が生えているため、実年齢よりも容姿は少し老けて見える。
俺は今、そんなリラと隣り合いながら街道を歩んでいた。
「つーか……途中まで一緒なら、あんな今生の別れみたいな顔してたのはなんだったんだよ……」
リラはキョトンとしながら足を止める。
「そんな顔してたか?」
「してた。なんか今にも死にに行くみたいな、もう一生戻らないみたいな感じだったぞ」
少し話を盛っているところはあるが、実際にそう見えた気がするのは本当だし。
「まぁ、お前さんと向き合いたくなくて、逃げようとしてたところはあったけどな」
その原因の一端に俺とのいざこざがあったわけで、なんとも言えない気分だ。
俺はリラが家族を奪ったと勝手に恨み、勝手な嫌悪感で突き放した罪。
リラは友人であるリーフェルを守れなかった罪。
今は互いの罪を許し、まるで祓ったかのように心が軽い。
……とはいえ、ほぼ一方的に俺が悪かったんだけど。
「お前らおせぇぞー!」
前方から手を振って叫んできたのは、赤いローブを着たフレアだった。
服も髪も眼も鮮やかな赤さで、金の刺繍が相まって、炎のような印象を受ける。
「悪い! 今行く!」
フレアの隣で俺らを微笑ましそうに見つめるのは、銀髪を短く切り揃え、氷の鎧を身に纏うレインだ。
普段は湖のように大人しく静かだが、一度感情の堰を切ってしまえば、誰も止めることは出来なくなる。
騎士団の副団長で現在は任務遂行のため、ブルースターという名の小隊を編成中らしい。
ただしこの隊長殿は何故か戦えないらしい。フレアとの決闘は受けたけれど、あれは強欲を刺激された影響で例外なんだとか。
その後ろを歩いているのは、艶やかな紫陽花の羽織袴姿のトールだ。背中にはナップサックの他に戦鎚を背負っている。
小隊のメンバーは今のところレイン、フレア、俺、トールの四人だ。
追従するようにトールの従者である忍者のツクヨミと武士のギンシが歩いている。
騎士団の試験に合格したとはいえ、ツクヨミとギンシは他に適した隊があるということで、そこへ推薦したらしい。
「おい、ハヤテ!」
「わかってるって!」
俺とリラは最後尾だった。
確かにかなり間が開いていたため、慌てて歩みを速める。
「この先の分かれ道を左側に行くとドロップリア王国へ続いているが、お前さん達が向かうダンジョンは右側……もうすぐお別れだな……」
しみじみと呟かれた言葉は心に刺さった。
ようやく家族になれたのに、リラは仕事がてらツクヨミとギンシを騎士団本部へと送るらしい。
スタスタと距離を詰め、レインと隣り合う。
「ところでさ、俺ら未だに目的地聞いてないんだけど」
俺がムスッとしながら告げると、レインがあっと声を挙げた。
「えっと、じゃあハヤテとトールに、今回の任務について説明しますね」
レインは少し歩くスピードを落とし、俺にも聞こえやすいよう、トールの後方へと移動する。
「今回の依頼は、ホロウリィ周辺に存在するダンジョンにて、魔物が大量発生している原因を探り、討伐することです」
このざっくりとした概要については以前に一度聞いている。
「魔物ってどんなのなんだ?」
あいにくグリーングラスから出るのは初めてで外の世界にはうといのだ。
大和ノ国には魔物の類いが居たのか、トールが真剣に耳を傾けている。
「魔物とは主に無機物が何らかの魔法により命を得て、人々に害を与えることです。例えばスライムやゴーレムなどの生物がこれにあたります」
ん? つまり魔物を産み出すということは命を産み出すということなわけで――
「それって禁術じゃないのか?」
「その通りです」
命を創るということはつまり、人の理を否定するということ。
明らかに倫理に反している。
まぁ魔法ってのは生まれつき宿ってるもんだからみだりに使わなきゃ問題はない。
「ちなみに魔獣というのは獣を魔法で狂暴化させたもののことです」
……つまり魔法の対象が獣ならば魔獣、それ以外なら魔物ってことか。
「一応伝えておきますが、ハヤテの幸運の魔法も因果に影響を及ぼすので禁術の一つです」
「だろうな」
禁術を宿していると命を狙われる可能性が互い。特にスカンディナヴィアの人間は禁術について厳しく、存在そのものが悪害だと言う人もいる。
逆に魔法の研究が進んでいる魔法都市スペルフィルでは人体実験の被験者として歓迎されるとか。
「スカンディナヴィアの禁術管理者にはくれぐれも気を付けてくださいね」
「禁術管理者?」
「禁術の魔法は人が持つべきではないという考え方から、監視下で軟禁することで、行動を管理することがあるらしいんです」
服が引っ張られる感覚に振り返ると、トールがベストの裾を掴んでいた。
「否、最悪、殺害だ……」
瞳が潤んでいるように見えたのは気のせいだろうか?
トールはそれだけ告げると黙りこんでしまった。俺は横目で様子を窺う。
「まぁ、殺されることは滅多にねぇはずだけどな」
「禁術は使うなと教えられますからね」
「俺の場合どうなるんだ? 幸運の魔法なんて使ってるのかどうかすらわかんないけど」
「トールの魔法と同じく常時発動しているはずですから……」
だからリーフェルは魔法そのものを隠してたのか。
でも、それならどうしてリラは今ごろ教えてくれたんだ?
それに禁術の魔法なら広めたらいけないはずなのに、どうしてレイン達に……
疑問が尽きることはない。
チラチラと長い間見ていたからだろう。鋭い視線が刺さった。
「なんだ?」
重々しい声に臆することなく、ずっと引っ掛かっていたことの一つを口にする。
「……なんでトールって名乗ってんのかなと思ってさ」
大和ノ国出身であることは間違いないというのに、トールというスカンディナヴィアの名を使っていることに違和感があったのだ。
「宿敵、が……その国に、いる……」
「じゃあ、本名はなんて言うんだ?」
感情を宿さぬ空虚な瞳に、俺の顔だけが写っていた。
鏡のような瞳を見つめていると、まるで俺は真実を知っているのではないかという錯覚に陥る。
「………………」
トールは一度口を開けるも、何も発することなく閉じてしまった。
仮名があるのだから、無理して聞く必要はない。
それに俺のハヤテって名前も、リーフェルが付けてくれただけで本名じゃないし。
俺とトールのやり取りが終了したのを見計らい、レインがこほんと咳払いした。
「話を戻しますけど」
「えっと、任務内容だったよな」
レインの呆れたような声に慌てて本来の話へと戻る。
「ホロウリィの周囲にはゾディアックと呼ばれる12のダンジョンがあります。今回はその中でもピスケスと呼ばれる海底洞窟のダンジョンへ赴きます」
「かいてーどーくつ?」
「海の下に続いている洞窟のことです」
つまりは海の下をくぐるというわけで……いつ海水に沈むかわからない恐怖に、背中を悪寒が走った。
けれど同時に、盗賊としての血が騒ぐ。
ダンジョンとはすなわち、未開の土地ということだ。宝物が眠っていてもおかしくはない。
「こいつがいりゃあ、隠し部屋とかも楽に見つけられんじゃねぇか?」
人をダウジングみたいに扱うのはやめてほしい。
そもそもダンジョンに入るのは初めてだし、魔物や魔獣にも遭遇したことないし。
「魔物が住み着いているのですから、そう簡単にはいかないと思いますけど……」
「そこは俺とトールでどーにかするっての。なあ?」
「了解、だ」
フレアがトールの肩に腕を回し、あたかも相棒のように振る舞う姿に、なんとなく胸がモヤッとした。
「一応、俺もいるんだけど……」
俺の抗議に対し、フレアはニヤリと笑った。
「んだよ、仲間外れにされて嫉妬してんのかぁ?」
「そんなわけ――」
「本当ですかっ!?」
俺の手を両手で握り、レインが顔を近づけてくる。
「ち、近いんだけどっ!」
「だって嬉しいんです。私達のことを仲間――家族だって思ってくれたんでしょう?」
その言葉には何も返すことが出来なかった。
……俺は、まだ出会って間もないこいつらのことを、本当に家族だと思ったんだろうか?
「疾風、弱者。傍観希望」
「確かに変に敵対心煽っちまわれても足手まといにしかならねぇもんなぁ……」
「俺ってそんなに弱いのか?」
ツクヨミとギンシを除く全員に同意される。
「――って、リラやレインまでこいつらの味方かよっ!!」
いつの間にか最後尾は入れ替わり、ギンシとツクヨミが一番後ろを歩いていた。
「いやぁ、お前さんは外の世界を知らなすぎるだろう?」
「リーフェルの持ってた本なら全部読んだぞ」
「書物に記された知識は、時に空想や虚構を含む。それに、他人の目では見えてるもんが違うってことも覚えとくんだぞ」
リラはすっかり俺の保護者として振る舞うようになった……のは、まだいいが……
ポンポンと頭を撫でられるのは不満だった。
「子供扱いすんなよ」
「いやいや、お前さんはまだ子供さ。悔しかったら自分の目で世界を見て回ればいい」
リラはどこまでも続く遠い遠い空を見上げながら続けた。
「自分が新たに知った世界。それこそがお前さんにとっての真実だ」
皆の足が、一斉にピタリと止まった。
前を見ると道が二つに分かれているようだった。
右はまだでこぼことした土道が続いており、左は途中から石畳になっている。
「さて、お前さん達とはここで一旦お別れだな」
「また、会えるよな?」
不安な気持ちが、声の震えとして表れる。
そんな不安を打ち消すように、リラはいつものようにヘラヘラと笑ってみせる。
「ああ、当然だろう。またな、ハヤテ」
ヒラヒラと手を振り、リラは右の道へ進む。ツクヨミは速足でリラを追っていた。
ギンシはトールの前で跪き、身分の違いを示す。
「ではトール様、御武運を! 拙者達も立派に務めを果たしてみせま――痛っ?!」
トールは黙ってギンシの頭を叩いていた。
「トール様……?」
「主従関係終了。ただの、友人の一人だ」
ギンシは続いた言葉に目を大きく見開き、嬉しそうに微笑んだ。
「そう言ってもらえて光栄なり。ではまたいつか」
リラが振り返り、声を大にして叫ぶ。
「お前さんらの旅路に、風の加護があらんことを!」
小さくなる背中を立ち止まったまま見送る。
「ほら、さっさと行くぞ」
「時間、有限」
二人がさっさと先行く中で、レインは俺に手を差し伸べていた。
「ハヤテ、私達も行きましょう」
「……ああ!」
旅はまだ始まったばかり。
これからどんな世界が、どんな真実が俺を待ち受けているんだろう?
期待と希望に胸を踊らせ、俺はその手を握り返した。
これが俺の物語において、本当の最初の一歩だ。