『雷の旅路1』
暗き世界で身体が煽られ、拙者は目を覚ました。
鼻を刺激せし潮風の匂いと、ユラリユラリと揺られる感覚に、自身の状況を再認識した。
大和ノ国を出てはや三日程経過したであろうか……
拙者達は見事に漂流者の仲間入りを果たしていた。
本来なれば木製の小舟ではなく貿易船の如く大きな船に乗れたはずなのだが、何分急ぎの用らしい。
幸いにも嵐に遭っていないため、転覆は免れているのだが、このままでは食糧が尽きるのは時間の問題であろう。
「銀紙、本当にこっちで合っているのか?」
冷たい視線を浴びせかけてきたのは、拙者の同僚……とはいえ、仕えている時期的には拙者の先輩に当たる月読でござった。
いわゆる忍者であり、主君に忠実な犬というところなり。
身に付ける忍装束は薄く軽い布でできており、防御力が低いのではないかと尋ねたところ、拙者の袴より俊敏性があり動きやすいと返されてしもうた。
たすき掛けの分動きやすいとは思うのだが……
「おい、聞いているか?」
そもそも暗殺などという卑怯な手は武士道に反するため好まぬ。
多勢に無勢でかかることも多く、忍は嫌いなのだ。
「銀紙!! 貴様の魔法だけが頼りなのだぞ!」
そんなに大声を出さずとも聞こえているとも。
それに拙者は視力が無い分聴力が発達しており、人の何倍も聞こえやすいのだ。
加減という物を知ってもらわねば、拙者の耳が壊れてしまう。
「……銀紙」
騒音を掻き消すように、凛とした声が響く。
「魔法、願う」
「承知致した」
静寂を破る雷のようでありながら、静水のように落ち着きがあり、まさに惚れ惚れとする美声。
我が主のひ――否、外国ではトールと名乗ると申しておったな。
強豪の侍であり、尊敬に値するお方なり。
何故か刀を握らぬが、この方に仕えられるというだけで、六月一日宮家に産まれた価値はあろう。
さて、トール様の申し付けの通りに――
「空気中に漂う水よ、我が目となりて、外界を映し出さん」
魔力で周囲の水蒸気を支配し、その魔力を眼球に集める。
闇のみしか映さぬはずの双眸が、一瞬にして世界を捉える。
肉眼が使えぬゆえ、この魔法には産まれながらにして助けられておる。
水を媒介とし、外界を心の目で写し捉える魔法。心眼と呼ばれる系統の高位魔法なり。
相変わらずトール様は雅やかな格好をしていらっしゃる。
紫と青の紫陽花で彩られた羽織袴、京紫色の鋭い瞳、烏の濡れ羽色の髪が、まさしく羽根のように風で広がる。
思わず息を飲む光景ではあるものの、今は主の命に応えることこそ最優先なり。
小舟の縁に寄り、海面に触れる。
心眼とは異なり、感知の魔法は条件を守れるなれば、無詠唱にて発動可能なり。
波紋がゆっくりと海面上を広がり続け、やがて波紋は陸にぶつかることで消える。
「……ここからおよそ五里程先なり」
「感謝、する」
頭を下げて感謝をされ、申し訳無い気持ちで胸がいっぱいとなる。
もう一人の同乗者は――
「後輩が先輩を無視するとは何事だ!」
怒りを発散するかのように櫂を漕ぎ進めとるようだ。
先輩後輩といえども、大和ノ国には年功序列という言葉が存在することを忘れてはならぬ。
口にはせぬが、暗黙の了解なり。
男尊女卑たる言葉も存在するが、この場に女人は存在せず、拙者達には関係ないことか。
まあトール様はお美しく、化粧を施せば女形として歌舞伎の舞台に立てる程であろう。
一度十二単姿をお目にかかってみたいものだ……
うっとりとトール様を眺めておると、視界の端にて月読に苦無を構えられとった。
「銀紙……貴様、主に色目を使うとは、恥を知れ!」
腰元に手を伸ばし、前傾姿勢にて構える。
「色目など使っておらぬ」
「ほざけ!」
投擲された苦無を素早く海へと打ち落とすと、パチパチと拍手の音が聞こえた。
「流石、銀紙だ」
無表情とはいえども、言葉と行動から高評価を受けていることには違いなかろう。
拙者が扱うのは竹光と呼ばれる竹製の刀なり。
用いる術は居合抜き、又は抜刀術と呼ばれる類いである。
瞬間的に鞘から引き抜き、最速にて切り捨てる。これぞ拙者流の抜刀術なり。
流派を習う身分なれば、自己流で学ぶ必要性など毛頭無かったであろうな……
トール様は生きる価値を見出だせずにおった拙者を拾い上げ、従者として傍に置いてくださった。
それだけでも、トール様には感謝してもし尽くせぬ。
うむ。やはりトール様は誰よりもお優しく、崇高なお方としか思えぬ。
「主君に心酔とは、どうやらようやく貴様も従者らしくなったようだな」
主以外から上から目線で語りかけられ、返事をするわけがなかろうて。
何故学習せぬのかわかりかねる。
肩を竦め、溜め息を一つ。
「今は進むしかなかろう。無駄話は体力を消耗するだけだろうて」
ブツブツと不満を溢し、月読は懸命に舟を漕ぎ進めてみせた。
月読よ、どれだけ目で訴えられても拙者は手伝わぬぞ?
二十を過ぎた途端に老化が始まってしもうて、体力の消耗が激しいのでな。
二十三は平均寿命が四十ほどであることから鑑みても、十分年寄りと言えるであろう。
拙者より五つも下なのだ。若者なればこのくらい容易かろうて。
トール様は十九だが、主君を働かせぬのは当然のこと。
つまり全ては月読任せということなり。
☆☆☆
大和ノ国を出て四度目の朝日を迎えた頃、拙者達はようやく岸辺へとたどり着いた。
月読は上陸早々倒れ込み、すでに虫の息となっておるが、拙者の知ったことではござらん。
「何処? ここ」
地面に地図を広げ、トール様は空を睨み上げていた。
周囲を見回せば樹木ばかり並んでおり、そこら中に花が咲いておる。
これだけ自然豊かな国なれば、一つしか存在せぬ。
「恐らくナチュレ国でござろう」
ナチュレ国とは花と果物が有名な国であり、至る場所に森や花畑が広がっていると噂に聞いておる。
大和ノ国は長い間他国との貿易を拒み、交友すら途絶えさせる鎖国をしておった。
そのため、こちらについての情報は書物でしか知り得なかったのだ。
「ナチュレ国……人探し、情報……」
まずは人里にて情報収集とは賢明な判断。
「承知致した」
眠りにつく月読を引きずりながら、目指すは森の先にあるであろう村なり。
トール様は家族と宿敵を求めているなれど、そう簡単に事は運ばぬようだ。
「グルルルル……」
草の茂みより聞こえし唸り声。
血走った赤き目が光り、飛び出してくる。
灰色の硬い毛皮に身を包み、鋭い爪を光らせ、口からは大量の唾液が垂れ流されている。
狙うは拙者の守るべき主。走り出すも、寸でで間に合わぬ距離なり。
思いきり踏み込み、飛び掛かりなれども、
「邪魔」
トール様は戦鎚の一振りで森へと追い返してしまう。
涼しい顔のまま戦鎚を背負う姿には、思わず胸が高鳴っとった。
「森、魔獣、住み処か?」
食糧の残りは僅か。されど村は見えぬ距離。
いくらトール様とはいえ、不安がるのは当然のことなり。
ここは拙者が一肌脱ぐしかあるまいて。
水蒸気から変換した水が地上に広がり、薄く広く張り巡らされる。
足元から波紋が広がりて、木々や草花、魔獣……そして人間の姿を感知することに成功した。
人間の集まり方からすれば、村があることは容易に想像可能なり。
「道中の魔獣にはお気をつけを」
「了解、した」
黒髪を結い上げ、戦鎚を手にする勇ましいお姿。まさに眼福なり。
……と、呆けている場合ではない。
「月読、移動なり」
頬を叩くと、不機嫌そうに月読は目覚める。
近場で波紋が揺らぐ。
「魔獣との接触まで、あと十秒なり」
拙者は竹光に手をかけ、トール様は戦鎚を握る手を強め、月読は苦無を構える。
いつも不思議に思うのだが、忍は大量の苦無をどこに隠しておるのだ?
あの忍装束に秘密があるのだろうか?
「ガァッ!」
先程の狼が仲間を呼び襲い掛かってきた。一匹だけ殴打されたであろう痣があり、すぐに状況理解できた。
まだ様子見をしておるのか、咆哮を上げるのみだ。
数は五匹。先手を打つため、月読が苦無を狼の影へと放つ。
素早く印を結び、魔法が発動する。
影が固定されし三匹の鈍間は、その場を動けぬよう拘束される。
逃れた二匹の相手は拙者とトール様の役目なり。
素早き動きにて翻弄しているつもりやもしれぬ……が、元より見えていない拙者には関係ござらぬ。
心眼を解き、神経を研ぎ澄ます。
草土を踏み締める音。独特な息づかい。血生臭い匂い。水面が揺らぐ感覚……
一番身近な狼は脚の筋肉を収縮させ、大きく飛び掛かる。
牙を剥き出しにし、大口を開けたのだろう。
唾液が数滴顔にかかり、不快感が胸を支配する。
なれど、頭を冷やさずして武器を振るうべからず。
この言葉を誰が口にしたのかはわからぬが、闇雲に武器を振るうて当たるはずはなかろう。
心頭滅却すれば火もまた涼し……冷静になれぬ者は武力を行使してはいけぬのだ……
短く呼吸し、一息で竹光を引き抜く。
斜め上に斬り上げ、腹部であろう場所を通る。
「ガウッ?!」
肉が裂ける感覚はあれど、骨を断つ感触は無い。
「浅いか」
素早く両手にて上方で構え直し、力強く降り下ろす。
柔らかな肉が千切れ、地面にてグシャリと倒れる音が響く。
鉄のような匂いが辺りに充満するも、すぐに草木の青臭さにて掻き消されてしもうた。
「空気中に漂う水よ、我が目となりて、外界を映し出さん」
再び心眼を発動し開眼せし時、既に戦いは終わりを迎えておった。
トール様は岩の上にて腰を下ろし、戦鎚片手に大きく欠伸なさる。
「お待たせし、申し訳ありませぬ」
トール様の横にて倒れた死骸は、容赦なく頭部を戦鎚にて叩き潰された痕が残っておる。
「本当に遅いぞ銀紙」
月読の背後にて狼は眠りに落ちておるようだ。
苦無に塗りし毒薬は睡眠薬の一種なり。
植物にて調合されしその毒は、かする程度であろうと、即効という話だ。
トール様は立ち上り、ある地点を指差す。
「近い」
森の少し奥から複数の煙が上がっており、それはつまり人が住み着いている場所を表す。村はすぐ側ということであろう。
「出発」
その煙が上がる方面へと、拙者達は歩き出した。
……鎖国の影響により、大きな欠点を見逃したまま。