『風の旅立ち1』
俺は宿屋に戻ったフレアの部屋を訪れていた。
フレアはベッドに腰掛けているため、ありがたく椅子に座らせてもらう。
「いいのかい? 嬢ちゃん達をあっちに泊まらせて」
「ああ。あいつらには信頼関係を築いてもらわねぇと困る」
「心にも無いことを」
口では何とでも言えるが、フレアの表情は内容にそぐわず不機嫌だった。
フレアがハヤテを意識しているのは気のせいではないだろう。
嫉妬だと思うのは勘繰りすぎかねぇ……ああ、年を取るとひねくれた考えばかりで嫌だな。
「いっそお前さんも残ればよかったろうに」
「あの従者共の試験は俺が担当した。結果も伝えずに放り出すわけにはいかねぇ……」
「それなら代わりにやっといてやる。三人だけにしておくわけにもいかんだろ」
ハヤテにレインを預けると言った時、何故かトールも残ると言い張ったのだ。
「あのトールってのは嬢ちゃんじゃなくハヤテにご執心って感じだったが、まさか知り合いってわけじゃないだろうし……」
「ただの魔法マニアじゃねぇの? 二属性の魔法を宿してるってのは稀だからよぉ」
ぶっきらぼうに言いながら、頭をわしゃわしゃと掻き乱す。
残った三人のことが頭から離れず、落ち着かないんだろう。
「…………あぁもうっ!!」
やり場のない思いを仕方なくベッドに叩き付ける。
やれやれ、言わんこっちゃない。
「あのトールってヤツ気に入らねぇ! なんだってアイツに執着すんだよっ……!」
「お前さんもどうしてそんなにムキになるんだ? もう同じ騎士団の仲間だろうに」
フレアはその言葉を鼻で笑ってみせた。
「偽名使うヤツなんか仲間って呼べるわけねぇだろうが」
「お前さん、気付いてたのかい……」
「ああ」
いつものヘラヘラとした笑顔を捨て、顔を引き締める。
途端にフレアの表情は苦々しいものへと変わった。
偽名であることを確信した理由。それは国ごとの命名規則だ。
「トールって名前は大和ノ国の民としてはあり得ねぇ……神話の神の名は、スカンディナヴィアの民が付けられる名前だってのに……」
「逆に、スカンディナヴィアの民だと示す必要があるとしたら?」
「はぁ?」
「まだお前さんらは入団理由を聞いてないだろう?」
「だからって本名を捨てながら、あの服は捨てねぇなんておかしいじゃねぇか……中途半端に居場所を捨てやがってっ……!」
トールが着用していた紫陽花の羽織袴を思い出したのか、フレアは爪が食い込むほど拳を強く握り、悔しげに唇を噛んだ。
「大和ノ国の名付けの基準は一つ、『名は体を表す』ってのはつまり個人の本質である魔法を名としてるということだろう?」
フレアに黙殺されるが、肩を竦めて続ける。
「魔法を名とする風習のある国は少なくない。だが、大和ノ国独特の特徴は、家名と魔法を表す名を付けることだ」
先程の戦いで使われた苦無を取り出し、手元で弄ぶ。
投擲しやすい形状の短剣という珍しい武器だったから、一つ回収していた。
「例えばあのツクヨミってのは、影に関する魔法を操っていた。だから夜陰を支配する月の名を付けられたんだろうな」
「その理屈だと、トールだけじゃねぇ、あのホヅミヤギンシってのも当てはまらねぇだろ」
「あの坊主の場合は、根っからの武士だったんだろうさ。ギンシ――銀紙は刀に見せるための素材でな、それを貼り付けた竹光は銀紙竹光と呼ばれるらしい」
「……どうして根っからの武士だってわかんだ?」
フレアが俯くのをやめたようだ。
過去を振り返ることは決して悪いことではないが、他者に嫉妬し、怨嗟の念を抱くことは間違っている。
俺はフレア自身が一番嫌っている過ちを犯す前に、未然に防げただろうか。
「坊主の魔法は感知と、嬢ちゃんと同じ心眼の類だろう」
「心の眼で何が見えるっつーんだ?」
「恐らくは目に映るはずの景色そのものだろうさ」
魔力くらいならば目を凝らせば見えるが、他者の魔法や人の運命のように、この世界には幾つもの不可視なものが存在する。
心眼とはそんな肉眼には映らないものを捉えるための魔法だ。
ふと、フルートが汚れていることに気付き、楽器の整備を始めた。
「やけに魔法の効き目が良いからおかしいと思ったのさ。恐らくギンシは盲目で、心眼と聴力で補ってるんじゃないかってね」
「なら属性は水か……」
「水蒸気から視覚情報を得ているのなら、そうなるだろうさ」
そこで話は一区切りついた。
脱線させた話を、無理矢理元のレールへと戻す。
「さて、大和ノ国の忍と武士というのは、主を守る従者らしい。ならばその従者を二人も付けられる身分のトールが、本名を隠す必要があるのも頷けるだろう?」
フレアは渋々ながらも首肯するが、納得した様子ではない。
意地でもトールを認めたくないようだった。
「まぁ、話をすれば変わることもあるだろうさ」
キレイになったフルートを腰に挿し、荷物をナップザックに詰める。
テーブルに置かれた封の開いた手紙も回収する。
「ソナーレも旅に出るのか?」
「ちぃとドロップリア王国に呼ばれててな」
「また舞踏会の演奏依頼か?」
「ああ……」
重々しく答え、目を閉じた。
木皿を重ねたような楽器、カスタネットを握り締める。
「ずっと気になってたんだけどよぉ」
フレアは俺がカスタネットを肌身離さず持ち歩いていることを知っていた。
何に使われる物であるかも、薄々感付いていたんだろう。
「そのカスタネット、演奏じゃなくて舞踊に使う道具じゃねぇか?」
舞踊の種類は幾つかある。
カスタネットを用いるのは情熱的で時に激しい、フラメンコと呼ばれる華やかな踊りだ。
俺は様々な楽器で演奏できるものの、踊りはてんで話にならない。
「男が持つようなデザインでもないだろ」
青く塗られたカスタネットにはバラの模様が彫られている。
吟遊詩人の立場から音色を重視しているため、楽器に余計な装飾を施さない。
衣装や小道具など、見映えを売りにするのはむしろ踊り子なのだ。
つまり、このカスタネットの持ち主は俺ではなく――
「そうだよ。これはリーフェルの遺品さ」
リーフェルの死を今でも惜しんでいるのは、何もハヤテだけではない。
だからこそ俺はリーフェルの意志を継ぎ、ハヤテの成長を見守ると誓っていたのだから。
俺はリーフェルが死ぬ直前まで共に旅をしていた。
その旅の記憶に思いを馳せながら、とあることを思い至る。
「……なあ、フレア」
「なんだぁ?」
自身の髭に触れながら、ハヤテにも伝えていなかった内容を告げる。
「リーフェルが死んだのが大和ノ国ってのは、偶然だと思うか?」
フレアはその一言に絶句する。
偶然にもハヤテと出会った後に仕掛けてきた三人組。
偶然にも三人組はリーフェルが死んだ大和ノ国出身だった。
偶然にも従者を連れていた主はハヤテに惹かれていた。
こんなにも偶然が重なれば、それはもはや何者かの意思により紡がれた、物語のような必然さを伴っている。
「……ははっ」
乾いた笑みを浮かべるが、決して目は笑っていない。
「つまり、あいつらが本当に狙ってたのはハヤテだったってのかぁ? 笑えねぇ冗談だな!」
フレアは仲間を狙われていることに沸々と怒りを募らせる。
今にも飛び出して行こうとするフレアを羽交い締めにするも、すぐに振りほどかれてしまう。
一介の演奏家では騎士の力に敵わない。
「落ち着け。まだそうと決まったわけじゃない」
「何かあった後じゃ遅せぇんだよっ!!」
時間が巻き戻ることはない。
よく理解している。ゆえに後悔も大きい。
だが考えすぎだった場合、こいつは仲間を信用していなかったということだ。
「たとえ世界中の時計の針が止まったとしても、人の心は時間を刻む! 魔法を使える代償なのか、残酷な運命は俺から大切なもんを奪っていきやがんだっ!」
「頭を冷やせ」
すっかり取り乱すフレアへ、テーブルに置かれた水を吹っ掛けた。
騎士の十戒の一つ『冷静さを失うことなかれ』だ。
こいつは感情的になりやすいから、周囲が破らせないよう鎮火してやるしかない。
濡れた髪を掻き上げ、フレアは小さく呟く。
「…………悪りぃ」
棚の上から布を掴み取り、頭や服の湿った箇所を拭く。
「ハヤテやソナーレのこと、言えねぇな……」
ポタリ……と、水滴が落ちた。
「家族を失った日のことが目に焼き付いちまって……前向いてるつもりでも、心の奥ではいつもあの幸せだった日々を夢見ちまってる……」
フレアは遠い過去を振り返り、迷いを捨てるために頭を振った。
「別に、悪かないと思うがね」
カスタネットを打ち鳴らし、身体を揺らす。
俺としては踊っているつもりなのだが、どうにも様にならないようだ。
「過去があるから現在がある。振り返り、同じことを繰り返さんように未来へ進めばいいはずさ」
自分に言い聞かせるように、フレアの背中を押すように笑いかける。
すっかり落ち着きを取り戻したフレアに向けて、先程までのシリアスな雰囲気を消すように、カスタネットで軽やかなリズムを刻む。
「それで、お前さんはどうしたいんだ?」
リズムは一秒毎に鳴らす。
「俺は…………」
まるで時計の秒針のように時を告げ、フレアの決断を急かしている。
フレアの額を汗が垂れる。
騎士団幹部として団員候補の処遇を伝える役目、ハヤテとレインを救いに行くこと。
二つの選択肢の間で揺られる時間はさほど長くなかった。
「俺は二人を助けに行ってくるぜ。たとえトールが無実だったとしても、俺は無駄足だなんて考えねぇ! なんたってこれが、俺が今あいつらを守るためにしてやれることなんだからなっ」
カラッと晴れた青空のような笑顔に、炎天下のような暑さを感じた。
「お前さんはやっぱり、後ろ向きに生きる姿は似合わんよ」
テーブルで頬杖をつき、氷が溶けてすっかりぬるくなった水を口の中に流し込む。
「意固地になるくらい前向きに、自分の思い描く夢を抱えながら、それでも過去を糧として歩む。それこそお前さんらしさだと思うよ」
留め金から竪琴を外し、フレアの未来への姿勢に鼓舞を送る。
フレアは荷物を纏め、出発の準備を整えていた。
剣を腰に下げ、ローブを着込む。
俺に背を向け、扉の前に立った。
「……そういえばさっき、名前の話をしたけどよぉ」
「ん?」
チラリと振り返り、ソナーレと目を合わせる。
「お前の名前も、帰ったら教えてくんねぇか?」
予想を遥かに上回る問いにソナーレはクスクスと笑いを溢した。
「おう、いいぜ。ごくごく平凡な名前だから、期待はしないでおけよ」
「わぁってるって!ただ、ソナーレは名前を伏せることで、どこの国の人間か隠してんだろぉ?友人だから、本当のお前を知りてぇんだ!」
じゃあなと部屋を出ていったフレアの背中を見送り、竪琴をテーブルに置いた。
「友人、か……」
部屋に飾られた花に視線が留まる。
「まさかお前さん以外の友がいたなんて驚きだよ。縁ってのは不思議なもんだよなぁ……」
その花は紫のライラックだった。
「花言葉は思い出、友情、謙虚……色的には初恋なんてのもあるか……」
リーフェル・ライラック。彼女が楽しそうに花のことを教えてくれたのを思い出しながら呟く。
「リーフェル覚えてるかい? お前さんがライラックの別名はリラだって教えてくれた後、俺にぴったりだって言ってくれたこと……」
目頭が熱くなるのを感じながら、ぐっと涙を堪えた。
「本当は違う意味だってのに、お揃いだなんて満面の笑みで言われちゃ、本当のことなんか言えなかった……」
「ソナーレ・リラ・センティート」
フレアにも教えていない本名を呼ばれ、声の方を向いた。
音も気配も、まるで感じなかった。
いつから居たのかすらわからない。
「琴座。少し、話がある」
開かれたままのドアに背を預け、黒い影が立っていた。