宰相の挑戦 弐
静かな部屋に、突然ノック音が響き渡る。
部屋に入って来たのは、アルメリア公爵家から共に来ていた家令のアルフだった。
「ご苦労。……どうだったんだ?」
「問題ございません。宿内の安全は確保できております」
アルフの言葉は、俺に安心感を与える。
詰めていた息をホッと、吐き出した。
「そうか。やはり、お前は頼もしいな」
「……主人の心地よい環境を整えることが、私の使命でございますれば」
恭しく頭を下げるアルフを目にして、つい声を出して笑い出す。
「確かに、主人のために宿内にある全ての飲食物の毒物の有無や潜伏者の有無を確認をすることは『心地よい環境を整えること』だな」
俺の言葉に、アルフは否定しない。
ただ穏やかな笑みを浮かべるばかりだ。
「お前さんのおかげで、こうして寛げるよ。本当にありがとな、アルフ」
「当然のことでございます」
「当然のこと、か。本当にお前さんの有能さには恐れ入るよ。……さて、疲れているところ悪いが、俺に茶を淹れてくれるか?」
「ええ、勿論」
アルフが茶を淹れている間に、俺は窓に背を向けて席に着く。
「……随分と真剣に景色を眺めておいででしたが、国のことを思い出していらしたのですか?」
「いいや……これから会う奴らが背負っているものを、しっかりとこの目に焼き付けておきたかったんだ。会う前に、少しでも相手のことを多くのことを知れれば……ってな」
「……左様でございましたか」
「国のことは……まあ、少し心配だが、ルイなら何とかするだろう。俺の部下たちもいるしな。屋敷のことはそもそもオーレリアに任せておけば問題がない」
そっと、アルフが温かいお茶を差し出す。
俺は迷いなくそれを飲み込んだ。
「うん、美味い」
俺のその言葉に、アルフは笑みを深めていた。
「明日はグリンドル公爵家とフィリング公爵家、か。……アルフ」
視線をアルフに向ける。
それだけで、心得たと言わんばかりにアルフは頷いて口を開いた。
彼の口から出てくる言葉は、グリンドル公爵家の情報。
……グリンドル公爵。
リンメル公国五大公爵家の内の一つであり、北西部広大かつ豊かな領地を保有する公爵家。
資産規模は五大公爵家の中で随一を誇り、寒冷地ながら土地は豊かで、かつ気候に適した作物を育てているため食料自給率も一定以上を保っている。
また、特徴的な織り目で有名なグリンドル公爵領産の布は、国内外を問わず人気を博す。
当主は、モーリス・グリンドル。
彼の妻の名前はリネット・グリンドルで二人の間に子どもは男子一人。
モーリスは清廉潔白、剛毅果断と評判の高い人物。
「……北西部であれば、仮にタスメリア王国の侵略が上手くいったとしても、利益よりも戦争によって被る人的被害の方が大きいという公算か」
アルフの言葉を遮るように、口を挟む。
「加えて、モーリス・グリンドルは民を思う気持ちが強く、彼であれば無駄な争いは避ける方を取るであろうと。……これはあくまで情報提供者の主観的観測でありますが」
アルフは即座に反応してみせた。
「なるほど、な。 ……五大公爵家間の軍事力の差は?」
「資産保有量の差に比例しております。上から順にグリンドル・スリガー・フィリング・クロウそしてバスカル。単純に数の上では仮に穏健派と強行派で内戦が起きた場合は穏健派の方が有利、また、全家を足したリンメル公国の軍事力よりも我が国の保有軍事力のほうが一割ほど多いです」
「そうか。……であれば、強行派は軍拡を推し進めているのではないか?」
「リンメル公国の法……というより五大公爵家間の協定によって、表立って軍拡を行うことはできません。ただし、どうやらスリガー公爵家は秘密裏に行っているようですが」
「ほう……そうか」
「とはいえ、ただ数を集めれば良いという訳でもありませんが。相応に訓練が必要ですので、軍隊として戦えるようになるには少々時間がかかるかと。逆にグリンドル公爵家は、軍人と数えられていない民の中にも、ある程度戦える者が多くいます」
「それは、どういうことだ?」
「伝統的に武を学ぶことを奨励しているのですよ。単に殺し合いの術としてではなく、体を鍛えそして自身の心を鍛えるためにと。そのため、幼い頃から男子も女子も訓練を積んでいます」
その言葉に、アンダーソン侯爵領を連想する。
アンダーソン侯爵領でも、代々領地を治めるアンダーソン侯爵家が武門の名門である故か、至る所に武術の訓練場があった。
そしてだからこそ、アンダーソン侯爵家の護衛隊は他の家のそれよりも強い。
「それはそれは……スリガー公爵からしたら溜まったものではないな」
「ええ。予備兵力を豊富に有すると捉えることも可能ですから」
「だからこそ、余計にスリガー公爵は焦っているのかもしれねえな」
「ええ……その可能性は十分あるかと」
「ちなみに、スリガー公爵家で傭兵の出入りは頻繁にあったのか?」
「いいえ……最後に見られたのは、四・五年前だと」
「そうか……」
俺は一瞬、これまでの話を統合するように考え込んでいた。




