私の軌跡
お母様が亡くなられたあの日のことを、私は決して忘れることはない。
『お兄様、お母様はまだですかね?』
『メリーはさっきからそればかりだ。ついさっきもそう言っていたぞ。予定通りだったら、ウチの手前の領地辺りだろう。ホラ、大人しく待っていろ』
私とお兄様は、お母様が王都から領地に帰ってくるのを楽しみに待っていた。
その日は私の誕生日で、どうしても両親に祝って欲しくて駄々をこねて……結果、出なければならない式典があったお父様を残し、お母様だけが先に来ることになっていたのだ。
『あ、きっとお母様よ……!』
俄かに騒がしくなった屋敷に、私は玄関へと駆け出した。
けれども、そこにいたのはお母様ではなかった。
代わりにいたのは、血だらけの男の人。
『早く……医師を呼んで!』
『奥様!奥様、しっかりして下さい!』
バタハダと、使用人が駆け回る。
一体、何が起きたというの?
『一体何があったというの!』
『領境で襲われて……俺以外、護衛隊は全滅だった。メリルダ様だけは、と……』
瞬間、男の人が倒れる。
『ちょっと……貴方も酷い怪我!……誰か!彼を早く運ばないと!』
男の人の側で彼の血を拭いつつ侍女が、叫ぶ。
『俺は、良い……もう、良いんだ。それより、メリルダ様は……』
そう呟く彼の身体からは、どんどん紅の液体が溢れ出て床を染め上げていた。
『奥様のことは、私たちに任せなさい』
『そう、か……』
彼がそう吐息を漏らすと同時に、バタハダと入口が再び騒がしくなる。
『医師が来ました!』
『では、一人は奥様の元へ!もう一人は、彼の手当てを……!』
『……その必要はありません』
家令のダスモンドさんの指示を遮ったのは、倒れた男の人の側に居続けた侍女だった。
『彼は、もう……。彼の死を無駄にせぬよう、早くお二方とも、奥様の元へ……』
そう凛と言い放った彼女の頰には、涙が一筋伝っていた。
一瞬、騒がしかった場が静まり返る。
けれどもすぐに全員が、バタバタと動き出した。
私もまた、ハタと我に帰ってノロノロと動き出す。
お母様は、ご無事なの……?
『奥様、奥様!しっかりなさいませ!』
懸命に叫ぶ、使用人たち。
そんな中、ベッドに横になる母を診る医師たち。
『残念ながら……』
けれども無情にも、険しい顔で医師はそう言った。
やめて……!
そんな風に言わないで!
早く、お母様を治して……っ!
声にならない叫びが、私の胸に虚しく木霊する。
けれども、私の心の叫びは届かなかった。
医師は一歩、また一歩と後ずさるように下がって行ったのだ。
『そんな……奥様!?奥様……!』
世界が、凍った。
理解が、できない。
否……できないのではなく、したくなかったのだ。
お母様が、亡くなった?
嘘よ……!嘘、嘘、嘘……!
……その後のことは、あまり覚えていない。
けれども、今でも思う。
何故、お母様が死ななければならないのか……!と。
武門の家に生まれついたため、生き死については幼い頃からそれとなく理解していた。
お父様は強いとはいえ、一人の人間。
任務に行く度に、何があるか分からないと私たちにそれとなくそれを伝えていたからだ。
けれども決して悲観的にではなく、国の為に命をかけることを誇らしげにさえしていらっしゃった。
国を、民を守ること。
それが貴族の務めであり、責務なのだと。
けれども、何故……お母様が亡くなってしまったのか。
亡くならなければならなかったのか。
お父様は貴族の務めを果たし続けたというのに、民がお母様の命を奪うなんて……!
野盗だろうと、関係ない。
彼らもまた、この国の民なのだから。
お父様は一体……なんのために、この国を守ってきたのだろうか。
何故、貴族は民を守らなければならないのだ!
世界は、理不尽だ。
それを、理解した。
いや……理解させられた。
お転婆で、お兄様の影響で貴族の子女らしいマナーを学ばずに広大なアンダーソン侯爵家の庭を泥だらけになりながら駆け回り、ドレスのまま木を登り。
けれども返り血のお父様を笑顔で迎えるお母様だ……私のことを困ったようにけれども柔らかい笑みでいつも迎え入れてくれた。
……もっとお母様と一緒に過ごせばよかった。
刺繍だとか、女の子らしいことをすれば、それが叶っただろうに。
けれどもお母様が亡くなった後、お母様を偲んでそうするどころか、私は全く逆の道を選んだ。
……それが、今の状況に繋がる。
お母様の葬儀の後、涙が涸れるほど泣いた。
泣いて、泣いて……私の中にポッカリと空いた心に、葬儀の時一瞬過った感情が再び沸き出た。
つまり……怒りと憎しみ。
仇を討ちたいと願い、自分の無力さを嘆いた。
現実の理不尽さを呪い、自分の無力さを恥じた。
だから私は、お父様に願った。
鍛えて欲しいと。
お父様は、何も理由を問わなかった。
代わりに、「望むからには厳しくやらせてもらう」そう言っただけ。
そしてその翌日から、訓練に身を投じた。




