枝豆と大豆、もしくは“といとーつ”
エミス村から大豆栽培に関する続報が届いたのは、しばらく経った頃だった。
「エル様、エミス村から……って、何しているんですか」
ドアが開けられ、ミゼットが頭上からげんなりとした声がかけてくる。
「何って、ユインの寝顔見てるけど」
うん、今日も天使である。
「……エル様がもしもユイン様の兄上でなかったなら、騎士を呼んでますよ」
「兄で良かったよな」
そう言えば、はぁとため息が落ちる。
なんのため息だ、それは。
「で、エミス村からは何だって?」
「え? ああ、そうでした。多くの豆が青々と茂っているそうですよ。明日あたりに、収穫作業をするとかで」
「ふぅん。それは良かっ……ん?」
青々と茂っている?
なのに、収穫する?
「ちょっと待て、それじゃ枝豆だ!」
「はい?」
くそう、大豆に関してほぼ全く知識がないというのを舐めていた。
まさか、枝豆で来るとは!
「ミゼット、今エミス村に手紙を送ったらいつ着く!?」
「ええと、早くても明後日かと」
「それじゃ遅い!」
ユインを起こさないよう声を抑えて叫ぶと、ミゼットが不思議そうに首を傾げる。
「何をそんなに焦っておられるのです?」
「一大事なんだよ! 夜は無理だから……ミゼット、明日の朝早くに馬車を出してくれ!」
「えぇ!? そんないきなり言われても……」
「時間外給与出すから!」
「承知しました、明日の朝ですね」
……金の亡者め。
翌日。
馬車がエミス村に着くや否や、俺は足置きが用意されるのも待たず飛び出した。
ザッと目をやれば……くそっ、始めてやがる!
「そこ、ちょっと待て! まだダメだ、ストォォォォッッップ!」
叫んだ俺の肩にポンと手を置かれた。
振り向くと、村長のレムロだ。
「お前さん……前に見た時と、全く様子が違いますなぁ?」
「はっ!」
しまった、と思っても後の祭りである。
ちっ、仕方ない。
「……交渉で自分を偽らない方が難しいだろう。 それに今は緊急事態だったんだ」
「緊急事態?」
「そう、俺の日本食計画が……って、だからそこ、収穫を止めろ!」
ふむ、とレムロが顎に手を当てて、面白そうに笑っている。
「で、ニホンショク計画とは何か……詳しく聞いても?」
ああ、やっぱりこの男は苦手だ。
「……要約すると、あの大豆とやらは枯れてから収穫するもので、それを使うとショーユやミソなんていう調味料が作れると」
「ああ」
「で、それを使ってニホンショクを作ると」
「そうだ」
「ふむ……よく分からんな」
だったら聞くな! と言いたいところだ。
お互い、とってつけたような敬語は取れて、タメ口なってしまっているが、正直こっちの方が楽だ。
「しかし、そちらにとっても悪い話じゃないぞ」
「む?」
「俺が調べさせたところによると、この世界には醤油や味噌は存在してないんだ。つまり、この村が初めて作れば、それはこの村の特産品になる」
そう言うと、レムロはむしろ訝しむような目を向けてきた。
「なんだ?」
「……いや、な」
目がそらされる。なんだよ、言いたいことがあれば言えばいいのに。
利益ばかり提示したのがあやしかったのだろうか。
「……と言っても、あれだぞ。ゆくゆくはこの領地の特産品にするからな?」
「ああ」
「そうしたら今度は、豆腐なんかを作ろうと思うんだが」
「そうか」
豆腐なんかも知らないはずなのに聞き返してこない。
なんだ、話を聞く気がないのか、とため息をついた。
「ともかく、あれは完全に枯れるまで、取らずに置いておいてくれ」
「既に取ってしまった分はどうする?」
「そうだな、大豆の実りはいいみたいだし、あれは村の者らで分けてもらっていい。塩茹でにすると、いい酒のおつまみになるぞ」
そう言うと、さらに目がもの言いたげになる。
「……お前は、本当に……」
「なんだ?」
「……いや」
だから、なんなんだってば!
朝から散々だったとため息を尽きながら、屋敷に戻った俺を待っていたのは、最高の出来事だった。
扉を開けた瞬間、
「ただいま〜」
「おにぃたま!」
ユインが抱きついてきたのだ。
な、え、と言葉が声にならない。
「ゆ、ユイン?」
「おきたら、おにぃたまがいなかったから……」
寂しかったの、というその姿にズキュンと心臓を射抜かれる。
「ごめんよ、ユイン。今、お兄ちゃんは醤油と味噌を作るために頑張っててね……」
「とーゆ? みと?」
またまたズキュンである。
「しょ……っ、醤油と、味噌、ね」
「そーゆ、みと?」
「醤油だよ、ソイソース」
「といとーつ!」
くっ、なんだこの可愛すぎる生き物……!
やっぱりユインにも、美味しい醤油と味噌を使った料理を食べさせてあげたい、と改めて思いながら、その体をぎゅっとする。
そのために俺が次にすべきことは……。
塩の確保である。
小さい子の、サ行が言えないのが可愛いと思います。
サンタさん、とか言わせると、タンタタンなんていう、陽気な音楽みたいになっちゃうアレ。