とある執事の呟き、もしくは兄の勧誘
皆さま初めまして。
知らない方も……というか、知らない方しかいらっしゃらないでしょうから、自己紹介をさせていただきます。
私は、ヴァイセンの領主様に仕える執事、ノマールと申します。
私の家は代々この領主様の家にお仕えしておりまして、我が父は今の領主様のお父上、つまり先代にお仕えしておりました。
ああ、あの頃は良かったと誰もが言います。
税は多くなく、田畑も良く実り、領主と領民の仲も今よりずっと隔絶されていませんでした。
しかし今や、それが嘘のようでございます。
元々、現領主様は、領主になるはずのお方ではなかったのです。
それが、先代様が急逝され、ついで本来領主になるはずだったお兄様の方もまた流行病で亡くなり、甘やかされて育ち、経済も何も知らぬあの方が領主になったのです。
あの方は昔から遊び人で金遣いが荒いと囁かれている御人でした。
そんな方が権力を得たのですから、それはもう、不幸なことでございます。
今日もまた、王都に戻られた領主様から、税の取り立ての強化と、自分の名をつけた橋を作れとの手紙をいただきました。
この前は銅像、次は道、今回は橋のようです。
領民が飽き飽きしているのにもまるで気づかず、王都では、領民が自分を讃えて勝手に作ってくれたと吹聴していると聞きます。
……恐らく、誰一人として信じているものはいないでしょうが。
領主様のいない間、領地の管理をしますは私の仕事なので、実際に税率を上げ、橋を作らせるのは私なのですが……私はいつまでこのようなことをせねばならないのか、と思うこともしばしばです。
もっと世間様に顔向けのできるように生きたいものです。
さて。ここまで領主様にまつわる話をして来ましたが、本題へと移りましょう。
領主様には、息子様がいらっしゃいます。
エルシアーク様と言って、親に似ていらっしゃらない賢い方だと、もっぱらの噂でした。
……しかし正直なところ、私はどうもそのエルシアーク様が苦手なのです。
何故か先日も食事の席で、それはもう睨まれましたし。
気弱な私は思わず視線を逸らしてしまいましたが、そうしたら余計、仇でも見るような目になりました。
私の何がそう気に障ったのでしょう?
そして今。
そのエルシアーク様は私の私室を訪ねて来られているのです。
「ノマール、だったな」
「は、はい」
私の名前を覚えていてくださる!
その事実に私は感動しました。
彼の父君、つまり領主様などは、私を未だに「おい」や「執事」としか呼ばないのですから。
初めて郵便が来た時、宛名が「執事」になっていた時には、流石に枕を濡らしました。
「それで、な、なんの御用でしょうか、エルシアーク様」
私がなんとか問いかけると、エルシアーク様は子供らしからぬ笑みを浮かべました。
「俺に協力してくれないか?」
「きょ、協力ですか?」
「ああ。つまり、領主でなく、俺に仕えないか、ということだ」
それは、領主様を裏切れ、ということでしょうか。
遊びでなく、本気で、おっしゃっているのでしょうか。わずか、五歳なのに?
私の顔が青ざめるのを見てとったのでしょう、エルシアーク様は声を和らげました。
「何も、裏切れってわけじゃない。将来的に、お前かお前の息子は俺に仕えることになるだろう? その時期がいくらか早まるだけだと思えばいい」
「し、しかし……」
「ノマール、お前だって、世間に顔向けできるように生きたいだろう?」
思わず、驚きで思考が止まりました。
この方は、まるで私の思考を読んだように言うのです。
「今俺に仕えるというなら、ユインのことを父に言ったことは許そう」
「……は?」
「とぼけなくてもいい、全て分かっている」
何を、分かっているのでしょうか。
私は困惑しながら、しかし、エルシアーク様の言葉の魅力に逆らいきれず、ゆるゆると頷きました。
「分かり、ました。あなた様に、従います……」
そこからのエルシアーク様の表情の変化は劇的でした。
「そうか! 良かった、嬉しいよ」
「しかし、エルシアーク様、」
「わざわざエルシアークなんて呼ばなくていい、エルでいいさ」
「え、エル様……」
「そうそう、それでいい。ああ、今日のことは、誰にも言うなよ?」
「は、はい」
それにしても……先程エルシアーク様、いえ、エル様が言ったユイン様のこととは……
一体何なのでしょう?
エル、真犯人見誤ったり!……か?