ドラゴンとお姫様の結婚式
むかしむかし。
グラスパート王国の火山に、真っ赤なドラゴンが住んでいました。
ドラゴンは空を飛び、自分の住処を穢そうとする魔物を、炎の息吹で追い払っていました。
ドラゴンは自分に害の無い者は傷つけません。けれどふもとの人間たちは、そのあまりの強さを見て、ドラゴンをとても恐ろしい存在だと噂するようになったのです。
時にはドラゴンを倒そうと討伐隊が組まれましたが、ドラゴンは自分に襲いかかってきた者を全て倒しました。
やがてグラスパート王国は、このドラゴンに触れてはならないという法律を作りました。そして火山のふもとに城を作り、誰もドラゴンに近付けないようにしたのです。
それからドラゴンは、長い年月を、ずっと独りで過ごすのでした。
やがて、法律が作られてから何百年も経った頃。
グラスパート王国のお姫様が、ドラゴンのもとへとやって来ました。
ドラゴンはうんと久し振りに見る人間に、とても驚いたので、じっと観察を始めます。
そのお姫様は、前のめりにフラフラと危なげな足取りで、ドラゴンの方へ歩いて来ています。唇の端を半分だけ上げた口からは、細い息と共に「ふふふ、どうせ私なんて。ふふふ、どうせ私なんて」と渇いた声が繰り返されていました。右手には剣を引きずっており、火山に住む弱い魔物を倒して来られる程の腕はあるようでした。
お姫様はドラゴンの前に辿り着くと、フラフラしていた身体をぴたりと止め、川底から這いずり上がるように、ドラゴンと視線を交わすまで、ゆっくりと顔を上げていきました。
お姫様の目は、今にも世界に呪いをかけそうな、深い絶望と黒く淀んだ怒りに満ちていました。
ドラゴンは、人間とはこんなにも複雑で強い感情を抱ける生き物なのだな、ととても感心しました。
お姫様はそんなドラゴンの気持ちなど関係なく、自分のものさしでドラゴンを計り終えたようで、嘲りの気持ちを込めて、「ハッ」といっそ爽やかに笑いました。
「何故、そんな顔をする?」
「すごい、喋れるのね。伝説の破壊竜とか、火山の悪魔とか言い伝えられているから、さぞ恐ろしい顔をしているのだろうと思って確かめに来たけれど。なんだ、大した事ないわね。城の連中のような、出来の悪い私を汚物のように見る顔より、幾らもマシな顔よ。これでまだ頑張れそう。ありがとう」
ドラゴンは生まれて初めて「ありがとう」と言われ、お姫様にとても興味が湧きました。
「お前は、俺が怖くないのか?」
「ええ、あなたは怖くない。私が怖いのは、人間よ」
お姫様の目は相変わらず淀んでいましたが、嘘はついていませんでした。
「怖くないなら、また会いに来るか?」
「また? ……ああ、そうね、溜まった鬱憤が零れそうになったら、愚痴りに来るわ。どうせここに来る人間はいないでしょうし、人目を気にするストレスも無い。なんて素晴らしいのかしら!」
飛び上がって両手を広げると、すぐに白目をむきそうな、狂気に満ちた死人のように見えました。けれどお姫様は本当に嬉しそうなので、ドラゴンは何も言わないであげました。
そしてその日から、ドラゴンは独りではなくなったのでした。
*****
お姫様は、何度もドラゴンに会いに来ました。
と言っても、二人は仲良くお話をするわけではありません。お姫様がお城の人間たちへの愚痴や恨みつらみを一方的に吐き続け、ドラゴンは相槌も打たずに聞いているだけでした。
けれど、二人は互いを嫌いにはなりませんでした。
「クククッ……! 私ね、三年がかりで橋を建設する計画を任されていたの。でもあと一息で完成という所に、優秀な兄が不出来な私よりはるかに効率の良い案を持って来た! 私の必死の三年、全てパア! そして毎日三食、毒が盛られるようになった! ああ、火山に薬草と食用魔物がいて助かったわ。自力で解毒と調理ができなければ、医者にトドメ刺されて終わってたもの!」
実に楽しげに暗い声を上げ続けるその顔が、どこかの物語に出てきそうな悪役を想像させました。けれどそれを言うとお姫様は怒りそうだったので、ドラゴンは何も言わないであげました。
でもその表情には興味があったので、別の視点からお姫様にたずねてみました。
「お前の、その目を細めて口の端を上げ、息と声を小刻みに吐き出す行為。よく見かけるが、人間は誰でもそれをよくするものなのか?」
ドラゴンの言いたい事はお姫様によく伝わらず、どういう事かとしばらく考えさせてしまいました。
「……それは、笑う、という事について? 楽しい時、おかしい時にしてしまう、とっさの行動の事? あなたは笑わないの?」
「俺の顔は、お前の顔とは違う。目を細めるためのまぶたは無い。顎は開くが、口の端を吊り上げる筋肉は無い。楽しいと感じても、反射的に声を上げるようにはできていない」
ドラゴンの身体の作りは、人間とは違ったのです。
その事実を知ったお姫様は言葉を失い、眉を寄せて、何かの感情を表情で表そうとしました。
「……じゃあ、悲しくて涙を流す事も、できない?」
「お前がたまに、目と鼻から一緒に流す、アレか。ドラゴンの目は鉱石のようなものだ。ものを見る器官は、その鉱石の奥で守られている。だから涙で塵を流す必要は無い。……いや、お前は悲しいという信号を誰かに伝えられないのか、と言いたいのだな。かつて俺に武器を向けて来た奴らには、悲しいからやめてくれ、と言葉で伝えた。しかしそんな凶悪な顔で言っても信じられない、と言われた」
ドラゴンが言葉を終えた直後、お姫様はドラゴンに抱きつきました。本当は抱きしめてあげたかったのですが、体格の差が大き過ぎて、できなかったのです。
「どうした? 心配しなくとも、俺は恨みで人間たちを殺しに行こうとはしないぞ。お前と同じだ」
「……私と同じと言うなら、なおさらこうしてあげたいの」
お姫様は、ドラゴンの分まで、笑ったり泣いたりしようと決めたのでした。
*****
お姫様は、以前の泥沼の主のような、絶望と憎しみに満ちた顔はしなくなりました。
今では誰にでも楽しそうな笑顔を見せるようになり、自分を不当に馬鹿にする者がいれば、正々堂々と口げんかをふっかけるようにもなりました。
ドラゴンに聞かせる話も、純粋に楽しい出来事が多くなりました。そしてドラゴンも、お姫様の話に相槌を打ったり、感想を言うようになったのです。
今日だって、そろそろお姫様がドラゴンの住処にやって来る時間のはずです。
そしてお姫様は確かに普段通りの時間にやって来ました。しかしその顔は、以前ほどではないにしろ、不機嫌にぶすくれていました。
「その顔は初めてだ。何があった?」
「よくぞ聞いてくれた! そして私の怒りを全て肯定しろ!」
今日、お姫様はトイランド国の王子様に、婚約を申し込まれたのです。
しかしその王子様は、今までずっとお姫様をいじめてきた嫌な奴でした。そんな彼が、最近のお姫様がきれいに笑うようになったというだけで、手の平を返したのです。
いじめられてきたお姫様にしてみれば、「今更なにふざけた事をぬかしているのだこのクソガキ」という怒りでいっぱいなのでした。
今だって行き場の無い怒りを発散させるために、剣をブンブンと素振りしています。
「フッてやる! 今までの怒り、憎しみ、それを全て受ける義務があると、その身に刻み込んでやる!!」
「無理をしない範囲で頑張るといい。その王子の愛はきっと偽物だ。俺は、お前が笑顔を見せるようにならなくとも、好きになったのだからな」
お姫様が振っていた剣が手からすっぽ抜け、地面に落ちてガランガランと音を立てました。
そしてぐにぐにとよく動いていた表情をコチコチに固めると、錆びついた鉄のように首をギギギとドラゴンの方へ向けました。
「……す、好き? 今、あなた、私を好きって言ったの?」
「ああ。俺はお前が好きだ。一緒にいてくれて嬉しい。俺もお前と一緒にいたい。他の奴らに奪われるくらいなら、殺してやりたいほどだ」
ドラゴンの後半の言葉に背筋が冷え、正気を取り戻したお姫様は、顔を赤くしたり青くしたりしました。
「……それじゃ、私、トイランドの王子だけでなく、他の誰とも結婚できないわね」
「俺に殺されたくないなら、そうなるな」
「……じゃあ、あなたと結婚するしかないじゃない」
お姫様は言った後で気付いたようで、「で、でもドラゴンに結婚式なんて風習は無いわよね」と何かをごまかそうとしました。
「結婚式。二人が互いへの愛を誓う儀式。そういう言い方をすれば、ドラゴンにも結婚式はある」
「どんな!?」
「まず、片方ずつ、相手への愛を誓う。次に、子を生むために交りあう。ああ、お前の場合はその前に邪魔なドレスを脱ぐ必要があるな。そして子が宿ったら終了だ」
ドラゴンは自分たちの結婚式についてちゃんと教えてあげたのに、お姫様は顔を赤くしたまま固まってしまいました。
ドラゴンが辛抱強く待っていると、やがてお姫様は顔をうつむけていきました。
「……そうか……野に生きるドラゴンだものね……。種を保存する事が最も重要よね……」
お姫様はぶつぶつと思い悩んでいるようですが、ドラゴンにはよくわかりませんでした。
「ドラゴンは、気に入った者としか結婚しない。俺はお前が好きだ。しかし、お前は俺が好きでないなら、結婚はできない」
「好きよ!! あなたが世界で一番好きよ!!」
その言葉はとっさに言ってしまったものでしたが、お姫様の本音に違いありませんでした。
だからお姫様は、ドラゴンと結婚する事を決めるのでした。
*****
城を出るための全ての準備を終えてきたお姫様は、酷く疲れている様子でした。
しかしその表情は間違いなく晴れやかで、幸せを噛み締めているようにも見えます。
そしてドラゴンとお姫様は向かいあい、二人だけの結婚式を始めました。
「俺は、プリムラ・マトリョーシカ・グラスパートを愛する事を誓う」
「私は、サラマンダーを愛する事を誓う」
誓いの後、プリムラは以前言われた通り、たどたどしくドレスを脱ぎました。
そして次に、サラマンダーは大きく口を開き、プリムラを頭から丸呑みしてあげました。
何故なら、ドラゴンは愛する相手を食べ、その肉の力で卵を作り、産む事が、最大の愛情表現だったからです。
まだサラマンダーの口の中にいるお姫様は、口から外へはみ出した手で、何度も強くサラマンダーを叩きました。
サラマンダーはきっと嬉しがっているのだろうと思いましたが、それを指摘するとプリムラは怒るので、何も言わないであげました。
プリムラを全てお腹に収めたサラマンダーは、とても幸せな気持ちに包まれました。今、プリムラは自分と一つになったのです。もう誰にも奪われる心配はありません。きっとプリムラも、自分と一緒にいられて幸せだろう、と信じて疑いませんでした。
その日、サラマンダーはぐっすり眠る事ができたのでした。
次の日から、サラマンダーはプリムラと出会う前の暮らしに戻りました。
独りで目覚め、独りで空を飛び、独りで魔物を倒し、独りで眠る。何もおかしい事は無いはずなのに、サラマンダーは心にぽっかりと大穴が開いたような気分に覆われました。
長い首で周りを見渡しても、誰もいません。自分に話しかけてくれる者は、誰もいないのです。
プリムラはちゃんと自分と一緒にいるのに、サラマンダーはとても寂しくなりました。
やがて、プリムラはもう自分に笑いかけてくれないのだ、とサラマンダーは気付きました。
そして、プリムラのように笑おうとして、顔を動かそうとしました。
しかし、サラマンダーにできるのは口から炎を吐く事だけでした。それでも必死に動かそうとしていたら、いつの間にか世界中を炎の息吹で焼き尽くしていました。
次に、サラマンダーは悲しみの涙を流そうとしました。
空高く飛び上がり、焦げた大地に身体を叩きつけました。大地が割れ、海と混ざりあうまで何度も何度も叩きつけました。けれど硬い目からは、雫の一粒さえ流れ落ちませんでした。
やがて、サラマンダーが卵を産む時がやって来ました。
ドラゴンは卵を産む時、自分の命の全てを卵に注ぐのです。
卵を産むと、サラマンダーは亡くなりました。
やがて卵から生まれたドラゴンは、魔法という不思議な力を持っていました。
魔法は、ドラゴンを人間に変身させる事もできたのです。
そしてドラゴンが人間になっている時に人間と結婚をすると、産まれてきた子供は、みんな魔法を使えました。
やがて魔法を使える者は世界中に広がり、世界は魔法の力で豊かになっていったのでした。
おしまい。