告白
――ねぇ、先生、
私の話をどうか聞いてください。
そして、
できることなら
少しだけ、味方をしてくださいませんか。
単なる子供の戯れ事です。心のそこからの
私の告白です。
今から言うことを、先生はあまり真に受けないと思いますが、私が今、こういうことで悩んでいるということだけ知っていてください。
●●●●のことについてです。
●●●●は、先生のご存知のように、たしかに実力のある先生であるとは思います。
現に、ああして結果を数字に残しているので、そこに間違いはないのでしょう。ですが、先生、
先生は「教育」ということに関して、どのようなお考えをお持ちでしょうか。
英語や数学の問題を解く技術を教えることですか。
有名大学へ、生徒の多くを入れることですか。
それとも「人間として」優れた人材を育成することですか。
どれか一つだけが教育でしょうか。
技術をあげるためならば、別に生徒の内面は関係ない?
1番厄介とも言える、心の問題を、全く無視して技術だけを生徒に詰め込んでも、それを教育だと言えるんですか。
もしくは、先生もそうお思いですか。
教育ってなんですか。
……話が逸れました。すみません。
つまりを言うと、今、私は●●●●の教育方針が辛いと感じているわけです。
合う、合わないがあるでしょうが、少なくとも、今の2、3年生は非常に辛い状態です。
精神的に、です。
本来楽しいものであった部活も、最近ではあまり楽しそうではありません。
1年生は除きますが。
●●●●は
絵を、作品を、とことん自分を基準にして良いか、悪いかを判断するようです。先生の専門は英語ですから、美術に関しては詳しくないと思われると思いますが、小・中学校で美術はやらなかったでしょうか。もし、一生懸命に作り上げた絵や作品を、教える側、つまり先生から
「これで7割だね」
と言われたら、どう思うでしょうか。
「これは美術じゃない」と、根っからの否定をされたら、一体どんな気持ちになるか、先生は想像できませんか。
ここは、決して美術の予備校ではないのに、です。
完全なる「意識の統制」
彼がやろうとしていることは、私たちはたかが生徒であるという位置付けをした上で、あたかもモノであるように扱い、自分がもっている価値観やら評価基準やらを私たち「モノ」に一方的に押し付け、彼自身がもつ「完全体」のいわゆるクローンを作ろうとしているのだろうと、
私の目からはそう見えます。
自由な発想で描いたものは、ただのガラクタだそうですよ。
●●●●が技術的に優れているのだということは承知ですが、美術教育という点において、彼が優れた教師であるとは私は少しも思っていません。
思いたくもない。
ヘドが出る。
くだらない戯れ事を、私たちに押し付けないで欲しいのです。
これは私のエゴなのでしょう。
勝手気ままの綺麗事。
世間知らずの詭弁論。
十代そこらで
教育について、
個性について、
人生について、
熱く熱く語っても
大人たちはただ鼻先で笑い飛ばせてしまう。私はあまりに世界を知らな過ぎるから。
―先生、
先生ももしかしたら、私を嘲笑っているのかもしれません。
だけれど先生、
教育は、まず心の発育だと思うのです。
それにはまず、自分の型に合わせて生徒を育成するというのはマズイのではないでしょうか。
"こうでなければならない"とは、なんて狭い世界なのでしょう傲慢で自己中な教育を
子供であるがために、私たちは黙って、
必要があれば●●●●のご機嫌をとって、
耐えなければならない。
―とても理不尽だと思います。
私たちはたしかにまだ
単なる子供ですが
しっかりと感性を持ち、
勉強をし、言葉を話し、
ちゃんと生きてきた。
それを見下し、
権利で押さえ付けるのは
私たちにとっては侮辱も同じことです。
先生、
先生、
私はあれを
「先生」と呼び、敬うことをしたくありません。
人間として
心底嫌悪します。
吐き気がします。
消えて欲しいとさえ
願ってしまいます。
―――先生、
私は、
いやな生徒でしょうか。