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カエデ

頭上を覆う分厚い緑の天蓋が、柔らかな木漏れ日を幾重にも落としている。

どこからともなく聞こえる清らかな水音と、湿り気を帯びた豊潤な土の匂い。世界はむせ返るほどの瑞々しい生命力に満ち溢れていた。


青々とした木立を縫うように歩きながら、ニシキギは隣を弾むように進む案内人に尋ねた。

「テオ。マツという人は、どんな人物なんだい?」

「マツさんはね、ヴィラレライトの歴史を研究しているんだよ!だから、いろんなことを知ってるんだ。」


「ヴィラレライトの歴史か。……そういえば、この美しい世界は一体いつから存在しているんだ?」

「いつから?うーん……ヴィラレライトは、ヴィラレライトだよ?」

ニシキギの問いかけに、テオは不思議そうに小首を傾げた。

「それよりほら、森を抜けるよ!」


テオが前を指差した途端、ぱっと視界が開けた。

そこはヴィラレライトの南に広がる、風の丘。なだらかな緑の斜面の上に、ぽつんと建つ瀟洒な木造の小屋があった。


「あれが、マツの小屋かい?」

「ううん、あそこにいるのはカエデさんだよ。ちょっと寄り道していこう!」


テオに案内されるまま扉を開けたニシキギは、そこに広がる光景に思わず息を呑み、足を止めた。

外見の可愛らしさからは到底想像もつかない異常な空間が、そこにはあったのだ。


床を埋め尽くし、壁沿いにうず高く積まれ、まるで波打つ白い海のように部屋全体を占拠する無数の羊皮紙。明らかに小屋の容積を凌駕しているその圧倒的な紙の山は、重力や物理の法則を無視しているかのように、崩れることもなくそこにある。


その羊皮紙の海の中央、まるで雪原に埋もれるようにして、アシュプルのカエデが一人、静かに五線譜に向かっていた。

彼は決してインクの減らない羽ペンを手になめらかに動かし、目を閉じては、かすかな旋律をすくい取るようにゆっくりと音符を書き留めている。


「こんにちは、カエデさん!」

テオが羊皮紙の山を器用に避けて進み、元気よく声をかけると、カエデは羽ペンを置き、静かな湖面のような瞳をゆっくりと開いた。

「やあ、テオ。それに……見慣れない顔だね。新しい同胞かい。」


テオは背後に立つ青年を指差した。

「うん、ニシキギさんだよ。ニシキギさん、こちらはカエデさん。とっても素敵な曲を作っているんだ。」

ニシキギは、部屋を埋め尽くす楽譜の山を見渡して、感嘆と微かな戸惑いの入り混じった息を漏らした。

「初めまして、カエデ。それにしても……凄い眺めだ。」

「カエデだ。初めまして、ニシキギ。ふふ、凄いだろ、これは私の悲願なんだ。」


「カエデさん、曲の進み具合はどう?」

テオが小脇に抱えたノートを開きながら尋ねると、カエデはふわりと穏やかに微笑んだ。

「ああ、とても順調だよ。つい先ほど、長かった前の章がようやく完成してね。今は、新しい章の最初の音符に命を吹き込んだところさ。」


その言葉に、ニシキギが興味深そうに身を乗り出した。

「これほどの数の楽譜がすでに書き上がっているとは。この壮大な交響曲は、全部で何楽章ある大作なんでしょう?」


カエデが答えるよりも早く、テオが胸を張って元気よく答えた。

「ええとね、十四万四千楽章!このまえ作ってたのが四万五千八百三十六楽章だから、今は四万五千八百三十七楽章目だね。」


ニシキギの表情が、わずかに固まった。

「……十四万、四千。完成までに一体何年かかるんだ?いや、仮に完成したとして、これほど途方もない長さの曲を、どうやって最後まで演奏するというんだい?」


彼の問いかけは、この世界ではひどく異質に響いた。

カエデは不思議なものでも見るかのように小さく首を傾げた後、銀色の髪を揺らして、くすくすと上品に笑った。


「演奏の終わりや、時間の果てを気にするなんて。ふふ……君はまだ、ずいぶんと若いのだね。」

カエデのその言葉には、悠久の時を生きる者だけが持つ、限りなく豊かで、それゆえにひどく残酷な静けさがあった。彼は再び手元の五線譜へと視線を落とし、永遠に終わることのない音楽の海へと戻っていく。


テオはそんなアシュプルたちのやり取りをよそに、ノートの真新しいページに羽ペンを走らせた。


『カエデ、作曲に進展あり』

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