第6話 根っこからの言葉
2度目の高校生活。
校門の前に立つと、自ずと背筋が伸びた。
前回とは、違う高校。地域すら異なる。でも、重ねてしまう。
周囲を見渡すと、瑞々しい新入生たち。私だけが、異物だ。ほうれい線に奇異の視線が突き刺さり、肩がしぼんだ。
あと一歩で、構内に入る。
でも、足が怯えて、踏み出せない。
「どうしたんですか?」
突然、肩に手を置かれた。
横を向くと、視界に映る。ナギサちゃんの、不安顔。
「私が入ったら、不法侵入にならない?」
15年以上、学校は聖域だと思っていた。
中退した自分には、もう関係のない場所。敷地に踏み入ったら、不審者確定。逮捕待ったなしだ。
「恵巳さんは、心配性ですね」
「気にしすぎ、かな?」
「もし犯罪者になったら、一緒に逃げましょう。それなら、怖くないですよね?」
「逃げる……?」
「警察を振り切って、旅行するんです。きっと楽しいですよ」
「いや……え……?」
声が、弾んでいる。お嬢様は本気だ。
そっか。
逃げて、いいんだ。
いつでも、どこへでも。
彼女と、一緒に。
「……安心のさせ方、おかしいでしょ」
「ふふふ。確かにそうですね」
会話のおかげで、力が抜けた。
慎重に足を上げ、青春の土を、踏む。
「…………」
何も、起きない。
虹を発見したような、晴れやかな気分だ。
「大丈夫でしたね」
「……うん」
ナギサちゃんに手を引かれ、昇降口へ入る。
新品の香り漂う上履きに履き替えたら、クラス分けの確認だ。
私とナギサちゃんは、同じクラス。
胸を撫でおろしながら、教室のドアを開けた。
黒板と、整然と並んだ学校机。
若葉臭い風景だ。
周囲を見渡すと、すでにグループができていた。中学校からの仲か、数分で打ち解けたのか……。どちらにしても、私は真似できない。
学校の人間関係は、こわい。
仕事の繋がりとは、違う。
利害が薄く、雇用契約もない繋がり。
ただ単に、好きだから、話が合うから、つるむ。常に捨てられる事態に怯えないといけない。面倒で、やってられないでしょ。
「恵巳さん、自己紹介の内容はまとめましたか?」
「うーん、まだ」
「大丈夫なんですか?」
「なんとかなる……と思う」
「あたしが考えましょうか?」
さすがに、頼り過ぎはよくない。
「今時の自己紹介ってどんな感じ?」
「時代で変わるものじゃないと思いますけど……」
「本当に、そう、だよね……?」
妄想してしまう。
実は私の知らないルールがあって、間違えると笑われるんじゃないかって。
「無難が一番だと思いますよ。波風を立てても意味ありませんから」
「……うん」
自分を出し過ぎない、自己紹介。難しい。
私って、空っぽなのかな……?
ううん。弱気になっちゃダメ。
気合を入れるためにも、あれをお願いしよう。
頭を振って、ナギサちゃんの鎖骨を見つめる。
羞恥心から、顔を見れない。
「ねえ、ナギサちゃん」
「どうかしましたか? 忘れ物ですか?」
「えっと、違くて……」
提案する前に、喉が鳴った。
「あの、『なんでも』のお願いなんだけど……」
「はい。決まったんですか?」
「交換日記、したい、な」
「え。交換日記、って、なんですか……?」
あ、そっか。ジェネレーションギャップだ。
「一冊の日記帳で、毎日交換しながら日記を書くの」
「へー。楽しそうですね」
「高校時代……えっと、前の高校時代に、やってたんだ」
「誰と、ですか?」
ナギサちゃんの瞳から、光が消えた。貞子さんが出てきそうなくらい、怖い。
「えっと……その時、好きだった女の子」
「いたんですか」
「でも、嫌な終わり方をしたから……」
「あたしに、塗りつぶしてほしいと?」
「……ひどい、よね」
自嘲する気も起きない。
「いいですよ。楽しそうです」
「え、いいの?」
「ノスタルジーな感じがいいです」
「そ、そうだね」
郷愁を感じるほど、古い文化なの?
いや、よくよく考えたら、私の高校時代、ナギサちゃんは生まれてもいないんだ……。
すごい。
時間になり、入学式がはじまった。
校長の話も退屈で、頭の中で紹介文を練り続ける。
そして、運命の時。
自己紹介の開幕だ。
クラスメイトたちが席順に起立し、テンプレ通りの文言を告げていく。
19年前の光景が、重なる。
当時の私は愚かだった。
とにかく大声を出して、元気をアピールすればいい。ニッチな映画や音楽が好きだと叫べば、注目されると信じていた。
本当は、腫れ物扱いされるだけなのに。
順番が回り、ナギサちゃんが立ち上がる。
「兎本ナギサです」
トランペットみたいに、はっきりした声だった。背筋を伸ばす姿は、まるで芍薬。
クラス中の視線が、奪われている。
「時間がないので、手短に」
ナギサちゃんは予告もなく、袖をまくった。
露出した左腕には、緑のアザ。
教室の全員に、見せつけている。
「あたしは、青薔薇病にかかっています。2年半後には、遠くにいるでしょう。卒業できません」
口も開けない、空気。
「もし、それでも仲良くなってくれる人がいたら、嬉しいです」
たった、それだけ。お嬢様は優雅な所作で、腰を下ろした。
私の頭は困惑しっぱなしだ。
目的があるのだろうか。
彼女は秀才だし、私よりも先見の明があるのかもしれない。
「……きもっ」
羽虫のような声だったけど、確かに聞こえた。カラスの死体に唾を吐き捨てるような、罵倒。遅れて、小さなあざ笑いが、空気に溶けた。
誰の口から出た声だろうか。一瞬の出来事で、特定できなかった。
でも、関係ない。
ついに訪れた、私の番。
立ち上がると椅子が大きな音を響かせ、自分で驚いた。
「鳥海恵巳、です。34歳。えっと、色々あって、この高校に通うことになりました。皆さんと比べると、年いってますけど……」
乾いた笑い声が、いくつか漏れ聞こえた。
でも、全然気にならない。
彼女に向けられた誹りに比べれば。
「兎本ナギサちゃんとは仲良くさせてもらってます。えっと、その……病気の彼女を、笑わないでください」
自己紹介で、何を言っているんだろう、私。
「余命少ないナギサちゃんだから、私は一緒にいられるんです。だから、きもいって言わないで」
きっと、最悪なこと、口走ってる。
ああ。
失敗したよね、これ。
でも、いっか。どうにでもなれ。私の世界には、ナギサちゃんがいれば、十分。
「終わり、です」
後悔はある。だけど、吸う空気が、炭酸水みたいに爽やかだ。
「おばさんが、きっついなぁ」
まるでペットの葬式みたいな空気の中、響いた。
今度は、聞き逃さない。後ろだ。
振り向くと、視線がかち合った。
犯人は、男子制服を着た、人物。
「なんだよ。悪いのかよ」
机の上で足を組み、底意地わるく笑っていた。




