番外編① 根っこを切る
ナギサちゃんと出会って、初めての冬が訪れた。
カレンダーを見ると、赤丸がマークされている。
2月11日。
私の誕生日だ。
食卓に広がる料理は、お嬢様の手作りばかり。
オムライスに、ビーフシチュー。プラスで、付け合わせのサラダだ。
「子供っぽいもの、頼みすぎたかな?」
「ふふふ。飾らない性格が、かわいいです」
「ものは言いようだ」
「誕生日ぐらい、素直に受け取ってください」
微笑みの奥底から滲み出ている、圧。敵う訳もなく、頷くしかなかった。
「いただきます」
「はい。召し上がれ」
黙々と、スプーンを動かす。
テレビも点けていないし、静かな時間。いつものことだけど、正直、落ち着かない。
逃げるように、目線を泳がせると、ナギサちゃんの食事姿に留まった。
背筋は、物干し竿のように伸びている。
食器とスプーンで音を出さず、口へと運ぶ、上品な所作。
瞬きすら忘れていると、視線が合った。
「どうしましたか?」
「えっと……すごいなって。優雅過ぎない?」
「……母親に仕込まれたので」
「頑張って、覚えたんだ」
「褒めてもらえて、ちょっと、報われた気がします」
「……そっか」
ビーフシチューも、オムライスも、イチゴが混じったように、甘い。
食べ終わると、上品な指先が、口元を拭いてくれた。
ケーキは、用意していない。
甘い物は苦手だし、ロウソクの本数を数えたくなかった。
残りは、プレゼントだけ。
「あの……恵巳さん。受け取ってくれますか?」
「うん」
「あたし、誰かにプレゼントを送るの、はじめてなんです」
ラッピング袋を持つ、淑やかな両の手。目をすぼめて観察すると、かすかに震えていた。
「……そっか」
「仲良しごっこなんかをしている暇があったら、勉強しなさい。ママから、言われたんです」
「ひどいね」
「すみません。なので、ちょっとおかしいものかもしれません」
「きっと、大丈夫だよ」
受け取ると、肩透かしなほどに軽かった。
化粧品やインテリアではない。アクセサリーだろうか。
リボンを解き、中身を、覗き込む。
小さくて、飾り気のない化粧箱。持ち上げると、高級毛布のような肌触りだった。
「開けていい?」
「……はい」
鼻息を抑えながら、フタを開ける。
中身は、カモメのピアスだった。3羽が、雄々しく飛び立っている。
疑問が浮かび、顔を上げる。
「……私、ピアス穴、ないんだけど」
「あの……だから……」
言い淀む、小さな、お口。
手のひらには、ピアッサーが乗っていた。
「ナギサちゃんが、開けてくれるの?」
「……いい、ですか?」
私の間抜け顔が反射した、瞳。まるでロウソクのように、熱く、溶けていく。
「わたしの耳たぶに、穴、空けたいの?」
「……ダメ、ですか……?」
おねだりに、脳が、揺らめいた。
「うん。ナギサちゃん、かわいい」
「……ありがとう……ございます」
ビーフシチューの匂いが充満した、部屋。
ウェットティッシュのアルコール臭が、耳元から塗りつぶしていく。
「冷たい」
「すみません。我慢してください」
念入りに、何度も消毒される。
ぎこちない指の動きが伝わってきて、私の肩も強張った。
「これくらい、でしょうか」
「やり過ぎなぐらいだよ」
「……すみません。はじめてなので」
そっか。
今日、ナギサちゃんの『はじめて』を2つももらっちゃったんだ……。
耳たぶに触れる、ひんやりとした指先。
皮膚を通して、彼女の心音が伝わる。
「すごく、ドキドキしてるね」
「恵巳さんは、なんでピアスをしてこなかったんですか?」
「うーん。オシャレに無頓着だったからかなぁ」
「似合うのに、もったいないです」
「いやー。自信ないなー」
「あたしが保証しますよ」
見えなくとも、空気で伝わった。
ピアッサーは今、私の耳たぶに当てられている。
細い指に力が籠った瞬間、太い針先が貫通する。
「あの、恵巳さん、私の左手を、噛んでください。舌を守るために」
「きっと、痛いよ?」
「思いっきり……お願いします」
「……はは。すごいね」
ナギサちゃん、完全にノリノリだ。
いいよ。最後まで、付き合う。
「じゃあ、行きますね」
「……うん」
荒い呼吸が、横髪を揺らす感触。
目を閉じて、待つ。
まるで、電気のスイッチを入れたみたいに、一瞬だった。
痛覚が駆け抜け、全身の筋肉が、しびれる。
「どう、ですか?」
「……あれ?」
目を開けて、気付く。
ナギサちゃんの手を、全く噛んでいない。
私の耳から流れた血は、お嬢様の舌で舐めとられた。
「予想より痛くないかも。ナギサちゃん、上手」
「……そう、ですか」
残念そうな声をスルーして、次は左耳。
同じように、あっさりしていた。
ちょっと、物足りない……。
「あの……。恵巳さん、ピアスが3つあったのは、気づいていますか?」
「あ、たしかに」
耳はふたつしかない。形が違うし、予備とは違う。
じゃあ、一体……。
「ひとつだけ、おヘソ用なんです」
お嬢様の指が、私のシャツをめくり、下腹部の窪みを愛おし気に撫でた。
吐息を漏らしながら、
「あたし、恵巳さんの体で、一番ここが好きなんです……」
「だから、傷つけたいの……?」
「……はい」
私の返事は、明らか。
数分後。
ナギサちゃんは、自分の左腕を撫でていた。
深い噛み痕のひとつひとつを慈しむみたいに。
私の指が、ヘソピアスを、つつく。
胎児の時、母親と繋がっていた、部位。
血縁の、象徴。
でも、傷をつけられたんだ。
私を選んでくれた、少女の手によって。
飛び立つカモメを愛でるたびに、思う。
ああ。
知らなかったなぁ。
血の繋がりを否定されるって、とっても気持ちいい……。




