第41話 舟をこぐ赤薔薇
黒髪が、きめ細かい砂粒の上に、落ちた。
子供をあやすような、おっとりとした波の音。
磯の香りが肺を満たし、潮風が毛先をこそばゆく揺らす。
私たちの死に場所。
名前も知らない、浜辺。
散髪なんて、久しぶりだ。
逃避行生活のせいで、タイミングを失っていたし。
「どう?」
「いい感じです」
手鏡を見せると、お嬢様は頷いた。
「じゃあ、最後に、これをつけてくれる?」
私がはじめて生んだ、赤薔薇。艶やかな黒髪に飾ると、息が熱く湿っていく。
「すっごく似合ってる」
「……本当ですか? あたしって、暖色系は似合わないと思うのですが」
「すごいなぁ。薔薇の方が負けてるかも」
「もう。どっちもかわいい、でいいじゃないですか」
「あはは。確かに」
まだ、準備は残っている。
「じゃあ、次は体をキレイにしようか」
「……はい。よろしくおねがいします」
近所には、ホテルやネカフェもない。
岩場の端に隠れて、タオルをミネラルウォーターで濡らす。
「あの、恵巳さん、脱がしてくれませんか?」
「……うん」
理由は、きかない。
近づいて、シャツの裾に手を伸ばす。
「はい。ばんざーい」
「ばんざーい」
素直に両手を上げるお嬢様を前に、笑いが込み上げた。
「思い出すなぁ。夏休み」
「監禁、しましたね」
「こうやって、お世話されてたなぁ」
「とっても、楽しかったです」
「当時のナギサちゃん、ちょっと怖かったよ。目がドンヨリしてた」
「ついつい、夢中になってしまったので……」
Tシャツ。スカート。ブラジャーに、ショーツ。
布地が肌から離れるたび、彼女の匂いが濃くなっていく。
太陽光にさらされた、わびしい肢体。
「ナギサちゃんの体、薄くなっちゃったね」
「はい」
肉が、ない。皮と骨だけ。
そっと触れると、チョークのようにもろい骨の感触だけが、伝わってくる。
「痣も、こんなに……」
全身に走る、緑の痣。
今は、かすかに茶色みがかっている。まるで、萎れていくイバラのように。
「もう、壊れるん、だね」
「ようやく、ですよ」
儚さとグロテスクが混ざり合う、玉のような肉体。
言葉が湧かない。ただただ目を伏せて、窮屈な吐息を漏らすだけ。
丁寧に拭き終わると、新品の服をかぶせていく。
無地のシャツと、短パン。近所のファッションセンターで買ってきた。
「もっと、かわいいのがあればよかったんだけど」
「いいえ。十分ですよ」
「文化祭の衣装、すごかったなぁ」
「クラスメイトが頑張ってくれましたからね」
華美なドレス衣装が死に装束だったら、ちょっと面白かったかも。
「みんな、どうしてるんだろうね」
「きっと、元気に生きてますよ。もう、あたしたちのことを忘れて」
「そうだね」
私たちの死を悲しむ人間なんて、いらない。
無価値なまま、生涯を終えるべきだ。
産みの親に対する、小さな復讐になるから。
「これでオーケー」
「ありがとうございます」
顔を上げると、空が朱色に染まっていた。
朝から作業をしていたのに、早い。
「あの、恵巳さん」
「なに?」
かすかに上擦った声だった。
「しばらく、ひとりにしてくれませんか?」
彼女の提案に対して、驚きはない。
「私もちょうど、同じことを思ってた」
「繋がってますね」
「うん」
しばらく、砂浜を歩き、離れる。
捨てられたクーラーボックスをみつけて、腰をおろした。
久しぶりの、ひとりっきり。
心を落ち着かせる時間だ。
「はぁ」
手首のリストカット痕を、みつめる。
あの日から、はじまった。
「ついに、明日、か……」
まるで、舞台裏に立った時みたいに、心臓が騒いでいる。
深呼吸を繰り返して、落ち着かない。
突如、左手に痛みが走った。
慌てて眼球を動かすと、赤薔薇が咲きはじめていた。
花びらが開く様子を見届けてから、皮膚から摘み取り、海へ流す。
徐々に小さくなっていく光景をみつめながら、想像する。自分が、海へと沈んでいく過程。苦しいのかな。冷たいのかな。辛いのかな。
でも、大丈夫。
私には、青薔薇がいるから。
「そろそろ、かな?」
周囲が薄暗くなり、元の場所に戻る。
ナギサちゃんは、3冊の日記を読んでいた。
高校生活で紡ぎあげた、交換日記。
夏の興奮を詰め込んだ、監禁観察日記。
体を絵日記にした、フォトブック。
アンニュイな表情に見惚れていると、ふと、気付く。
「あれ? 頭につけた赤薔薇は?」
「あ、恵巳さん……すみません。鳥に奪われてしまいました」
「そっか」
「……本当に、すみません」
「気にしてないよ」
どうせ、すぐに崩れる物質だ。
ナギサちゃんと比べるべくもない。
「もう、日が沈むね」
「寝ますか?」
「うん」
灯りがなければ、顔も見れない。
砂の上。
私が仰向けに寝ると、ナギサちゃんが覆いかぶさった。
「……あったかい」
「うん」
夜空に、星が浮かび上がる。
意味もなく手を伸ばし、掴もうとし続けると、瞼が落ちてきた。
「もう、限界ですか?」
「うん。疲れちゃった。ナギサちゃんも、眠いんじゃない?」
「そうですね。あたし、がんばりましたよね?」
「うん。すっごく頑張ってたよ」
心の底から、思ってる。
えらいよ。私の誇り。
「もう、休んでも、いい……ですよね……」
「うん。私と一緒に、休もう。ずっと」
「……はい」
愛おしい温もりを、抱きしめるだけ。
もう、他に、いらない。
「おやすみ。私の青薔薇」
「はい。あたしのお花畑」
目をつむると、微睡が脳を落としていく。
夢は、見なかった。
朝日が昇り、私たちは沈む。
もう、ようやく、終わるんだ。




