第40話 黄昏に咲く薔薇
私たちは今、バスに揺られている。
終着点は、不明。
アナウンスでは、耳なじみのない地名ばかりが読み上げられている。
車窓に視線を移せば、夏の山。
青々しい広葉樹たちが、らんらんと葉っぱを伸ばしている。
「……のどかだ」
逃亡生活中とは、信じられない。
ふと、肩に弱い衝撃を感じた。横を向くと、居眠りするナギサちゃんの顔。彼女の手からノートとペンを取り、前髪を撫でた。
手持ち無沙汰で、乗客を観察する。
学生。老人。主婦。サラリーマン。
全員、急ぐ様子がない。
スマホを操作していても、時間に急かされる緊迫感をまとっていない。
日時計のような、穏やかな雰囲気が漂う。
「……こういうところに住んでいれば、変わったのかなぁ」
ふと、脳内に浮かぶ。
自分が、別の道を進んだ世界。
もしも、少しだけ、行動力のある鳥海恵巳だったら。
どんな将来があったのかな?
嫌いだった相手とも仲良くなって、指折りで数えきれないほどの友人が出来ていたりして。
自信があって、恋愛に積極的。同窓会にも毎度顔を出すし、職場でも頼られる。
理想的な、私。
ああ。
でも、いいの。
私、今、すごく幸せ。満たされてる。
兎本ナギサがいればいい。
普遍的な幸せを取りこぼした代わりに出会えた、麗しい青薔薇。
アナウンスが聞こえて、現実に戻る。
残っている乗客は、私たちふたりだけ。次が終点だ。
「ねえ、ナギサちゃん、起きて」
「……ふぁい」
降りた先は、さびれた無人駅。
かすかに潮の香りが漂っている。
「ん~~~。いい天気です」
背伸びをするお嬢様を見つめ、声を掛ける。
「いい夢見れた?」
「まだ、ちょっと眠いです」
「もう少しゆっくりしようか?」
青薔薇病の、末期症状。
衰弱とともに、睡眠時間が延びていく。
「いえ。海を、見に行きたいです」
「好きなの?」
「夏も終わりなので、ちょっと泳ぎたくないですか?」
「んー。たしかに」
ナギサちゃんの体調は、芳しくない。
私の背中に乗せて、早速、浜辺を目指す。
「恵巳さん、体力つきましたね」
「なんでだろう。筋トレしてないんだけど。命を燃やしてるのかな?」
「たくましいです」
「えー。私っぽくない」
「大丈夫ですよ。あたしは好きですから」
純粋な誉め言葉に対して、一瞬、言いかける。
やめて。恥ずかしい。
ナギサちゃんが求める返しは、違う。
もっともっと、純朴。
「ありがとう」
「はい」
私の首につかまる腕の力が、かすかに強まった。
無言になっても、着実に進んでいく。
時々休憩を挟み、コンビニでご飯を摂り、牛のように歩くこと、3時間。
ようやく、海が見えた。
「ふぅ。なんとか今日中にはつきそうだ」
視界に入っても、まだ距離はある。
もうひと踏ん張りだ。
「あの、恵巳さん」
「なに?」
「あたし、重くないですか?」
「全然軽いよ。むしろ、心配しちゃうぐらい」
「……申し訳ないです」
落ち込んだ声。聞くだけで、こちらの足も重くなる。
「どうしたの? いきなり」
「ずっと、おんぶされてばっかりなので……」
なんだ。
細かいことを気にしてたのか。
「気にしないで。ナギサちゃんなら、どこまでも背負えるから」
「でも、負担になってませんか?」
「重さが、心地いいよ」
否定はしない。でも、受け入れる。
「最近の恵巳さんって、ずるいですよね」
「そう?」
「他の人に取られそうです」
「あはは。ないない。ナギサちゃん以外、見えないもん」
お嬢様が暴れたせいで、足元がぐらついた。
「もう。やめてよ。転んだら、ナギサちゃんが危ないんだよ?」
「あたしが死んだ後の世界って、想像できますか?」
「何言ってるの。一緒に死ぬんだから、考える必要がないでしょ」
「……そう、ですよね」
「どうしたの?」
「いえ、何でもないんです」
体に引っ張られて、メンタルも弱っているのかな。
また、夢の世界に落ちるナギサちゃん。
私の足は、ひたすらアスファルトを踏む。
日が沈み、夕焼けが現れた頃。
砂浜に、たどり着いた。
ビーチと言えるほど、大きくはない。
管理も行き届いておらず、ゴミが散らばっている。
だけど、心が落ち着く。
集団墓地のように静かで、誰にも邪魔されなさそうだ。
「ねえ」
ここ、死に場所によくない?
口に出そうとした瞬間、輝く瞳と、目が合った。
考え、繋がってる。
「そうですね」
「やっぱり、いいよね」
「はい」
空と海の、境界線。
みつめて、深い息を吐く。
「ねえ、覚えてる? 学校のプール」
「もちろんです」
「泳ぎを教えてもらって」
「あたしが首を絞めてと、お願いしましたよね」
「驚いたなぁ。でも——」
「興奮しましたか?」
「ナギサちゃんと一緒に、鼻血が出るかと思った」
波の音に合わせて、笑い合う。
「出会った時のことは、覚えてる?」
「もう、好きに、死ねよ」
「言った言った。ムカついてたから」
「え、そんなひどい理由だったんですか?」
あれ? 言ってなかったっけ。
「手首切った後で、余裕がなかったから」
「血まみれの恵巳さん、かっこよかったですよ」
「いきなり部屋に押し入ってきた時は、本気で驚いたよ。それで、咲いたんだよね」
「青薔薇」
「キレイだったなー」
懐かしんでいると、突然、痛みが走った。
左手の薬指。
付け根の膨らみが、肥大化していく。
「え……なんで……」
ナギサちゃんの声が、引き金。
皮膚が避け、赤い中身が、顔を出していく。
肉じゃない。
真っ赤な、薔薇。
青薔薇病と似た、症状。
ずっと、彼女の花びらを食べてきたから。
それとも、元々遺伝子を持っていた?
理由、わかんない。
でも、知らなくて、いっか。
赤と青の薔薇。
並べると、顔が緩んでいく。
ああ、やっぱり。私の死に場所は、ここなんだ。




