第4話 新緑の服に袖を通す
セーラー服を前に、私の足がすくんでいる。
シワひとつない、おろしたて。
姿見と制服を交互に見つめ、ため息を漏らす。
「……私にも、プライドってあったんだ」
深呼吸をしても、目が泳ぐ。
手を伸ばそうとしては、ひっこめ。伸ばしては、ひっこめ……。
何度繰り返しても、指先が真新しい布地に触れない。
時間が、無為に浪費されるだけだ。
「あれ、どうしたんですか? 遅刻しちゃいますよ?」
横を向くと、顔が迫っていた。
長いまつ毛に、不思議そうに細めた目。
恥ずかしさから下を向くと、映る。ナギサちゃんの、上品な体つき。初々しいセーラー服が包んでいる。
まるで、アンティークのガラス瓶と、一輪の芳華みたい。
「あの……あたしの格好、どこかおかしいですか?」
「え、いや……」
目を逸らして、自分の制服を撫でる。
「あ、わかった。あたしに着替えさせて欲しいんじゃないですか?」
違う。ナギサちゃんの制服姿に、見蕩れていただけ。
反論しかけて、口をつぐんだ。
思い出す。しなやかな指先が、肌を滑る、感触。
喉が鳴り、目の奥に力が入った。
「……お願いして、いい?」
「はい。お任せください」
彼女はいつも、行動が早い。
深呼吸する時間もなく、私の前で立ち膝をつき、ボタンを外していく。
反射的に息を止め、目をつむった。
指と布が擦れる音。涼やかな呼吸音。間近に聞こえ、腕がピンと張った。
「ばんざいしてください」
「ば、ばんざーい」
「ふふふ」
唇から漏れた息でおへそを撫でられ、肩が震える。
「お嬢様。髪型はどうしますか?」
「ナギサちゃんの方が『お嬢様』じゃん」
「恵巳さんは甘え上手ですから、お世話のしがいがあります」
「子供じゃないし」
「そうですね。恵巳さんは、いつも偉いです」
「なんでもできる、あなたが悪い」
「そうですねー。全部、あたしのせいにしていいですよー」
15歳のくせに、余裕たっぷりな態度。
もう、争う気も起きない。血統書付きのプードルになった気分だ。
「このままだと、ナギサちゃんなしで生きられなくなりそう……」
「あたしは嬉しいので、気にしないでください」
「いや、流石にまずくない?」
人として。
「一緒に死ぬんですから、心配ありませんよ」
「そう、かも?」
「はい。あたしは絶対に見捨てませんから」
「……わたし、余命2年半の女の子に、着替えさせてもらってるんだよなぁ」
本来は、逆の立場だよね。
寝間着を脱ぎ終わると、今度は制服の着衣。
私の役目は、動かないマネキンだ。
されるがまま、受け入れるのみ。
お嬢様は、細かい部分にこだわる。
スカートの丈は、入念に調整された。
ニーハイは、断固拒否。折衷案で、黒タイツが選ばれた。
「……ちょっ、くすぐったっ」
「我慢してくださいねー」
足。ふくらはぎ。ふとももに、鼠径部。
他人の指が、私の股下を滑っていく。薄い布地越しの、感触。体の芯まで擦り込まれていく。
履き終わった頃には、あんよの先が痺れて、頭はぼやけていた。
最後に三角スカーフを整えてもらって、完成だ。
「とっても似合ってる。恵巳さん、かわいいです!」
口元を隠しながらはしゃぐ、ナギサちゃん。
私の頭には疑問符が浮かんだ。
セーラー服を着た、アラサーへの感想が、かわいい……?
「うそでしょ」
「ふふふ」
私の目からは、痛いおばさんとしか映らない。
学生ではなく、ピエロに近いでしょ。
「今日の入学式、楽しみですね」
「私は2度目だけど」
「前回はどうだったんですか?」
「……もう、覚えてない」
「恵巳さんは、無茶な高校デビューしてそうです」
「……のーこめんと」
なんで言い当てるの、この子は。おつむの使いどころがおかしい。
「ほら、いい天気ですよ!」
青薔薇に手を引かれて、外に出る。
見上げると広がる、澄み切った、青空。
並木道には、桜の雨が降っていた。
春一番に背中を押され、歩みを進める。
若作りをしすぎた滑稽アラサー女性こと、私。
なぜ、高校に通う事態に陥ったのか。
きっかけは、同居生活がはじまってから、1週間後。
退職届を提出した次の日まで、遡る。
会社を辞める。
人生を左右する、大イベント。
予想に反して、あっけなかった。
会社は、人間関係が悲惨だっただけで、給料払いはホワイトそのもの。
失業保険も合わせれば、3年分の生活費は捻出できる。
つまり、転職の必要はない。
自堕落に動画鑑賞をしていると、シャーペンを滑らせる音が、聞こえた。
上体を起こすと、ナギサちゃんが参考書を広げていた。
観察をはじめて、すぐに舌を巻いた。迷う時間が一切ない。筆記の音を聞くだけでも、要領のよさが伝わってきた。
「勉強してるの?」
「受験勉強です」
私の口から「え?」と困惑が漏れた。
「死んで、卒業できないのに?」
「だって、暇ですよ。3年間、学校生活を謳歌したいんです」
「ほら、他にあるじゃん。ゲームとか、読書とか」
「3年は長いですよ」
「……うーん、たしかに。高校、かぁ」
脳が勝手にフラッシュバックする。
孤立。交換日記。告白。失禁。失恋。引きこもり。
灰色の青春が蘇って、頭を振った。
「高校で何かあったんですか?」
「まあ、ぼちぼち……かな」
「隠し事、していませんか?」
お嬢様の顔が、寄ってくる。
声は平坦で、眉は下向き。
なのに、冷や汗が流れた。
「いや、なにも……」
罪悪感から、野良猫みたいに目を反らす。
「本当ですか?」
「……うん、たぶん」
「一緒に死ぬパートナーなんですから、隠し事はなしですよ」
包み込むように、手を重ねられた。
まっすぐに、目を見据えられる。
たったひとつの触れ合いで、私の心は屈した。
「えっと。あんまりいい話じゃないよ?」
「あたし、恵巳さんのことなら、なんでも知りたいんです」
「私…………高校中退です。はい」
「え、ちょうどいいじゃん!」
失望を覚悟していたのに、手を力強く握られた。
「どうですか? あたしと一緒に、高校に行きませんか?」
……え?
何を提案してるの、この子。
「わ、私、もう33、だよ……?」
「大丈夫ですよ。あたしがサポートしますから」
「でもでも……」
「思い出にもなりますよ。絶対に楽しめますから!」
押しが、強い。
タイムセール時のおばさんに匹敵する。
「ナギサちゃんなら、簡単に友達、作れるでしょ? 学校一のマドンナになって、楽しい青春をおくれるよ。私がいなくても……」
「なんで、そんな寂しいこと言うんですか?」
「いや、事実だから……」
若いのは、怖い。私は、なじめない。
「あたしは、恵巳さんじゃないと、ダメなんです」
「私、じゃないと……?」
「限られた時間を、いっぱい共有したいんです」
「でも……」
邪魔じゃない?
恥ずかしくない?
関係者だと思われたくないでしょ。
「恵巳さんと一緒が、いい、です」
袖を掴まれて、上目遣い。極上のあざとさを、視界に流し込まれた。
全部、彼女の計算だ。理解した上で、尊い。
一緒にいる時間はまだ短いけど、理解してしまった。知れば知るほど、ドツボにハマっていく。
かわいい子が、私だけに向ける、最高のおねだり。
鳥海恵巳は、兎本ナギサに、弱すぎる。
「……うん。わかった」
「やったっ!」
当時の私は、想像もしていなかった。
33歳で勉強をし直す、地獄。そして、お嬢様の小悪魔っぷりを。




