第39話 ひまわりで壊す
花畑の真ん中でたたずむ、建物。
壁にはコケが生え、ところどころ風化で崩れている。
大きさは、診療所に近い。10人近く入院できるスペースがあるだけで、設備は簡素だ。
中をのぞき込むと、リスやヒヨドリが休んでいた。
「一体、何年前に建てられたのでしょうか」
「想像もつかない。多分、私が生まれるよりも前だ」
ため息が聞こえて、横を見る。
ナギサちゃんの目は、瞬きを忘れていた。
「ここ、仮宿にできるかなぁ」
慎重に近づき、コンクリートの壁を撫でる。土くれのように崩れ落ちる、表面。中に入るのも、怖い。
二の足を踏んでいると、ナギサちゃんが足を踏み出した。
「ちょっと! 危なくない!?」
静止も聞かず、病弱な体が、さらに進んでいく。
「恵巳さんも早く入ってきてください」
「崩れるかもよ!?」
「早くしないと、あたしひとりで死んじゃいますよ?」
振り向いたお嬢様は、舌を出して笑っていた。
「…………わかったから」
もう、選択肢はない。
床を踏むだけでも、病院全体が揺れる。
天井からは粉塵が落ち、足がすくんだ。
「どうして、残っているのでしょうか。取り壊されてもおかしくないのに」
「誰も困らないからとか?」
「……かわいそうです」
「そうだね。ずっとひとりかぁ」
「えっと……そうじゃなくて、ですね」
壁のヒビを愛でる、白魚のような指。
ナギサちゃんの顔は、病気の我が子を介抱する親のように、切なかった。
「ただ、生かされているだけの現状が、悲しいです。建物って、壊れ方も自分で選べないんですよね……」
「……そうだね」
無言の時間。
数える気にも起きない程、鳥のさえずりを聞き、夕涼みの風を受けていく。
「恵巳さん」
声音に、淀みがない。
「この病院を壊してくれませんか?」
「え、私……?」
「すみません。あたしには、もう体力もないので」
「でも、時間かかるよ?」
もう余命少ないのに、道草を食っていて、いいの?
「大丈夫ですよ。私、恵巳さんの頑張る姿、大好きですから」
「そ、そう?」
「はい。なので、任せていいですか?」
「……でも、どうやって壊そう」
「素手はどうですか?」
試しに、拳をぶつけてみる。
壁はもろいけど、分厚い。流石に不可能だ。
「道具が欲しいなぁ。適当に作るか」
「はい。楽しみです」
ナギサちゃんから向けられる、生暖かい視線。頬が、むずがゆくなった。
「やれるだけはやろう」
まずは、材料を探す。
太い枝とツタ、大きめの石。山の中で集めた。
四苦八苦しながら完成した道具は、簡易的な石槌。
早速、振りかぶる。
しかし、石があっさりと、すっぽ抜けてしまった。
「……えぇ」
諦めず、作り直す。
何度試しても、完璧な固定ができない。
諦めて、縄の先端に石を括り付けることにした。
振り回して助走をつけ、壁にぶつける。
「おお」
一発で穴が、開いた。
気分が乗って、何度も叩きつけていく。
何度も。
何度も。
息が上がって、手にマメが出来ても、繰り返す。
壁に生まれた成果を見るたび、脳が熱くなって、気力が湧き上がった。
「恵巳さん、そろそろ夜ですよ」
「え、そんな時間?」
周囲を見回すと、すでに日が沈みかけていた。
廃病院で寝泊りし、次の日も打ち壊す。
食事は、コンビニで買ってきたパン。
量は多くない。明日には尽きてしまう。
昼過ぎになり、ようやく、1枚だけ、終わった。
あと、10枚以上の壁を壊さなければならない。
不思議と、絶望は湧かなかった。
肺が苦しくて、頭が痛くて、手足が棒のように固まっても、頬だけは穏やか。
理由を考察しながら、作業を続ける。
「……ぇ」
突然だった。
地響きが、足元を揺らす。
地震だ。
気付いた瞬間には、手遅れ。
天井から雨のように降り注ぐ、粉塵。崩壊の音が響き、鳥たちが飛び立っていく。
ナギサちゃんは、廃病院の外だ。
危険の中にいる人物は、私だけ。
不思議と、足の震えはない。
ただ、崩れていくコンクリートを見つめた。
動かなくていい。
逃げたら、逆に死んでしまう。
「あはははははははははは!!!」
思わず、笑いがこみ上げる。
私の周りだけ、瓦礫が落ちていない。
奇跡だろうか?
いや、違う。感謝だ。
おんぼろな建造物が、私の命を守ってくれた。
バカバカしい妄想だけど、確信が脳を離れない。
「恵巳さん、大丈夫ですか!?」
「うん、もちろん」
瓦礫を踏んで外に出ると、ナギサちゃんが飛び込んできた。
「心配しました」
「大丈夫だよ。ひとりでは死なないから。それに、廃病院が助けてくれた」
「え?」
「頑張ったおかげ、なのかな。私、ちょっとは誇っていい?」
作業中は、夢中だっただけ。
冷静になると、不安が押し寄せてきた。
「何を言ってるんですか。受験も、文化祭の舞台も、生前葬の時も、ずっと頑張ってたじゃないですか」
「……頑張りに入る? ただ流されて、あがいていただけだよ?」
「十分、努力してましたよ。あたしが保証します」
お嬢様の、まっすぐな瞳。
無理やり、視線を合わせられる。
まるで、ひまわりが太陽の方向を向き続けるみたいに。
「……うん。ありがとう」
「自信、つきましたか?」
「悪くないかも」
豆だらけの手を、見つめる。
トロフィーのように撫でていると、ふと気づく。
まるで、つぼみのように。
薬指の付け根が、膨らんでいた。




