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第3話 ひとつの鉢植えへ

 普段、私の部屋で、知らない物音は響かない。


 寂しさと解放感だけが同居する、一人暮らし。


 でも、今は違う。

 かすかに漂う、他人の香り。

 シャワーの音が耳に入るたび、脳髄が揺れる。



 周囲を見渡すと、眉間に皺が寄った。

 

 弁当。ティッシュ。ビール缶に、通販の段ボール。

 ゴミにあふれた、1K。


 ドアが開く音が聞こえ、私の体は震えた。



「シャワーを貸して頂き、ありがとうございました」



 黒髪の少女が映り、視界が華やいだ。

 身にまとったパジャマは、着古したセール品だ。(かんばせ)もボディラインも、洗練されているのに……。

 まるで名画に鼻水をぬりたくるような背徳感が、突き抜けていった。



「どうかしましたか?」

「う、ううん。あ、えっと……」



 言葉が、浮かばない。舌が固まった。

 焦れば焦るほど、手首の傷跡が、ジクジクと痛む。



「あたし、兎本(うもと)ナギサと言います。ナギサちゃんって呼んでもらえると嬉しいです」

「あ、えっと……。その……」

「よろしくお願いします」



 手を握られて、顔が強張った。

 艶やかな手は、まるで冷蔵庫から出したばかりの刺身みたいに、冷たい。



「私、鳥海……恵巳……」

「……とりうみ、めぐみ、ですか。いい名前ですね」

「そ、そう?」

「恵巳さんって、呼んでいいですか?」

「……うん」



 彼女の、左手。薬指に生えた、青い薔薇。

 否応なく、視線が吸い寄せられた。

 


「その花……」

「気にしないでください。かさぶたみたいなものです」

「病気、なの?」

「……ちょっと、お片付けしていいですか?」

「え?」

「このままだと、体によくなさそうなので」

「あ……うん」



 柔和な微笑みを向けられ、私の首が、勝手に頷いた。


 ナギサちゃんは私に背を見せて、ゴミを袋に詰めていく。

 単純な作業だけど、私にはできない。すぐに飽きて、他に目移りしてしまう



「青薔薇病の名前は、聞いたことありますか?」



 彼女の声は、平坦だった。

 胸の中がざわめき、息が浅くなっていく。

 


「ごめん」

「……10億人にひとりの病気らしいです」

「珍しいんだ」

「これを見てください」



 ナギサちゃんは、左の袖を、まくった。

 見せつけられる、緑の痣が浮かんだ、左腕。肩から手首まで、絡むように伸びている。



「3年後。あたしは衰弱死します。お医者さんに、告げられました」

「ナギサちゃん、今何歳?」

「中学3年生です。15歳」



 私の、半分……。



「高校卒業、できないんだ」

「そうですね」



 ニュースキャスターみたいに、淡々と肯定された。



「だから……一緒に死んで、なの?」

「はい」



 ナギサちゃんから告げられた、言葉。『3年後、あたしと一緒に、あの世へ行ってくれませんか?』。何度反芻しても、脳の処理が終わらない。



「ご両親は?」

「あたしの死を見世物にしようとした、最低な人たちです」

「有名人なの?」



 彼女はゴミ袋を縛り、ぞんざいに放り投げた。



「ただの女優と保険会社の役員。クソアホです」

「……くそあほ」



 端正で、非の打ちどころのない唇から出てきた、4文字。

 私の中で、すとんと落ちた。今まで芸術品のように思えていた後姿が、部屋に馴染んでいく。



「ねえ、ナギサちゃん。最後に、いい?」

「なんでも答えますよ」

「どうして、私なの……? もっと他に、いるでしょ」



 一瞬、お嬢様の動きが、止まった。

 しかし、すぐに胸を膨らませ、深い息を吐いた。



「恵巳さん、言ってくれたじゃないですか。好きに死ねよって」

「…………ごめん」

「謝らないでください。あたし、すごく嬉しかったんです」



 彼女の顔は、晴れやかだった。

 同時に、ひび割れた水晶玉のような儚さも、にじみ出ている。



「恵巳さんと一緒なら、最高の結末を迎えられる。そう、直感しました」



 浴びせられる、純粋な視線。耐えられず、顔をそむけた。



「私、なんか……」

「何を言っているんですか。あなたじゃないと、ダメなんです」

「私……じゃないと……」

「はい」



 脳裏に、いくつもの顔が浮かんでいく。

 お父さん。お母さん。弟。会社の同僚。名前を忘れた、クラスメイトたち。


 みんな、私がいなくても……。


 私の肺が膨らみ、熱い空気が流れ込んできた。



「うん。いいよ」



 精いっぱい、声を絞り出したつもりだった。

 実際は、羽虫のように、か細い。



「3年後、一緒に、死のう」



 お前の選択は間違っている。いい子ちゃんの私が、叫んだ。でも、別にいいよね。


 私の魂が、欲してる。

 幻想的な華と歩む、退廃的で、後ろ向きな、旅路を。



「ありがとう、ございます」



 感謝の言葉とともに、ゴミ臭くなった細い指先が、動く。薬指に生えた青薔薇を摘み取り、私の前に捧げられた。



「受け取って、くれ、ますか……?」

「……いいの?」

「好きにして、ください」

「……うん」



 鼻を近づけても、香りは感じない。

 衝動に任せて花弁を一枚口に含むと、経年劣化したプラスチックみたいに、ボロボロと崩れた。

 作り物以下の、なにか。



「……ぁ」



 ナギサちゃんの声で、気付いた。

 手首の傷が開き、床が血で濡れている。

 

 救急キットは持っていない。



「失礼しますね」



 一瞬かつ、迷いもなかった。

 気づいた時には、手遅れ。ナギサちゃんの顔が、手首に近づいていた。


 次の瞬間。


 こそばゆさに、肩が震える。


 短い舌が、私の傷を、(ねぶ)っていく。

 とっさに口を塞ぎ、声を抑える。


 経験のない感覚だった。

 普段は皮膚に覆われた、肉の部位。他人の粘膜が、触れていく。

 痛さも、気持ち悪さもない。

 ただただ背筋が震えて、視界がチラついた。


 血が止まり、ナギサちゃんが、顔を上げた。薄く開いた唇からは、湿った息が漏れている。


 

「な、なにを……」



 返事は、なかった。

 皆既日食のような、妖しい瞳を向けられるだけ。


 私の脳細胞はきっと、忘れない。



 鳥海恵巳は、3年後、兎本ナギサと、死ぬ。



 正解なんて、今の自分にはわからない。

 でも、ひとつだけ、ハッキリしてる。


 彼女の気持ちは、ドライヤーのコードみたいにねじ曲がっていて、安心してしまう。




 後戻りのできないアオハルが、幕を開けた。


ここまで読んで頂き、誠にありがとうございます!


舞台設定が終わり、次話から同居生活がスタート!

様々な歪なアオハルを用意しております。


もし、危なくも儚い物語に浸っていただけましたら、☆評価やブクマ、レビューなどをして頂けると嬉しいです!!!


ネトコン14参加中!!!


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