第24話 枯れ葉を絞る
家に帰ると、ナギサちゃんが、制服のまま寝ていた。
私のベッドに寝転がり、胸を穏やかに上下させている。
今日は始業式だったし、疲れたのかな。
でも、ごめんね。
今、気遣う余裕がないんだ。
「……ナギサちゃん」
手の甲を撫でると、カラスの死骸みたいに、冷えていた。
胃が、変だ。まるで蛆蝿が湧いたみたいに、気持ち悪さがせりあがる。
でも、もっと触りたい。浮き出た血管すらも愛おしいから。
彼女の手首を握り、慎重に持ち上げる。
力の入っていない腕は、重い。鼻息を荒げながら、胸の上まで運んだ。
細い指一本一本を傀儡みたいに動かし、私の首に這わせ、想像する。
ナギサちゃんに、命を奪われる光景。
この世界で唯一、私を許してくれる人に、壊されたい。
ああ。
もう、このまま……。
「恵巳さん……辛い事があったんですか……?」
朧げな声が聞こえて、現実に引き戻された。
「ごめん。起こしちゃった?」
お嬢様の瞳を見つめると、霞がかっていた。
「大丈夫ですよ。恵巳さんとの時間が、一番大切ですから」
「私はナギサちゃんの寝顔を見るの、好きだよ」
「ありがとうございます。でも、ひとりだけ堪能するのはズルいですよ。あたしにも、あなたの寝顔を見せてください」
「あはは。欲張りだなぁ」
ナギサちゃんは体を起こし、飛行機雲のように長い息を吐く。
「それで、何があったんですか?」
「わかる?」
「あたしを誰だと思っているんですか?」
「私のこと、親よりも知ってる人」
胸を張りながら「その通りです」と返すお嬢様を見て、息を呑んだ。
動きが、似てる。
本当に血が繋がってるんだ。明本志緒里と……。
「えっと、明本先生とお茶してくるって伝えたのは覚えてる?」
「はい」
「彼女って、ナギサちゃんのおばさんで、合ってる……?」
「はい。実の娘みたいにかわいがってくれてました」
世間って、狭い。
運命にときめかないどころか、逆にゲンナリする。
「何を話したんですか?」
「ちょっと昔話とか、あと、ナギサちゃんの両親についても聞いた。学校の先生は、底辺なんだって。すごいね」
「あの人たちは、常に周囲を見下して生きているので」
「そっか」
生きやすそうで、うらやましい。
「実はあたし、学校の先生になりたかったんです」
「そうなの? どおりで教え上手だ」
「ふふふ。恵巳さんは、教え甲斐がありますよね」
「……覚えが悪くてすみません」
「いえいえ。嬉しかったですよ。本当の教師になれたみたいでした。諦めた夢が、ちょっと叶えられた気がします」
でも、彼女の余命は、残り半年。
夢なんて、虚しい。
「それで、おばさんとは、どんな関係なんですか?」
すごく言いにくいけど、今更だ。
覚悟を決め、大きく息を吸い込む。
「……初恋の人、なんだ」
「あー。納得しました」
あれ?
拍子抜けな反応だ。
「え、それだけ?」
「態度から、なんとなくわかってましたから」
「え、すご」
「あたしが怒ると思ってましたか?」
「……うん」
でも、私の胸はモヤモヤしてる。
「ごめんね。すぐに伝えなくて」
「気にしてませんよ。恵巳さん、余裕なさそうでしたから」
「そう見えてた?」
「ずっと上の空で、ちょっとかわいかったです」
「あはは……」
恥ずかしいし、話を戻そう。
「それでね。明本先生と話してて、辛くなっちゃったんだ。失恋相手ってだけじゃなくて、過去の失敗を思い出して……」
「聞いても、いいですか?」
断る理由はない。
唇を開くと、唾がネバついていた。
「恋をして、告白したんだ」
「恵巳さんから、ですか?」
「うん。初恋で、浮足立っていたから。本当、バカだよね。成功するわけないのに」
当時の私は、若かった。ううん。生まれた時から、壊れてたのかな。ずっと生きづらかったし。
「告白の返事はもちろん、拒絶。手を握ってくれたんだけど、やっぱり無理って……。失禁したら、それがクラス中に広まってて、疲れちゃった」
自分の手のひらを、見遣った。
まるで重度の火傷みたいに、握手の感触が、まだ残っている。
「大丈夫ですよ」
私の手に重ねられる、余命半年しかない手。
全然、熱くない。ひんやりして、心が落ち着く。
顔を上げると、桃のように柔らかい微笑みを向けられていた。
「でも、もう一回出会う機会があったんだ」
短い相槌が聞こえた。
「私の部屋に押し入ってきたんだ。あんたのせいで、好きな人に振られたって、怒鳴りながら」
「……想像、できません」
「そうだよね」
普段の明本志緒里は穏やかだ。怒る兆候すらなくて、人当たりがいい。
でも、恋愛では豹変する。
人を平気で出し抜くし、傷つける。
「当時の私も意味がわからなくて、とにかく謝ってた。でも、どうしても許してくれなくて、気が動転して、窓から飛び降りようとしたの。そしたら、言われた。さっさと飛び降りればって」
結果は、今の私。さらに壊れただけ。
ふと、ナギサちゃんの手が震えていた。
今度は、私から握りしめる。
「やっぱり、あたしの体に流れる血は、最低ですね」
「いいじゃん。最低で。今、楽しいんだから」
「単純すぎませんか?」
「シンプルが一番だよ。複雑に考えても、どうせ無意味だから」
「ふふふ。恵巳さんは、すごいですね」
最低のままで生きるって、気持ちがいい。
社会に対する、一番の嫌がらせだ。
「ねえ、ナギサちゃん。私の首、思いっきり締めてくれない?」
「……今のあたし、力ないですよ?」
「ちょっとでいいから」
ベッドに倒れ込むと、ナギサちゃんが馬乗りになった。
慣れた手つきで、喉首に指がからまる。
「いきますね」
痛みも、苦しみもない。
全く、気道を締めていなかった。
でも、十分だ。
思い込めばいい。
今、私の首はヘビのような力で、締め付けられていると。
念じ続けると、私の体が、勝手に呼吸を止めていった。
「どう、ですか?」
「……ありがとう。スッキリした」
「それはよかったです」
彼女が見せた笑顔は、しおれた花びらみたいに儚げだった。
去年みたいな元気さは、もうない。
一日一日を大事にして、記念日を全力で祝福しないと。
「ねえ、ナギサちゃん、今年の誕生日プレゼント、なにがいい?」
17歳。
人生最後の、誕生日。
「うーん。思いつきません」
「今年はパーティーあるのかな」
「恵巳さんが祝ってくれるなら、それで十分ですよ」
「……うん」
困っていると、玄関から、音が響いた。
サビついた、チャイムが。




