第21話 薔薇蜜と吸月鬼
『薔薇蜜と吸月鬼』のお披露目まで、あと5分。
軽く腕を振り、状態をチェックする。
痛め止めのおかげか、スムーズに動く。
「いやー。この程度で済んでよかった」
軽症の理由は、ツンツンくんの判断だ。
落下する瞬間に腕を差し込んで、衝撃を和らげてくれた。
ケガをした原因もあいつだから、感謝できないけど。
今は、観客席の最前列に座っているはずだ。
「……そろそろだ」
手首の傷をさすり、深呼吸を繰り返す。
全然落ち着かなくて歩き出すと、マントがなびいた。
今の私は、キュラランだ。
レオタードにマントを羽織った、ステレオタイプな吸血鬼。
「全然かっこよくないよなぁ」
ふと、足音が聞こえた。
普段と少し違うけど、聞き間違えるはずがない。
ナギサちゃんだ。
「準備、どうですか?」
「うん。ばっちり」
「男装の恵巳さん、素敵です」
「さっきも言ってたじゃん。ナギサちゃんも、とってもかわいい。今すぐ誘拐したいよ」
「ふふふ。10分前にも聞きましたよ」
お嬢様を彩る衣装は、ロココ調のドレス。
手芸部5人がかりで縫いあげた、情熱の逸品だ。
物語の時代背景とズレてるけど、若い熱意には勝てない。
「本当に、台本は大丈夫なんですか?」
「私が書いたんだよ。忘れても、即興で作れるから」
「それは頼もしいです。一応、」
「え、すご」
「念のため、全員分覚えましたから」
胸を張り、ドヤ顔をさらす、ナギサちゃん。
見るからにテンションが高い。私と共演できるから、なのかな。合っていて欲しい。
「あと、演技は無茶しないでくださいね。本来は、絶対安静なんですから」
「ツンツンくんの演技、真似るだけだから」
お手本があるだけで、難易度は下がる。大丈夫なはずだ。
「そうではなくてですね……」
「言ったでしょ。ナギサちゃんとの心中以外では、死なないから」
「……それを言えばいいって、思ってませんか?」
「…………そんなこと、ないけど」
鋭い。
「あ、ふたりとも、いた!」
仕切り役のクラスメイトに、声をかけられた。
もうすぐ、開幕だ。
「今日って、ナギサちゃんと出会った日……で合ってるよね?」
ドレスの裾が、かすかに揺れた。
「覚えていてくれたんですか?」
「ごめんね。昨日、なんとか思い出しただけ」
「それでも嬉しいです!」
幕の外からは、観客の声が聞こえる。
体育館は満員御礼だ。
もう、緊張はない。
ナギサちゃんの存在が大きい。
覚悟だけが、私の心を動かしている。
「最高の思い出にしようね」
「はい!」
まずは、オープニングシーン。
ナギサちゃんが舞台の中央で、座る。
幕が開き、スポットライトが灯った。
ナレーションとともに、物語が紡がれていく。
舞台は、中世のパリ。
主人公のエピネは、水の精霊に嫌われていた。
喉を潤すだけで気を失い、命が削られる奇病。唯一体が受け付ける液体は、薔薇の蜜だけだった。
伯爵である親の威光でも、治療はかなわず、死を待つだけの日々。
疫病神。悪魔。魔女。厄災の前兆。兄弟や民衆からの罵倒は、心を蝕み続けていた。
余命は、1年。
ろうそくの火は、燃え尽きる瞬間にこそ、最も輝く。
15歳になった、夜。
エピネは、ついに外へと飛び出した。
両親も黙っていない。
追っ手から逃げ続けていると、ひとりの男にぶつかった。
私。
吸血鬼の、キュララン。
「ちっ、むさい男ばっかじゃねえか。血がまずいんだよ」
追手から血を吸い、震える女の子に、標的を移す。
「さてさて、女は最後の楽しみだよな」
首元に、つららのような牙が迫り、次の瞬間。
「触らないでっ!!!」
頬を抑えて、目を見開くキュララン。
エピネは、赤くなった自分の手を、見つめていた。
理由は、本人も、わからない。
次の夜。
結局、エピネは屋敷のベッドで寝ていた。
吸血鬼の顔を思い出していると、窓を叩く音が、鼓膜を揺らす。
侵入者は、キュラランだ。
「なあ、お前、病気なのか?」
「……え?」
「話をさせてくれ」
「一体なんなの!?」
「何もしないから。お前、名前は?」
寂しがり屋の少年みたいに、お嬢様をみつめる。
「えっと、エピネ」
「エピネ……。そうか。エピネというのか」
「変な名前でしょ?」
「なあ、エピネ」
「な、なに?」
「俺の月になってくれないか?」
はじめてできた、気兼ねない、話し相手。
仲を深める、幸福な日々。しかし、長くは続かない。
父親に見つかり、吸血鬼の討伐命令が下された。
手を取り合い、逃げるふたり。
ヴァンパイアハンターに、騎士。民や魔術師。
様々な追手が、押し寄せ、問われる。
果たして、ふたりは一緒にいていいのだろうか。
キュラランは、世界で最も愛おしい首を、傷つけたくない。
エピネは、自分の体が嫌いだ。
キュラランに、すべてを壊してほしい。吸血鬼になれば、水の呪いから解放される。
「……ああ。なんてことなの」
クライマックス。
観客が、溶けていく。視線だけが、残った。
ふたりの前に、父が親みずから、立ちふさがった。
彼は敵国の軍隊長すら葬った、歴戦のつわもの。
キュラランの喉に、刃が迫る。
震えているだけの手が、動いた。
気付いた時には、横たわる、屈強な体。
エピネは、自分の父親を、殺めてしまったのだ。
月のない夜。
彼女は、睡魔からも嫌われた。
衰弱していく中でも、ふたりは逃げ続ける。
甘い雰囲気はない。
お互いに、謝り続けるしかなかった。
そして、ついに訪れる、別れの時。
キュラランは、ついに決意する。
弱い息が通る首筋に、噛みついた。
これで、エピネも吸血鬼に変容した。手を握り、太陽の視線に、さらされる。心中だ。
エピネ――じゃなかった。ナギサちゃんの体から、意識が抜けていく。
彼女は、首が弱い。血の味が広がる。強くしすぎた。
台本通りなら、炎に焼かれて、もがき苦しむ。徐々に反応が弱っていき、静止の余韻とともに、幕を閉じる。
このままでは、不完全。
ダメ。
最後の最後で、失敗なんて、許さない。
手のひら全体を使って、彼女の右耳を塞いだ。
唇を、心臓側の耳に近づけ、舌を伸ばす。
反射的に弾む、しとやかな体。
ヒルに近しい味覚器が、耳の穴を、さらにむさぼる。
透明な粘膜が、口内からあふれ、胸元に垂れた。
数多の視線が、突き刺さった。
でも、抱き寄せる姿としか映らないはず。
舌を大胆に押し込むと、味細胞を伝って、声が聞こえた。
――もっと。もっと。もっ、と。
ケガだらけの体が、悲鳴を上げる。
だけど、知らない。
奥へ。
奥へ。
さらに、奥へ。
脳に、近づきたい。
ぐちゃぐちゃに混ぜて、私の全部を、練り込みたい。
ナギサちゃん。
お願い。
私ね。
血よりも、ずっと、もっと、すごいのが、ほしいの……。
「あ……ぁあ……ぁ」
ハッと気づいて、顔を離す。
彼女の体に、異変が、起きていた。
何本。いや、何十本だろうか。
ドレスを突き破り、若木のような体躯から咲き誇る、青薔薇たち。
お嬢様の骨身が、腕の中で冷えていく。
顔色までもが青薔薇で染まり、腕が力なく落ちた。
「なぎ……さ……ちゃん……?」
救急車のサイレンが、響く。
私の体は呼吸すら忘れ、か細く名前を呼ぶことしか、できなかった。




