第20話 牡丹のきもち
ツンツンくんが顔を出した時は、すでに昼過ぎだった。
ラストスパートで慌ただしかった空気が、剣呑に変わる。
目元に浮かぶクマと、荒れた髪。
ところどころ破れた制服。
点滅する街灯のような、危ない雰囲気をまとっていた。
「悪い。親父と喧嘩しただけだ。退学させるとかほざきやがって……」
早速、衣装合わせがはじまった。
ナギサちゃんのお嬢様姿は、まだ見ない。本番の楽しみに取っておきたい。
ツンツンくんは、思い描いたキュラランそのものになった。
憂いを備えた表情に、顕示欲あふれる所作。
口が悪くて、不憫な吸血鬼。
だけど、心配性の女子が声を掛けても、無視を決め込んでいる。
クラス中の視線が、私の唇に集まった。
言外に、押し付けられている。
――お前の言う事なら、聞くだろ。
「……はぁ」
別に、仲良い訳じゃないんだけど。
まあ、仕方がない。劇を成功させるためだ。踏ん張りどころだし、袖をまくろう。
台本を読み込むナギサちゃんを、無意識に見つめる。
彼女の努力を、ずっと応援してきた。隙間時間は、ずっとお稽古。
外食が増えたけど、気にもならない。
ただただ、報われてくれ。お嬢様にとって、わずかでも優しい世界であってほしい。
「ねえ、ツンツンくん、ちょっといい?」
「なんだよ、お母さ――」
不良君は目を見開き、表情を固めた。
「え、なに?」
「な、なな、なんでもねえよっ!!!!」
ベタなミスだよね。私にも経験があるなぁ。
「ねえ、ケガしてない? 劇には支障ないよね?」
「こんぐらい、ツバでもつけとけば治る」
「打撲はムリでしょ」
「うっせえよ。どうにでもなるだろ」
おおー、根性論だ。実に若い。
「保健室に行ったら?」
「必要ねえよ。あそこは嫌いだ」
仕方ない。ちょっと強引にするか。
「ほら、そんなこと言わずに」
「やめろっ! 引っ張ったら痛いだろ!」
「なに? やっぱり、やせ我慢してるだけじゃん」
「…………」
従順になったツンツンくんを連れて、保健室に向かった。
だけど、養護教諭の姿は見えない。
「うーん、困った。どうしよっか。勝手に使っていいのかな?」
「なんで、俺に話しかけてくんだよ」
「理由なんて、どうでもいいじゃん」
「なんだ、恥ずかしいのか?」
勝ち誇った顔を見せつけられ、眉間に皺が寄る。
「だって、ツンツンくん、人に干渉されるのが嫌いでしょ?」
「わかってんなら――」
「わざとやってるんだよね」
「……は?」
「私、まだ許してないから」
あー……。
告白するタイミング、早いかな。今じゃないかも。
でも、言っちゃったし、仕方ないか。
少しぐらい暗くなった方が、キュラランっぽいよね。
「入学式の日。君、言っていたでしょ。ナギサちゃんに、きしょって」
「そ、それがなんだよ……」
「決めたんだ。絶対に許さない。こいつをナギサちゃんに近づけさせないって」
「……は?」
「意外と楽しいよね。人の嫌がることって。君が嫌いなタイプだったから、尚更」
ちょっと言い過ぎたかな。でも、すっきりした。
「な、なんなんだよ、お前……。俺は……」
「なに? 母親代わりとでも思ってた?」
「…………」
大人にもなれない私に求められても、困る。
「ふざけんなよ。これが、大人のやることか……?」
「正しさとか、興味ないよ。私、もう死ぬ気だから」
「死ぬ……?」
「うん。ナギサちゃんと一緒に」
だから、嫌いな相手にも話しかけられる。
「……そう、かよ」
ツンツンくんの膝が、しとしとと濡れていく。
やりすぎた?
劇に支障が出ないように、フォローを入れないと。
「でも、演者としては期待してるよ。すっごくいい演技」
「……」
「いっそのことプロを目指したら? 才能あるよ」
「…………なあ、どうやったら、俺は、誰かに愛されるんだ?」
「知らない」
自然と、冷たい物言いになった。
「……出てってくれ」
「あっそ」
クラスに戻ると、作業が進んでいた。
舞台の準備も、終盤。
ナギサちゃんが組み立てたスケジュールのおかげで、余裕がある。
妥協した部分を、補強していく。
最終チェックも念入りに。
リハーサルと本番の段取りを読み返し、私の頭に叩き込んでいく。
言葉がなくとも、クラス全体が繋がった空気感の中。
突然、救急車のような足音が聞こえた。
「おいっ! 津田が屋上で……! 誰か止めてくれ!!!」
クラスメイトの、張り詰めた声。
誰よりも早く、私の足が動いた。
膝を痛めながら、階段を駆ける。
壊れたドアノブを押すと、強風に煽られ、制服が膨らんだ。
目に入ったのは、ツンツンくんじゃない。
底も果ても見通せない、青空。
太陽から睨まれながら、吸血鬼がもがいている。
見える。
彼を焼き尽くす、炎の煌めき。
「なんと醜悪な世界か。肥溜めの方が澄んでいる」
台本が、落ちていた。
書き込みだらけで、端が曲がっている。
「ああ。そなたの吐息だけが、血を揺らす」
私が書いたセリフ。
ラストシーンの慟哭だ。
「このような世界、我には不要。そなただけが、我を愛してくれる」
彼は、抱きしめていた。
舞台の主人公。薄命のお嬢様を。
鋭い牙が首を噛むと、可憐な体に火が灯った。
吸血鬼の涙を、風が運ぶ。頬に冷たさを感じて、現実に帰った。
違う。
違う違う違う!!!
「さあ、行こう。我らの居場所は、ここではない。永遠の世界が呼んでいる」
フェンスを超え、マントをなびかせ、解放的な一歩を踏み出す、キュララン。
いつのまにか、私の手が伸びていた。
マントを掴んでも、引っ張られる。
足が、コンクリートの床と、分かたれた。
「お前……なに……を」
体を抱きしめる。
吸血鬼じゃない。ただの、ツンツンくん。燃えてないし、伯爵令嬢もいない。
滝のように打ち付ける、風。
体を動かせても、自由はない。
抗えない。
地面が、迫る。
空が、遠のく。
網膜が、脳細胞が、群青色に焼かれる。
ああ。
この世界は、なんて……。
枝が折れる音とともに、衝撃が全身を駆け抜けた。
「が……ぁ……」
数秒ぶりの、地面。
あれ、私の頭から血が出てる、かな?
でも、どうでもいいや。
「……な、なにやってんだよ、お前っ!!!」
あ、ツンツンくんだ。
右腕があらぬ方向に曲がってるじゃん。
「あはっ」
空だ。
空が、私を見てる。
「あははははははははははははははははハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」
声を出すだけでも、めっちゃ痛い!
全身がぐっちゃぐちゃ!
でもね!!!
「ねえ、見た!? すっごく、キレイだった!! 落下ってすごい!!!」
「お、おい、頭を打ったのか……?」
「死ぬって、こんなに楽しいんだよ!? 泣きながら逝ったら、絶対に損じゃん!!!!」
笑いが止まんない!
やばい!
死んじゃう!!!
「……は?」
「見てなかったの!? 世界が星空みたいだったじゃん!」
「頭、壊れてるんじゃねえのか!?」
ううん。
壊れてるのは、世界だよ。
人生って、死の前座でしょ。
私は生きてるだけ!
ふと、気付く。耳鳴りがひどいけど、わかった。
あの子の足音だ。
「恵巳さん……」
「あ、ナギサちゃん! 聞いて聞いてっ! 落下死ってすっごいの! 解放感みたいなの! もうゾクゾクって感じで……!」
「なに……やってるんですかっ!」
あれ?
かわいいお手手が、震えてる。
なんで、泣いてるの……?
「先に行かないでくださいよっ! 何考えてるんですか!? このおバカっ!」
「いや、大丈夫、だよ?」
「ふざけないでくださいっ! あたし……あたし……」
怒ったナギサちゃん、はじめて見た。
かわいいから、ずるい。
「だって、約束したでしょ?」
「……やく、そく?」
「ナギサちゃんと一緒に死ぬのは、決定事項。だから、ひとりだと死なないって信じてた!」
当たり前だよね!
私は、ナギサちゃんと死ぬために生まれたんだから!!
「まったく、恵巳さんは……」
「納得してくれた?」
震える手が、私の額を叩いた。
「2度と、しないでください」
「えー。楽しかったのに」
「絶対ですよ」
「……わかった。……たぶん」
涙をたたえた目元が、毛糸のように柔らかく、緩んだ。
「……もう。困った人ですね」
「怒らせちゃった?」
「なんか、どうでもよくなっちゃいました」
「そっか」
ナギサちゃんは、本当に……。
「あはは」
「ふふふ」
「あははははははははははははは!」
ふたりの笑い声に混じって、聞こえた。
力の抜けた、少年のぼやき。
「…………はぁ。やってらんねぇ。はは、はは……」
ツンツンくんは、吸血鬼役から、降りた。
代役は、私。
ブザーとともに、穴だらけの暗幕が、開かれる。




