表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

第2話 青薔薇が芽吹く

 血の池で迎えた、出勤時間。

 周囲から向けられた笑顔は、たとえ3回転生しても、忘れない。愛玩動物の皮を貼った切り絵みたいで、気色がわるかった。


 私の手には、鉄分入りの乳酸飲料。作り笑いを浮かべたお局に、手渡された。

 恵巳さんの作ったデータは間違いだらけだったけど、お疲れ様って。


 向けられた瞳を思い出し、首をさする。



「……死ぬのも迷惑、か」



 

 脚を上げるのも億劫(おっくう)で、駅前のベンチに倒れ込む。スーツスカートがめくれたけど、興味もない。


 ボーッと、人の流れをみつめる。

 意味はない。脳に刺激が欲しいだけだ。


 わずか5分間でも、十人十色の人間が通り過ぎていった。


 電話しながら、競歩のように急ぐサラリーマン。

 笑顔で、中身のない会話を繰り返す女子高生。

 追いかけっこに励む、男の子。

 なんのこともない、日常の営みたち。


 私だけが、異物だ。

 血で濡れたスーツを目撃すると、誰もがギョッとし、歩調を早めていく。


 当然だ。

 私でも、絶対に無視をする。


 気づけば、7時間ほど、眺めていた。

 日が傾きだし、長い影が並んでいる。


 ふと、騒々しい声が聞こえて、目玉を回す。瞳に映った光景は、親子の姿。

 明らかに、買い物帰りだ。母親がマイバッグを提げ、娘は必死に手伝おうとしている。

 微笑ましい、一幕。

 観察するだけでも、感傷に浸ってしまう。

 私にも、純粋な時期があったのだろうか、と。



「……お母さん」


 

 声が聞きたい。少しでも話せば、気が楽になるかも。

 30分以上かけて、スマホを手に持った。唇を震わせながら、呼び出し音を鳴らす。


 繋がるまで、時間はかからなかった。



『こんな時間にどうしたの? 仕事は?』



 突き放すような、第一声。いつも通りだ。



「ちょっと、つらいことがあって」

『……はぁ。知ってるでしょ? こっちは大変なのよ』

「そうだね」



 1か月前に知らされたけど、現実味がない。


 お父さんが、神経の病気にかかって、歩けなくなった。

 寝たきりの介護状態で、定年を前に退職。

 高校生で(しも)の世話をしているのだから、弟も大変だ。



「調子はどう?」

『今は落ち着いてるわ。まったく、最近は言葉もたどたどしくなって、聞き取るのも一苦労』

「大変、だね」

『先は長くないんだから、あんたもさっさと会いに来なさい』



 お父さんの顔が、瞼の裏に浮かんだ。

 痩せこけた顔と、ハシビロコウのように鋭い目つき。

 体つきは貧相だけど、ビンタは鋭かった。頬をさすると、私の口が言葉を絞り出す。



「会いたがってるの?」

『親なんだから、当然でしょ』

「……そうだといいな」



 父と娘。いい思い出なんて、ひとつもない。



『がんばりなさいよ、恵巳。倒れたら面倒みれないんだから。健康に生きてもらわないと』

「うん。わかってる」



 健康に、生きる。難しい。



「ねえ、お母さん」

『何?』

「…………」



 言いたい。

 助けて。もう、死にたい、って。


 でも、本当に、いいの?


 無視されたら?

 罵詈雑言が返ってくるかも。


 唇が乾き、ひび割れ、血がにじんだ。



「……なんでもない」

『言いたいことがあるなら、言いなさい。気持ち悪い』



 気持ち悪い、か。

 心配じゃなくて、悪態。

 そっか。

 

 

「お父さんの誕生日、いつだっけ?」

『8月27日。先週ね』



 今年は過ぎてたんだ。



「来年、祝いたいな」

『そんなこと言わないで、早く帰って来なさい。後悔しないようにね』

「……うん」



 通話が切れて、響く、ツーツー音。まばたきも忘れ、通話履歴を消した。



「お腹、空いたな」



 体を起こし、なめくじのように、歩き出す。

 人混みに流されているのに、置いていかれる。周囲の歩調が、速すぎる。追いつけず、一度立ち止まった。人影が消えてから、再び帰路を進む。

 普段の10倍も遠く感じながらも、ようやくマンションにたどり着いた。


 私の部屋は1階にある。

 電球の切れかけた廊下を進み、顔をしかめた。



「……なんなの、本当に」



 玄関の前に、人が座っていたのだ。


 膝に顔をうずめた、女の子。

 制服の校章を見るに、知らない少女だ。


 月季女学院。全国的に有名な、お嬢様学校だ。

 格式高いし、学費は高額。修学旅行は、海外の高級ホテルに泊まると聞く。

 生徒は、社長や官僚の娘ばかりで、蝶よ花よと育てられる。


 生きる世界が違う、貴人。


 思わず、勢いよく床を踏みつけた。

 なんで、私の邪魔をするの? むかつく。



「ねえ、どいて」



 私の声に、自分で驚いた。

 砂を食べたみたいに、ザラザラしている。



「誰、あんた」



 女生徒が、顔を上げる。


 彼女の瞳は、電気の通わないテレビみたいに、虚ろだった。にらみ顔も迫力がない。

 だけど、私の全神経が、立ちすくんだ。造花よりも整った、顔立ち。学生離れした大人っぽさに、髪一本一本に宿った、美の意識。

 脚線美なんて、芸術の域だ。彼女の脚を支えるために地面が誕生したのだと、直感するほどに。



「私は、この部屋の主。君のせいで入れないんだけど」

「なんで、血……?」



 美少女の目は、私のスーツを見つめていた。



「ここ、切ったから」



 手首を指さすと、若々しい唇から、ひゅっと短い息が漏れた。



「どんな気分だった?」

「なんで、そんなこと聞くの?」

「……知りたい、から」

「答えたら、どいてくれる?」

「……はい」



 唾を呑み、喉をわずかに潤し、舌を回す。



「最悪だった。でも、ちょっと楽しかったかな」

「ナニソレ。意味わかんない」

「血がついてる私を見て、避けていく人たちの姿が、バカみたいで面白かった」

「……おばさん、変わってる」



 おばさん、かよ。

 初対面の相手に、失礼でしょ。



「もう十分? さっさとどいて」



 無理やりにでも動かそうと覚悟を決めた、瞬間。鼻水をすする音が、響いた。

 


「ねえ、なんで人って、死んじゃうのかな。なんで、死ぬって、こんなに悲しいのかな?」



 床が、ポツポツと濡れていく。


 呆然としたあと、私の犬歯が下唇を噛んだ。


 え、なんで、私の目の前で、涙を流せるの?

 さっき、リスカしたって言ったよね。

 

 それなのに、なんで、この少女は、泣いてるの……?


 金持ちの家に生まれて、何不自由なく育って、色恋に困らないほどに秀麗。

 私なんかより、よっぽど生きやすいでしょ。

 人生イージーモードじゃん。

 泣くとか、甘えてるんじゃないの?


 あなたの身に何があったのかは、知らない。

 だけど、ふざけるな。



「もう、好きに、しねよ」



 すかしっぺみたいに、自然と出ていた。

 私の乾ききった口から、残酷な言葉が。



「……あ」



 やってしまった。私は最低だ。でも、こいつも悪い。


 駆け足で、ドアノブに手を掛ける。

 鍵を取り出し、回した。


 部屋に逃げて、イヤホンで耳を塞ぎながら、眠ろう。

 朝になれば、きっと忘れる。



「あのっ、すみません!」



 ドアが、閉まらない。

 足を掛けられたと気付いて、背筋が凍った。


 突き飛ばそうと体を回すと、彼女の顔が、瞳に映る。



「3年後、あたしと一緒に、あの世へ行ってくれませんか?」



 目が、動かなかった。


 麗しい顔も、涙で腫れるんだ。

 あどけない感想を浮かべながら、彼女の表情が、網膜に焼き付いていく。


 失恋と初恋を混ぜ込んだみたいに危うく、妖艶。


 脳が揺れ、鼻腔(びくう)の奥底から、よみがえってくる。

 チョークと、制汗スプレーの、香り。

 壊れた青春の象徴と、面影が、重なる。


 視線も、呼吸も、奪われた。


 仕立てがよくて、きめ細かい、制服の布地。

 袖から伸びる手は、一切のシミがなく、飴細工のようになめらかだ。

 しかし、完璧ではない。

 イバラのようなアザが、皮膚の表面に浮かんでいた。


 ふと、気づく。瑞々しい薬指の付け根が、つぼみのように膨らみだしていた。


 引き伸ばされた時間感覚の中。

 世界が、艶やかな青色に染まる。


 頭の中で、神秘的なクラシック旋律が流れはじめた。ドビュッシー作曲『月の光』。


 私の細胞すべてが、幻想に満ちた光景を見届けたいと、叫ぶ。

 


 大理石のような肌を貫き、一輪の青薔薇が、咲いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ